2019年03月02日
Apple楽天ショップ紹介
iPad Pro 11インチ 12.9インチ ケース 2018年モデル 第三世代 Apple pencil収納 貼り付け式 耐衝撃 タブレットケース 手帳型 高級感 オートスリープ 超軽量 極薄 スタンド機能 三つ折り おしゃれ シンプル アイパッド プロ ケース アップル CASE 保護ケース
対応機種 iPad Pro 11(2018モデル) iPad Pro 12.9(2018モデル) 素材 PUレザー 商品説明 ・超薄型·超軽量のシンプルでスリムなiPadケースです。 ・手触りの良いPUレザーを採用し、さらに防汚加工により、キズや汚れに強いです。 ・60°の鑑賞モードと30°の作業モードがある、お好きな角度でiPadを楽しむことができます。また、マグネット内蔵、自動オートスリープと自動ウェイクアップの機能も実現します。
価格:4,298円
STAR WARS MFi取得 アルミ ライトニングケーブル 1.3m Alumi Lightning Cable【ライトニングケーブル iPhone6 mfi 認証】【lightning usb ケーブル apple認証】【スターウォーズ/ダース・ベイダー/ストームトルーパー/C-3PO】【RCP】
人気のアルミライトニングケーブルから、クールなスター・ウォーズデザインが登場しました。 iPhoneのカラーに合わせた配色が美しく、Apple製品にしっくりとなじみます。 ダース・ベイダー、ストームトルーパー、C-3POがコネクタ部分にさりげなくプリントされ、充電しながら、オシャレにスター・ウォーズの世界に浸れます。 大人のスター・ウォーズファン必携のアイテムは、プレゼントにもピッタリです。 ・ケーブルの長さは、寝ながら使える余裕の1.3m。 ・Apple公認品なので、OSのアップデートにも対応していて安心。 ・パソコンとつないでデータ同期・充電OK。 こちらのパッケージでお届けします。 サイズ表 コード長 : 約1.3m パッケージ : 約縦18×横6.2×厚1.8cm Lightningコネクタ部分 : 約縦1.7×横1.1×厚0.5cm その他仕様 主素材 : 銅、アルミ、PVC、PE ▼その他関連商品はこちら ▼ コンセント から4台同時OK! USB充電器
価格:2,808円
ヴィタモント オーガニック アップルジュース(1L)【ヴィタモント】
お店TOP>水 ミネラルウォーター ドリンク>野菜ジュース・フルーツジュース>フルーツジュース>ヴィタモント オーガニック アップルジュース (1L)税抜2500円以上で送料無料(北海道・沖縄除く)商品区分:有機JAS認定【ヴィタモント オーガニック アップルジュースの商品詳細】有機アップルをそのまま搾った100%フルーツジュース(マクロビオティック)です。フルーツそのままの味をお楽しみいただけます。ピュアプレストジュースの製造者として高品質の有機ジュースを追求し続けるヴィタモン社の商品です。有機JAS認定食品。【ヴィタモント オーガニック アップルジュースの原材料】名称:有機りんごジュース(ストレート)原材料名:有機りんご【栄養成分】名称:有機りんごジュース(ストレート)原材料名:有機りんご【注意事項】※開封前によく振って、お飲み下さい。※開封後は要冷蔵【ブランド】ヴィタモント【発売元、製造元、輸入元又は販売元】MIE PROJECTリニューアルに伴い、パッケージ・内容等予告なく変更する場合がございます。予めご了承ください。MIE PROJECT150-0046 東京都渋谷区松濤1-3-803-5465-2121広告文責:Rakuten Direct株式会社電話:050-5306-1825[野菜ジュース・フルーツジュース/ブランド:ヴィタモント/]
価格:1,195円
Appleを科学する
今回は演奏会の感想ではなく、別の話題を。
以前、「もしもタイムマシンがあったなら行ってみたい演奏会」シリーズとして、行ってみたいフルトヴェングラーのコンサートをつらつら書いていたことがあった。
