2017年05月31日
2017年05月29日
細工町
2017年05月27日
鍛冶屋町
2017年05月26日
今津町
2017年05月25日
横町
2017年05月24日
何橋かな
こんにちは、高砂市、高砂の町、高砂町の散歩投稿です。
釣舟町を更に歩くと
高砂小学校
進むと
橋が見えます。
将軍橋と聞いたような気もしますが、引き返します。
2016年8月18日に投稿した記事です。
追記再送
高砂大橋だそうです
距離
高砂駅から直線距離で1347m
標高
海抜7m
出典先
http://www.mapion.co.jp/phonebook/M07006/28216/L0663221/
釣舟町を更に歩くと
高砂小学校
進むと
橋が見えます。
将軍橋と聞いたような気もしますが、引き返します。
2016年8月18日に投稿した記事です。
追記再送
高砂大橋だそうです
距離
高砂駅から直線距離で1347m
標高
海抜7m
出典先
http://www.mapion.co.jp/phonebook/M07006/28216/L0663221/
2017年05月20日
散歩なうです。2回目、押しボタン
散歩なうです。2回目、
押しボタン信号
押して、3、4秒で、青に変わりました(^^)/~~~
2016年8月30日に投稿した記事です。
押しボタン式信号機
押しボタン式信号機(おしボタンしきしんごうき)とは、信号機において、歩行者の横断要求を押ボタン箱により受付、要求がある場合に歩行者信号を青にする信号処理方法である。
出典先ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%BC%E3%81%97%E3%83%9C%E3%82%BF%E3%83%B3%E5%BC%8F%E4%BF%A1%E5%8F%B7%E6%A9%9F
押しボタン信号
押して、3、4秒で、青に変わりました(^^)/~~~
2016年8月30日に投稿した記事です。
押しボタン式信号機
押しボタン式信号機(おしボタンしきしんごうき)とは、信号機において、歩行者の横断要求を押ボタン箱により受付、要求がある場合に歩行者信号を青にする信号処理方法である。
出典先ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%BC%E3%81%97%E3%83%9C%E3%82%BF%E3%83%B3%E5%BC%8F%E4%BF%A1%E5%8F%B7%E6%A9%9F
2017年05月15日
本町商店街、この道を歩いてみます。
こんにちは、高砂市、高砂の町、高砂町の散歩投稿です。
本町商店街
この道を歩いてみます。
蔵ですね。
緑青が出ています。
2016年8月9日に投稿した記事です。
追記再送
緑青
緑青(ろくしょう)とは、銅が酸化することで生成される青緑色の錆である。銅青(どうせい)や銅銹(どうしゅう)ともいう。銅合金の着色に使用されたり、銅板の表面に皮膜を作り内部の腐食を防ぐ効果や抗菌力がある。
出典先ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%91%E9%9D%92
本町商店街
この道を歩いてみます。
蔵ですね。
緑青が出ています。
2016年8月9日に投稿した記事です。
追記再送
緑青
緑青(ろくしょう)とは、銅が酸化することで生成される青緑色の錆である。銅青(どうせい)や銅銹(どうしゅう)ともいう。銅合金の着色に使用されたり、銅板の表面に皮膜を作り内部の腐食を防ぐ効果や抗菌力がある。
出典先ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%91%E9%9D%92
2017年05月14日
魚町倶楽部
こんにちは、高砂市、高砂の町、高砂町の散歩投稿です。
路地を入ると
洋館が
魚町倶楽部と書いてあります。
古くにあった。会社の施設かな。
2016年9月16日に投稿した記事です。
追記再送
1904年(明治37年)、神戸製紙所高砂工場内に、アメリカ人技師長M.J.シェイの居住施設として建設された。1905年(明治38年)、社名が三菱製紙所と変わって、当洋館は現在地へ移築された。 以来、同社の厚生施設「三菱製紙魚町倶楽部」として現在に至っている。
出典先ウィキペディア
三菱製紙魚町倶楽部
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%8F%B1%E8%A3%BD%E7%B4%99%E9%AD%9A%E7%94%BA%E5%80%B6%E6%A5%BD%E9%83%A8
2017年05月10日
高砂神社の鳥居
こんにちは、高砂市、高砂の町、高砂町の散歩投稿です。
東宮町の屋台倉
屋台倉から見た高砂神社の鳥居
大きい鳥居です。
高砂神社は、次の機会にお参りします。
2016年8月11日に投稿した記事です。
追記再送
出典先
高砂神社HP
http://takasagojinja.takara-bune.net/about.html
神功皇后が外征のとき、大己貴命の神助を得て敵を平らげられた。帰国の途中、この地に船を寄せられ、国家鎮護のた命をまつられたのが高砂神社のはじまりです。その後、天禄年間(970年)〜(972年)国内に疫病が流行し、庶民が苦しんでいた時、神託によって素盞嗚命(すさのうのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)をあわせまつったところ、疫病がたちまちおさまったので、庶民は喜んでお礼参りをした。文禄元年(1592年)豊臣秀吉は、朝鮮出兵のときこの神社に参拝し戦勝を祈願したと伝えられる。 池田輝政をはじめ、歴代姫路城主は社領を寄進し、特に