今津町
南堀川沿いに東西に連なる町なみ
町名の由来は元和年間(一六一五〜二四)姫路藩主本田忠正が加藤隼人らに命じて町づくりを行った際、加古川対岸の今津町から移住した者が多かったことによる。
南堀川に面した船着場で問屋の蔵が建ち並びにぎわった町であった。
木下屋利兵衛ほか三人の大蔵元がいた。
儒学者で申義堂や姫路藩校の教授であった菅野真斉・白華親子は当町の出身である。
天保十二年(一八四一)の家数十三戸・人数四十六人
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