今回、久々にその続きを書いてみたい。
フルトヴェングラーの次ということで、今度は当時彼と並び称された名指揮者、アルトゥーロ・トスカニーニの演奏会から選んでいくこととしたい。
なお、トスカニーニの演奏会記録についてはを参照させていただいた。
20世紀前半において人気を二分した指揮者であるフルトヴェングラーとトスカニーニは、音楽性もまた対照的とされることが多い。
トスカニーニは
「楽譜に忠実な解釈で、イン・テンポ(テンポを一定に保つ)による躍動的な演奏だが、やや一本調子で柔軟性に欠けるきらいがある」
というように評され、一方フルトヴェングラーは
「楽譜の表記にこだわらない解釈で、テンポを自由に揺らすロマン的な演奏だが、やや重々しすぎ推進力に欠けるきらいがある」
といったようなことをよく言われるように思う。
確かに、こうしたことは、一面では正しい。
ただ、こうした面だけでは、彼らの演奏の特徴を捉えることができないように思う。
トスカニーニは、実はフルトヴェングラーよりも20歳近く年上である、ということに留意する必要がある。
トスカニーニと同年代の指揮者は、グスタフ・マーラーやフランツ・シャルクらである。
マーラーやシャルクは、私たちの想像以上に楽譜に大きく手を加えていた(改変していた)ようであり、トスカニーニは、そのようなことをすべきでないと主張した最初期の人であった。
それから少し後の世代のフルトヴェングラーやクレンペラーの頃には、トスカニーニのように楽譜にあまり手を加えないやり方がすでに主流になっていた。
実際、残された録音を聴き比べてみると、楽譜への忠実度は「楽譜至上主義者」トスカニーニと、「自由な解釈者」フルトヴェングラーとで、それほど大きく変わらない(レッテルだけ見ると、あたかも正反対の主義を持つかのようだが)。
また、彼ら2人の世代の違いは、残された録音にも大きく影響している。
フルトヴェングラーの生涯を10年ごとに大まかに分類すると
❶0歳代(1890年頃) 子供時代
❷10歳代(1900年頃) 修業時代
❸20歳代(1910年頃) リューベック管弦楽団
❹30歳代(1920年頃) マンハイム歌劇場
❺40歳代(1930年頃) ベルリン・フィル(戦前)、ウィーン・フィル
❻50歳代(1940年頃) ベルリン・フィル(戦中)
❼60歳代(1950年頃) ベルリン・フィル(戦後)
となり、このうち私たちが録音で聴けるのは❺❻❼である。
それに対し、トスカニーニの場合は
@0歳代(1870年頃) 子供時代
A10歳代(1880年頃) 修業時代
B20歳代(1890年頃) トリノ・レージョ劇場
C30歳代(1900年頃) ミラノ・スカラ座(一次大戦前)
D40歳代(1910年頃) ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場
E50歳代(1920年頃) ミラノ・スカラ座(戦間期)
F60歳代(1930年頃) ニューヨーク・フィル
G70歳代(1940年頃) NBC響(戦中)
H80歳代(1950年頃) NBC響(戦後)
となり、このうち録音が残されているのはFGHである(Eも残されてはいるが、ごくわずかであり、またアコースティック録音のため音質があまりに貧弱)。
つまり、フルトヴェングラーについては、彼の主要な活動時期の演奏の多くを聴くことができるのに対し、トスカニーニのほうは、彼の人生においてきわめて重要な時期であるCDEあたりの演奏を私たちは聴くことができないのである。
録音が残されていない以上、トスカニーニの演奏について、その全貌が明らかになることは残念ながら今後もないだろう。
とはいえ、私たちには、トスカニーニのFの時期の録音が残されている。
録音数が多いのは圧倒的にHの時期だが、Fの時期の演奏には、Hの時期のような四角四面なところがあまりなく、しなやかさがあるように思う。
