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2024年01月23日

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2024年01月22日

【被災者が号泣】杉良太郎「売名?どうだっていい」能登半島で完全自腹の炊き出し、私財40億円の“偽善”

[【被災者が号泣】杉良太郎「売名?どうだっていい」能登半島で完全自腹の炊き出し、私財40億円の“偽善”]

御年79才。この人の行動力には、誰も敵わない。1月19日、俳優で歌手の杉良太郎が、能登半島地震の避難所・石川県金沢市「いしかわ総合スポーツセンター」で、炊き出しを行った。寒風吹きすさぶ中で、自らメニューを考案した肉うどんを約300人分も振る舞い、デザートのイチゴのヘタも、自ら1つずつ包丁で切り取るほどだった。


「(被災者には)精神面のケアがすごく大事。(今は)ショックから不安に変わってますから」

 杉から、うどんを手渡された70代女性避難者は「顔見ただけで元気が出ました」と感激。車いす姿の80代女性は、杉の手を握り号泣した。芸能生活59年間、福祉活動や寄付に私財40億円以上も投じてきた杉の手は、この日も温かかった。

 地震からまだ半月だが、自前で運んだ支援物資の数は、個人としては破格の物量だ。

 ペーパータオル、フェイスタオル、ボディタオル、スリッパが各600個。下着、スウェット上下、車いす座布団が各200個。高齢者向けの入れ歯洗浄剤など、その内容にも心配りがうかがえる。

 3日間の炊き出しでは、うどんのほかに、カレーや炊き込みごはん、肉野菜炒めや豚汁、果物と、ありがたい品ぞろえ。「自分の家だとライフラインがやられているので、1日3食作るのも大変。避難して良かったと言われるような食べ物を提供したい」と杉。東京からキッチンカー3台で駆けつけて、淡路島産たまねぎ、千葉産さつまいもなど、自分の農園で採れた野菜で作った。

「あり余るほどのお金があると思われがちですが、実際は過去には資金集めで銀行から1億円を借りるなど、身を投げうってきた人なんです」と明かすのは、ある芸能関係者だ。

 演歌歌手の妻・伍代夏子(62才)との私生活も、いわゆるセレブ暮らしではなく、堅実な日常だという。「それでも人助けを続けるのは、それが杉さんの生き様だからです」(前出・芸能関係者)。

「芸能人の売名」との指摘に杉の考えは
 もはや、毎度おなじみだが、今回もSNSなど上では「偽善者」や「売名行為」という声も上がるが、杉は「被災者にそんなこと言っている暇は無いんだよ。被災者にはどうだっていいこと。明日は我が身。あなたのところも起きるんだから。みんなで協力していくしかないんだよ」と一蹴した。

 思い起こされるのは、12年前の東日本大震災時だ。やはり宮城県石巻市へ、トレーラーや冷凍車など車両20台で数千人分の救援物資を大量に届けて、毎日5000食以上を炊き出しして、被災者を支援した。その2週間後には福島県南相馬市も訪れた。

 そんな最中で「芸能人の売名」と言われた時だった。杉は「ええ、売名ですよ。皆さんもおやりになるといい」とピシャリ。「確かに福祉は時間とお金がかかる。特にお金が無いと見栄えのいい福祉はできない。でも、お金が無い人は、時間を寄付すればいい。お金も時間も無い人は、福祉を理解して、実際に活動している人に拍手を送るだけで十分。それで、もう立派な福祉家なんです」と説いていた。
現地での被災地支援は、1995年の阪神・淡路大震災に始まり、2004年中越地震、2011年東日本大震災、そして今回。平穏が戻った後も、それら各地での定期慰問は欠かさない。ほかにも、約30年間かけて、ベトナムでは数多くの学校や孤児院を設立。数百人の孤児を養子にしてきた。実は、昨年の12月もベトナムへ子供たちに会いに飛んでいた。

 学校を50校建設したバングラデシュなど、他のアジア諸国や南米など世界中でも福祉活動を続ける。別に、ユネスコや赤十字といった組織や機関ではなく、全て個人活動で、だ。

