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2018年07月12日

新聞配達の思い出。

新聞配達は1988年頃、高校3年間無欠勤で続けたバイトであり人生初の社会経験となった。

◆新聞配達をしようと思ったきっかけ
小学校高学年の頃だったか、夕暮れの時間帯に近所の壁にボールを投げつけてキャッチする一人遊びをよくしていた。その時に新聞配達中のお兄さんと仲良くなり、キャッチボールや話し相手をしてくれたりと良い思い出があった。

それがきっかけで新聞配達に憧れるようになった。バイトができる年齢となった高校生当時は無知なのでバイト情報誌などの存在を知らなかった。だが近所の新聞配達店に駆け込み一番奥に居た経営者らしきおじさんに「アルバイトさせて下さい」と強い熱意で頼み込んだ。店内で作業をしていたパンチパーマの怖そうな従業員のおっさんがにやけ顔をして「フンッ」と馬鹿にしたような声を発したのを今でも忘れない。

真面目で熱意のある青年だと思ってくれたのか即決で採用が決まり翌日から出勤となる。

◆仕事内容
新聞と広告を積んだトラックがやってくる。これらを皆で店内に運び入れた後、自分たちの配る各地区ごとに新聞と広告が分けられていく。トラックが遅れていなければ、ここまでの作業は社員がやっていたので朝4時に出勤する高校生組は出勤したらすぐ自分が配る地区の配達前準備に入る。まずは新聞一部ずつに広告を組み込んでいく作業。新聞と広告の束を隣り合わせに並べて畳まれている新聞を少し開いてもう一方の手で広告を滑らすように新聞内に組み込んでいく。

この作業は熟練度で個人差が出る。長くやってる人は機械のように速く職人技と言ってもいいほど見事!その作業が終わると順路組み込み作業に入る。最初は配る順に個人宅名と配る新聞の種類、部数が書いてある台帳があるのでそれを見ながら組み込んでいく。この当時俺は高校生になったばかりで物覚えもよかったので1週間も掛からず暗記していたと思う。

配達は自転車。準備が早く終わった者から好きな自転車を選択できるのだが、ベテランは暗黙のルールでマイ自転車がある。俺のような下っ端達は余った整備不良の自転車の中でマシなものを奪い合うことになる。

◆思い出
夜中の3時台に起きて4時に出勤するため夜9〜10時には寝ていたので高校生らしい生活は全くできなかった。寝不足のまま毎日学校に行っていたので授業中はほぼ寝て過ごしていた。特にテスト期間の勉強は大変で、友人から授業のノートを借りて書き写すものの家では夜9過ぎに猛烈な眠気が襲ってくる。要点をまとめたミニノートを配達中に持参してマンションのエレベーターに乗っている間などにノートを開いて暗記をする。

新聞配達が主の生活をしていたため、高1の中間か期末テストで全科目赤点を取ってしまい親が学校に呼び出されたことがあった。母親の泣いている姿を見てやる気スイッチが入ったため上記のように配達中勉強するなどの工夫をして新聞配達と勉強の両立ができた。

時々訪れる台風の日は大変だった。濡れそうな家には新聞をビニールに入れて配達しなくてはならず苦労したことを思い出す。あとは年始の時期、恐ろしいほど分厚い広告にうんざりした。

配達地区は名古屋の繁華街だったので酔っ払いの出没は日常茶飯事。あるビルの前に自転車を停めると「おい兄ちゃん!新聞くれ!」 断ってマンションの配達を終え下に降りていくと自転車が倒されて新聞が地面に散らばっていたことが何度かあった。

スナックが密集しているビルでのこと。ここで頻繁にオネェ系の人達に捕まり毎回のように陰部を触ってくるので困った思い出。

夕刊を配っていた料亭の主人がしつこいほど料理人にならないかと誘ってきたこと。当時俺は大手企業に就職が決まっていたので何度もお断わりした。だが何のスキルもない中年となった今考えるとあの当時、料理人という道を選択していればよかったのではないかと思う。

朝刊、夕刊のバイトをしていたため月6〜7万ほどの収入があった。当時の高校生としてはかなりの収入があった方だと思う。だが、学生時代にしか経験できない部活動をしなかったことは今でも後悔している。
posted by ゲーリー at 23:57 | 仕事の話
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