一方、フルトヴェングラーのほうは、❼の後半期の録音が多いためそのイメージが付きやすいけれど、❺❻や❼の前半期の演奏は、❼の後半期ほど重々しくなく、適度な推進力を有している。
そんな2人の壮年期の演奏は、実は驚くほどよく似ている(もちろん、違いもあるのだけれど)。
また、この2人がよく対比された背景には、地理的な問題もありそうである。
19世紀後半における、ハンス・フォン・ビューロー(ドイツ) vs ハンス・リヒター(オーストリア)。
また、19世紀末〜20世紀初頭における、アルトゥール・ニキシュ(ドイツ) vs グスタフ・マーラー[後にフェーリクス・ヴァインガルトナー](オーストリア)。
こういった各時代での名指揮者の対比には常に地理的な要因があったが、20世紀前半にアメリカの躍進とともにこれが世界規模に広がり、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(ヨーロッパ) vs アルトゥーロ・トスカニーニ(アメリカ)という構図になったのかもしれない。
20世紀後半には、この対比はヘルベルト・フォン・カラヤン(ヨーロッパ) vs レナード・バーンスタイン(アメリカ)として受け継がれた、といったところか。
なお、21世紀におけるこの種の対比については、私はまだ知らない。
ビューローやマーラーの演奏はいざ知らず、フルトヴェングラーやトスカニーニに共通する点はというと、おそらくベートーヴェンを得意とする「英雄的な」演奏様式を持つことではないだろうか。
当時のアメリカにはワルターもクレンペラーもいたにもかかわらず、専らトスカニーニがフルトヴェングラーと並び称されたのには、そういう理由があるように思う。
そして、彼らの後に続くカラヤンやバーンスタインの音楽も、同様に「英雄的な」スタイルを持っている。
こうしたスタイルを持つ指揮者は、それぞれの地域の「代表的指揮者」としての扱いを受けやすいのだろう。
前置きが長くなったが、私はトスカニーニの最盛期だった可能性の高いC〜Fあたりの時期を中心に、行ってみたい演奏会を選んでいきたい。
まずはフルトヴェングラーのときと同じく、ベートーヴェンの交響曲第5番から始める。
探してみると、下記の演奏会があった。
1926年10月7日、ミラノ
指揮:トスカニーニ
管弦楽:ミラノ・スカラ座管弦楽団
プログラム
Beethoven: Symphony No.1
Beethoven: Symphony No.2
Beethoven: Symphony No.5
翌年のベートーヴェン没後100年を記念しての交響曲全曲ツィクルスの第1日である。
トスカニーニ60歳前の、脂の乗りきった時期。
いったいどのようなツィクルスだったのか、想像するだにすさまじい。
ただしタイムマシンはまだないし、またこの演奏会のライヴ録音も残されていないので、代わりに下記の録音を聴いた。
●ベートーヴェン:交響曲第1番 トスカニーニ指揮NBC響 1951年12月21日ニューヨーク・ライヴ盤(/)
●ベートーヴェン:交響曲第2番 トスカニーニ指揮NBC響 1949年11月7、9日、1951年10月5日ニューヨーク・ライヴ盤(/)
●ベートーヴェン:交響曲第5番 トスカニーニ指揮ニューヨーク・フィル 1933年4月9日ニューヨーク・ライヴ盤()
第1、2番は、全集中のもの。
第5番については、全集に含まれる1952年盤ももちろん素晴らしいのだが、少し急いでいるような印象を受けなくもなく、テンポ設定にもう少し柔軟性が欲しい。
それに比べ、壮年期に近い上記1933年盤はより落ち着いたテンポになっており、また伸縮自在でしなやか、ロマン的でさえある。
低弦も豊かに鳴らされ迫力満点、同時期のフルトヴェングラーの同曲演奏によく似た名演となっている。
これぞ、トスカニーニ本来のスタイルなのではないだろうか。
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今回は演奏会の感想ではなく、別の話題を。