 国内でも、15才時から刑務所慰問を続けていて、現在は法務省下で特別矯正監の役も兼務中。2010年の尖閣諸島問題では、中国が日本へのレアメタル輸出を停止した際に、杉がベトナム産の輸入を主導して、国難を救っていた。「人助け」こそが杉の人生だ。

「ここで神経を使わないようにね」、「うどんで温まってって」、「できるだけ体を休めてね」。杉は、被災者たちの肩に手を添えて、一人ひとりに声を掛け回っていた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/2e187dfedee49deb11796e10ce44a1b8c1c482ef





[杉良太郎“偽善上等”ボランティアに費やした私財40億円超! 一等地にビル所有も私生活は質素]

杉さまの“偽善”を絶賛する声が後を絶たない。

 元旦に発生した能登半島地震の被災者の避難先で自ら包丁を握り食事を振舞ったのが、俳優で歌手の杉良太郎(79)。東日本大震災をはじめ、被災地に駆けつける杉のボランティア活動は今や、多くの人が知るところとなっている。
 
「東日本大震災の際は車両20台で救援物資を運び、宮城から福島へと長期にわたり移動を続け、多くの人たちを励ましている。驚かされるのは今年80歳になる杉さんの体力だけでなく、これらのボランティア活動はすべて私財で行っていること。費やしたお金は40億円はくだらないそうです」(スポーツ紙記者)

別居中の杉良太郎を直撃すると帰り際、「俺はつぶれないから」と

 自らの活動にあがる「売名」「偽善」といった声には、「ああ、偽善で売名ですよ」「私のことをそういう風におっしゃる方々も、ぜひ自腹で数十億出して名前を売ったらいいですよ」と意に介さない。

■「活動をしている人に拍手を送るだけで十分」

 自らの経験から福祉にはお金と時間がかかると話し、「お金がない人は時間を寄付すればいい。お金も時間もない人は福祉に対する理解を示し、実際に活動をしている人に拍手を送るだけで十分。それでもう立派な福祉家なんです。福祉ってそういうもんです」と、人に押し付けたりしないスタンスが特徴だ。

 杉は芸能界デビュー前の15歳の時からボランティアに携わってきているが、利他的だった両親からの影響が大きかったという。杉の活動は、ライフワークの被災地支援や刑務所慰問だけでない。

「150人を超えるベトナム人の里子がいたり、二つ目の落語家の支援をしたり、芸能界で稼いだお金をこうした活動に惜しみなく遣ってきています。その一方で、東京都心の超一等地にオフィスビルを所有する資産家でもありますが、妻の伍代夏子も『リンガーハットの皿うどんが好き』と公言するなど、普段は夫婦ともども決してセレブな生活を送っている訳ではないようです。被災地では自身が所有する農園で栽培した野菜などで調理したカレーやうどんを多くの人に振舞う様子から、普段から自宅で包丁を握っていることがわかります」(芸能ライター)

 私財を投げ打ち、物心両面で支援する“最高の偽善者”という評判だ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/eda0edb900836d86d6c889a9b3aee182892b2eb2




<コメント>

本物の仏様の化身ですよ!
北町奉行遠山金四郎景元「遠山の金さん」は本物でした。
男は背中で語るもの、を実践している尊い人です。
現代のキリスト(救世主)の名に相応しいですね。
ありがとうございます!感謝です!


posted by Akamaru at 14:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康

2024年01月08日

災害に備える

【災害に備える】定期的に災害時の準備を確認しておきましょう。
























































posted by Akamaru at 09:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康

2024年01月07日

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posted by Akamaru at 11:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康

2024年01月05日

数学の講師→伝説のギャンブラー、投資家へ…。エド・ソープが辿り着いた「人生で一番大切なこと」【金融ジャーナリストが解説】

【数学の講師→伝説のギャンブラー、投資家へ…。エド・ソープが辿り着いた「人生で一番大切なこと」【金融ジャーナリストが解説】】

世界的な一流投資家たちは、みなそれぞれ独自の信念と哲学を有している──。本連載は、金融ジャーナリストであるウィリアム・グリーン氏の著書『一流投資家が人生で一番大切にしていること』(早川書房)より一部抜粋して紹介し、一流の投資家たちの成功哲学を探ります。今回は、異色の経歴を持つ投資家、エド・ソープに関するエピソードが書かれた箇所を抜粋して紹介します。