以前、「もしもタイムマシンがあったなら行ってみたい演奏会」シリーズとして、行ってみたいフルトヴェングラーのコンサートをつらつら書いていたことがあった。
今回、久々にその続きを書いてみたい。
フルトヴェングラーの次ということで、今度は当時彼と並び称された名指揮者、アルトゥーロ・トスカニーニの演奏会から選んでいくこととしたい。
なお、トスカニーニの演奏会記録についてはを参照させていただいた。
20世紀前半において人気を二分した指揮者であるフルトヴェングラーとトスカニーニは、音楽性もまた対照的とされることが多い。
トスカニーニは
「楽譜に忠実な解釈で、イン・テンポ(テンポを一定に保つ)による躍動的な演奏だが、やや一本調子で柔軟性に欠けるきらいがある」
というように評され、一方フルトヴェングラーは
「楽譜の表記にこだわらない解釈で、テンポを自由に揺らすロマン的な演奏だが、やや重々しすぎ推進力に欠けるきらいがある」
といったようなことをよく言われるように思う。
確かに、こうしたことは、一面では正しい。
ただ、こうした面だけでは、彼らの演奏の特徴を捉えることができないように思う。
トスカニーニは、実はフルトヴェングラーよりも20歳近く年上である、ということに留意する必要がある。
トスカニーニと同年代の指揮者は、グスタフ・マーラーやフランツ・シャルクらである。
マーラーやシャルクは、私たちの想像以上に楽譜に大きく手を加えていた(改変していた)ようであり、トスカニーニは、そのようなことをすべきでないと主張した最初期の人であった。
それから少し後の世代のフルトヴェングラーやクレンペラーの頃には、トスカニーニのように楽譜にあまり手を加えないやり方がすでに主流になっていた。
実際、残された録音を聴き比べてみると、楽譜への忠実度は「楽譜至上主義者」トスカニーニと、「自由な解釈者」フルトヴェングラーとで、それほど大きく変わらない(レッテルだけ見ると、あたかも正反対の主義を持つかのようだが)。
また、彼ら2人の世代の違いは、残された録音にも大きく影響している。
フルトヴェングラーの生涯を10年ごとに大まかに分類すると
❶0歳代(1890年頃) 子供時代
❷10歳代(1900年頃) 修業時代
❸20歳代(1910年頃) リューベック管弦楽団
❹30歳代(1920年頃) マンハイム歌劇場
❺40歳代(1930年頃) ベルリン・フィル(戦前)、ウィーン・フィル
❻50歳代(1940年頃) ベルリン・フィル(戦中)
❼60歳代(1950年頃) ベルリン・フィル(戦後)
となり、このうち私たちが録音で聴けるのは❺❻❼である。
それに対し、トスカニーニの場合は
@0歳代(1870年頃) 子供時代
A10歳代(1880年頃) 修業時代
B20歳代(1890年頃) トリノ・レージョ劇場
C30歳代(1900年頃) ミラノ・スカラ座(一次大戦前)
D40歳代(1910年頃) ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場
E50歳代(1920年頃) ミラノ・スカラ座(戦間期)
F60歳代(1930年頃) ニューヨーク・フィル
G70歳代(1940年頃) NBC響(戦中)
H80歳代(1950年頃) NBC響(戦後)
となり、このうち録音が残されているのはFGHである(Eも残されてはいるが、ごくわずかであり、またアコースティック録音のため音質があまりに貧弱)。
つまり、フルトヴェングラーについては、彼の主要な活動時期の演奏の多くを聴くことができるのに対し、トスカニーニのほうは、彼の人生においてきわめて重要な時期であるCDEあたりの演奏を私たちは聴くことができないのである。
録音が残されていない以上、トスカニーニの演奏について、その全貌が明らかになることは残念ながら今後もないだろう。
とはいえ、私たちには、トスカニーニのFの時期の録音が残されている。
録音数が多いのは圧倒的にHの時期だが、Fの時期の演奏には、Hの時期のような四角四面なところがあまりなく、しなやかさがあるように思う。
一方、フルトヴェングラーのほうは、❼の後半期の録音が多いためそのイメージが付きやすいけれど、❺❻や❼の前半期の演奏は、❼の後半期ほど重々しくなく、適度な推進力を有している。
そんな2人の壮年期の演奏は、実は驚くほどよく似ている(もちろん、違いもあるのだけれど)。
また、この2人がよく対比された背景には、地理的な問題もありそうである。
19世紀後半における、ハンス・フォン・ビューロー(ドイツ) vs ハンス・リヒター(オーストリア)。
また、19世紀末〜20世紀初頭における、アルトゥール・ニキシュ(ドイツ) vs グスタフ・マーラー[後にフェーリクス・ヴァインガルトナー](オーストリア)。
こういった各時代での名指揮者の対比には常に地理的な要因があったが、20世紀前半にアメリカの躍進とともにこれが世界規模に広がり、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(ヨーロッパ) vs アルトゥーロ・トスカニーニ(アメリカ)という構図になったのかもしれない。
20世紀後半には、この対比はヘルベルト・フォン・カラヤン(ヨーロッパ) vs レナード・バーンスタイン(アメリカ)として受け継がれた、といったところか。
なお、21世紀におけるこの種の対比については、私はまだ知らない。
ビューローやマーラーの演奏はいざ知らず、フルトヴェングラーやトスカニーニに共通する点はというと、おそらくベートーヴェンを得意とする「英雄的な」演奏様式を持つことではないだろうか。
当時のアメリカにはワルターもクレンペラーもいたにもかかわらず、専らトスカニーニがフルトヴェングラーと並び称されたのには、そういう理由があるように思う。
そして、彼らの後に続くカラヤンやバーンスタインの音楽も、同様に「英雄的な」スタイルを持っている。
こうしたスタイルを持つ指揮者は、それぞれの地域の「代表的指揮者」としての扱いを受けやすいのだろう。
前置きが長くなったが、私はトスカニーニの最盛期だった可能性の高いC〜Fあたりの時期を中心に、行ってみたい演奏会を選んでいきたい。
まずはフルトヴェングラーのときと同じく、ベートーヴェンの交響曲第5番から始める。
探してみると、下記の演奏会があった。
1926年10月7日、ミラノ
指揮:トスカニーニ
管弦楽:ミラノ・スカラ座管弦楽団
プログラム
Beethoven: Symphony No.1
Beethoven: Symphony No.2
Beethoven: Symphony No.5
翌年のベートーヴェン没後100年を記念しての交響曲全曲ツィクルスの第1日である。
トスカニーニ60歳前の、脂の乗りきった時期。
いったいどのようなツィクルスだったのか、想像するだにすさまじい。
ただしタイムマシンはまだないし、またこの演奏会のライヴ録音も残されていないので、代わりに下記の録音を聴いた。
●ベートーヴェン:交響曲第1番 トスカニーニ指揮NBC響 1951年12月21日ニューヨーク・ライヴ盤(/)
●ベートーヴェン:交響曲第2番 トスカニーニ指揮NBC響 1949年11月7、9日、1951年10月5日ニューヨーク・ライヴ盤(/)
●ベートーヴェン:交響曲第5番 トスカニーニ指揮ニューヨーク・フィル 1933年4月9日ニューヨーク・ライヴ盤()
第1、2番は、全集中のもの。
第5番については、全集に含まれる1952年盤ももちろん素晴らしいのだが、少し急いでいるような印象を受けなくもなく、テンポ設定にもう少し柔軟性が欲しい。
それに比べ、壮年期に近い上記1933年盤はより落ち着いたテンポになっており、また伸縮自在でしなやか、ロマン的でさえある。
低弦も豊かに鳴らされ迫力満点、同時期のフルトヴェングラーの同曲演奏によく似た名演となっている。
これぞ、トスカニーニ本来のスタイルなのではないだろうか。
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