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「あなたは豊かですか」→ボブ・マーリーの答え
人生で成功したことが、小さな紙切れを買って金持ちになることだけだったら、それは失敗した人生だ。金儲けがうまいかどうかよりたいせつなことがある。

──チャーリー・マンガー

テレビのレポーターがボブ・マーリーに「あなたは豊か(リッチマン)ですか」と尋ねたことがある。ジャマイカ出身のミュージシャンは身構えて言った。

「リッチとはどういう意味だ?」レポーターは質問を明確に言いなおした。「あなたはたくさんの財産をもっていますか? 銀行にたんまりお金がある?」マーリーは答える代わりに質問した。

「財産があればリッチになれるのかい? そんな豊かさなんて知らない。おれにとっての豊かさは人生そのものだから。永遠に」

この4半世紀のあいだ、世界の一流の投資家たちを取材し観察するうち、私は人の豊かさとはなんだろうとよく考えるようになった。彼らは、表面的には究極の勝者だ。想像を絶する大当たり(ジャックポット)を出し、豪邸やヨット、自家用機、さらには美術品からレーシングカーまで世界的なコレクションを買いあつめている。だがその富は彼らに何をもたらすのだろう。

もし、物理的な豊かさが富の鍵ではないとしたら、何が鍵なのだろうか。

遊び道具やトロフィーを手に入れればうれしい気持ちになるが、期待したほどではない。サー・ジョン・テンプルトンは、「物質的な資産は快適さをもたらすが、幸福や価値を高めるのにはほとんど役立たない。幸福は外部の状況や環境に左右されるという世間の考えは完全な誤りだ」と述べている。

このことばはほとんど正しい。悟りを開いた禅僧でなくても、物理的な楽しみは幸福への儚く頼りないルートでしかないとわかるはずだ。とはいえ、テンプルトン自身は、太陽が降りそそぐバハマの美しい家に住み、スーパーリッチな人たちに囲まれて暮らす道を選んだ。彼の選択は、外部環境が人間の幸福感に何かしらの影響を与えることを示唆している。

エド・ソープの「人生をおおいに豊かにした決断」
伝説のギャンブラーであり投資家でもあり、生きる喜びにあふれたエド・ソープは、人生をどのように組みたてれば幸せになれる確率があがるかを彼らしく合理的に考えている。彼にとって人生をおおいに豊かにした決断は、カリフォルニア州ニューポートビーチに、太平洋に沈む夕陽を望むウォーターフロントの家を購入したことだという。「楽しく過ごすための最高の場所」だとソープは言う。

「スモッグとゴミに埋もれ、騒音がひどくて天気もひどい、場所を移動するだけでひと苦労のゴタゴタした街にはもう住めない。空は晴れて、風は心地よく、屋外で運動ができて、美しい景色に囲まれ、ハイキングやセーリング、スキューバダイビングができる場所で生きていたい*」

*ソープはその後、海岸に沿って6、7キロ離れたところにあるラグナビーチに引っ越し、さらに海に近づいた。

数学の講師として控えめな報酬でキャリアをスタートさせたソープは、投資が成功したことで得られた贅沢のすばらしさを認めている。持ち物のなかで気に入っているものがあるかと問うと、彼はにっこり笑って答える。「テスラはいいね。本当に楽しい。最高の車だ」 。だが彼は、もっと金があれば、もっと車が、もっと家が、なんでもいいからとにかくなんでももっとあれば、もっと幸せになれるという幻想には引きずられなかった。

「誰と一緒に過ごすかが、おそらく人生で一番大切なことだと思う」 。結婚55年で伴侶を亡くし、のちに再婚したソープは言う。「ただ物を増やすことだけを考えている人にはそれがわからない。最後にたくさんの物を手に入れたとしても、物を追いかけるだけの人生をおくってきたことになる」。

ソープが言うように、金や物を追いもとめるあまり、もっとたいせつなことを見失ってしまうと、生き方にかかわる問題が起こってくる。ソープは、ヘッジファンド・マネジャーとしてのキャリアのなかで、そうしようと思えば、顧客にもっと金を出させたり、自分の取り分を増やしたりすることも簡単にできた。

だが彼は、自分が顧客だったら何が「公正で妥当」だと思うかを自問した。その結果、顧客が利益をあげなければ、自分は何も得られないように報奨金(インセンティブ)を設計した。

「他者を気にせず、自分中心で乱暴にふるまい、人から金をくすねようとする者のほうが金儲けの面では有利に見えるかもしれない」とソープは言う。「たしかにそれは彼らが望むものを手に入れるための強みなのかもしれない。死骸から多くの肉を剥ぎとれるかもしれない。だが、彼らの人生は豊かじゃないし、それに気づかない。終わりが来たとき、彼らは人生をむだに生きたことになる」。

これらのことは私たちに警告を突きつける。金のために何を犠牲にするのか、あるいはしないのかをはっきりと自覚しなければならない──たとえば、家族や友人との温かい関係、花開くまでに時間のかかる才能や野心、物質的な利益はもたらさない体験を味わう時間、守るほど儲けにくくなる社会の価値基準。

ソープに、これまでの人生の選択に後悔はないかと尋ねたら、「信念に基づいて選んだことに後悔はない」と返ってきた。成功した豊かな人生には、他者を傷つけず、高潔にふるまってきた自身への尊敬の念もだいじな要素として含まれるのだ。

金融ジャーナリスト

ウィリアム・グリーン
https://news.yahoo.co.jp/articles/1d3982f9403a65d8ad9b57a2a10a2df8b6da7e30


<コメント>

数学の講師から伝説のギャンブラーであり投資家になったエド・ソープ
「誰と一緒に過ごすかが、おそらく人生で一番大切なこと」
他者を傷つけず、高潔にふるまってきた自身への尊敬の念

どの道を歩んでも現代の経済的成功者は最終的に投資家に落ち着いてしまうのかもしれません。
本当の意味でそこに辿り着ける人は針の先程の存在です。








posted by Akamaru at 13:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康

2024年01月02日

寝てばっかりで大金を稼いだ「三年寝太郎」は実在した!? 武田信玄ゆかりの武将だった!? 

【寝てばっかりで大金を稼いだ「三年寝太郎」は実在した!? 武田信玄ゆかりの武将だった!? 】

3年間にもわたって寝てばかりだったという三年寝太郎。彼のモデルは、草履を使って砂金をかき集め、それを元手に水利施設を作って村を開拓したという、とんでもない偉人だったという説がある。しかも、かの武田信玄ゆかりの人物だったとも。それって、本当のことなのだろうか?

■寝てばかりの「三年寝太郎」が行った、仰天の金稼ぎ

 「三年寝太郎」とは、伝承の中に登場する、いわゆるおとぎ話の主人公である。文字通り、3年間も寝てばかりいたという厄介者で、庄屋の子とはいえ、鼻つまみ者として村人たちから笑い者にされた男であった。

 それがある時、何を思ったか、ガバッと起き上がるや、父に「千石船(せんごくぶね)を作ってくれ」と頼みこんだ。もちろん、父が驚いたことはいうまでもない。しかしこの父親、何とも息子には甘かったようで、言われるまま千石船を作ってやったという。と、今度は、「船いっぱいの草鞋を買ってくれ」とも。それも渋々ながら叶えてやると、寝太郎はどこへとなく船出していってしまったのだ。

 それから40日も過ぎたある日のこと。船に乗った寝太郎が帰ってきた。しかし、船内を見ると、泥だらけの草鞋でいっぱい。誰もががっかりしたことは想像に難くない。そればかりか、またもや父にねだって大きな桶を作ってもらい、「泥だらけの草鞋を入れて洗え」とも。もはや開いた口が塞がらないと言うべきだが、これにもまたも息子の言うがままにしたというから、呆れるばかりである。

 しかし、その後の展開が意外であった。三日三晩かけて使い古した草鞋を洗い終わり、上澄みをそっと流し捨てて中を覗いて、びっくり仰天! なんと、桶の底にピカピカ光る砂金がうず高く盛り上がっていたのだ。

 実はこの男、佐渡の金山に出向き、そこで働く人々に頼み込んで、新品の草鞋と履き古した草鞋とを交換してもらっていたのだ。使い古した草鞋の底に付いた金を、何食わぬ顔でかき集めて持ち帰ったという次第。寝太郎はそれを売ったお金で、川を塞きとめるための堰や水路を作って、村の荒れた土地を美田に変えていったという。めでたし、めでたし……と、まあ、これが三年寝太郎のお話である。

■駅前の銅像や、神社まで…地元で大人気の寝太郎

 この物語が伝えられたのは、山口県の南西、山陽小野田市の厚狭(あさ)地区である。ただし、この伝承、ただの作り話というわけではなかった。同地には、寝太郎用水路や寝太郎堰とも呼ばれる大井手なる水利施設など、三年寝太郎物語に登場するものと同様の遺物が現存するからだ。

 さらには、大井手によって開拓された383haもの美田・千町ヶ原が広がるほか、寝太郎を祀る寝太郎荒神社や寝太郎を御神体(稲荷木像)として拝むことのできる円応寺まである。加えて、駅前に大きな寝太郎の銅像までそびえるという念の入れよう。地域がこぞって寝太郎を盛り上げていこうとの熱意が、ヒシヒシと感じられるのだ。

 そして、単なるおとぎ話の主人公だったというだけなら、これらの水利施設が残されることはなかったはずである。それらが存在するということは、つまりこの伝承が何らかの史実を物語っていることを示している。実はこのお話の主人公・三年寝太郎には、モデルとなる人物がいたというのだ。

■三年寝太郎のモデルは武田信玄ゆかりの戦国武将だった!?

 興味深いのは、三年寝太郎のモデルが戦国時代の豪族で、清和源氏・義光の流れを汲む御仁だったこと。その名は、平賀清恒(ひらが・きよつね)。その父・玄信(源心)が、なんと、かの武田信玄ゆかりの人物だったというから、俄然興味が湧いてくる。

 実は、清恒の父・玄信は信濃国佐久郡平賀城主で、武田晴信(信玄)の初陣・海ノ口城の戦い(1537年)の対戦相手として知られる人物であった。ただし、この時の戦いに勝利したのは信玄の方で、玄信は城を落とされ、討死している。

 そのため、息子の清恒は姉の夫・冷泉隆豊(れいぜいたかとよ)を頼って周防国へ向かったとか。しかしこの御仁、運に見放されたのか、大内義隆が家臣・陶隆房(晴賢)の謀反によって殺された大寧寺の変(1551年)に巻き込まれて、やむなく厚狭の地へ逃れて帰農している。

 この清恒がどういう経緯かは不明ながらも、寝太郎のモデルになったとみなされるようになったのだ。おそらく、清恒は厚狭の地へ移って以降、その地の開拓に乗り出し、それなりの成果をあげたのだろう。

 ただ、なぜ「寝太郎」という怠け者にたとえられたかは不明。清恒ばかりかその父・玄信まで実在が疑われることもあるから、何とももどかしい。それでも、玄信(源心)の首塚が山梨県北杜市須玉町若神子に、胴塚が長野県南佐久郡南牧村に現存していることなどを踏まえれば、その子・清恒の実在も信じたくなるのである。
https://news.yahoo.co.jp/articles/02b2a0dedf2cb9ff53182d1426dbb0013d5951ea


<コメント>

「三年寝太郎」は私の好きな話です。一見ぐうたらだが頭の回る男が世の中の役に立つ姿は痛快ですね♪





posted by Akamaru at 18:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康
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