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2014年06月11日
・・・・・出発!
そんな事がありながらもアメリカ行きの気持ちは変わらない
そして、1冊の本と出逢った
その本は、アメリカを訪れた日本人の青年が
ユダヤ人の大富豪と出会い
幸せなお金持ちになる方法を教わったというものなのだが
その中に
『明日する事が無い人になりなさい』
と言う言葉があった。
簡単に言えば、働かなくても収入が入ってくるシステムを作りなさい
と言う意味なのだが
僕はその言葉に衝撃を受けた
それまでは、一生どこかの会社に勤めて、出世して、いい収入を得る
と言う事しか、考えてなかったのだけれど
そんな生き方もあるのか!と思った
僕もそんな人に出会いたいっ!と思った
これで、ますますアメリカに行く決意が固まった
よしっ!アメリカンドリームをつかもう!
そう思った
そして、1年が過ぎた
よし!出発だ!!!・・・・・・とは言うものの
まだ遊びたい盛りだった僕
1年間、実家で暮らして100万円程貯めるつもりが
好き放題、遊んだ結果・・・・・貯まったのは、たったの30万程
そこで考えた
きっと、100万円も持って行ったら安心して向こうでのんびりしてしまうだろう
チケットが約10万円
保険にも入ると、手元に残るのは10万ちょっと
これで何とかしよう!
この時は、大げさでなく死ぬ覚悟だった
アメリカどころか、海外旅行も行った事がなかった
テレビで見るアメリカは銃社会で、凶悪犯罪もよくある危ない国
だけど、死んだらそこまで。俺もそこまでの人間なんだろう
そう思った。
お金も十分にない。最悪、野宿もする覚悟だった
そしてチケットを買いに旅行代理店へ
アメリカと言っても広い、どこへ行こうか迷っていたが
決め手がない
ニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコ、シカゴ、フロリダ・・・・・・
聞いたことはあるが、どこへ行ったらいいのかさっぱり
だから、旅行代理店の担当の人に
『海が近くて、治安が良くて、温かいところはどこですか?』
と、尋ねると
『サンディエゴはいかがですか?』
と言われたので、そこに決めた
行ってイヤなら、向こうで街を変えればいい
それくらいの軽い気持ちで決めた
長時間のフライトで疲れているだろう初日だけはホテルを予約しておいた
よしっ!出発の準備は整った
・・・・・と言っても、チケットと1日目のホテル、そしてカバン1つと現金10万円
だけど、とりあえず行ってみないと何も分からないから
よしっ!出発だ!
名古屋空港へ行き、初めての海外
チェックインの仕方もよくわからない
案内所などで聞いてチェックインを済ます
不安だった、怖かった
だけど、飛行機にさえ乗ってしまえば、後戻りはできない
覚悟を決めて飛行機に乗り込む
そして飛行機はアメリカへと向けて飛び立った
↓ 思い立ったが吉日
そして、1冊の本と出逢った
その本は、アメリカを訪れた日本人の青年が
ユダヤ人の大富豪と出会い
幸せなお金持ちになる方法を教わったというものなのだが
その中に
『明日する事が無い人になりなさい』
と言う言葉があった。
簡単に言えば、働かなくても収入が入ってくるシステムを作りなさい
と言う意味なのだが
僕はその言葉に衝撃を受けた
それまでは、一生どこかの会社に勤めて、出世して、いい収入を得る
と言う事しか、考えてなかったのだけれど
そんな生き方もあるのか!と思った
僕もそんな人に出会いたいっ!と思った
これで、ますますアメリカに行く決意が固まった
よしっ!アメリカンドリームをつかもう!
そう思った
そして、1年が過ぎた
よし!出発だ!!!・・・・・・とは言うものの
まだ遊びたい盛りだった僕
1年間、実家で暮らして100万円程貯めるつもりが
好き放題、遊んだ結果・・・・・貯まったのは、たったの30万程
そこで考えた
きっと、100万円も持って行ったら安心して向こうでのんびりしてしまうだろう
チケットが約10万円
保険にも入ると、手元に残るのは10万ちょっと
これで何とかしよう!
この時は、大げさでなく死ぬ覚悟だった
アメリカどころか、海外旅行も行った事がなかった
テレビで見るアメリカは銃社会で、凶悪犯罪もよくある危ない国
だけど、死んだらそこまで。俺もそこまでの人間なんだろう
そう思った。
お金も十分にない。最悪、野宿もする覚悟だった
そしてチケットを買いに旅行代理店へ
アメリカと言っても広い、どこへ行こうか迷っていたが
決め手がない
ニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコ、シカゴ、フロリダ・・・・・・
聞いたことはあるが、どこへ行ったらいいのかさっぱり
だから、旅行代理店の担当の人に
『海が近くて、治安が良くて、温かいところはどこですか?』
と、尋ねると
『サンディエゴはいかがですか?』
と言われたので、そこに決めた
行ってイヤなら、向こうで街を変えればいい
それくらいの軽い気持ちで決めた
長時間のフライトで疲れているだろう初日だけはホテルを予約しておいた
よしっ!出発の準備は整った
・・・・・と言っても、チケットと1日目のホテル、そしてカバン1つと現金10万円
だけど、とりあえず行ってみないと何も分からないから
よしっ!出発だ!
名古屋空港へ行き、初めての海外
チェックインの仕方もよくわからない
案内所などで聞いてチェックインを済ます
不安だった、怖かった
だけど、飛行機にさえ乗ってしまえば、後戻りはできない
覚悟を決めて飛行機に乗り込む
そして飛行機はアメリカへと向けて飛び立った
↓ 思い立ったが吉日
2014年06月08日
ありがとうございましたっ!
アメリカに行く決意をし、働いていたお店も閉店と共に辞め
アメリカへ行く資金を貯める為、実家へ帰った
よしっ!1年間お金を貯めてアメリカへ行こう!
実家でバイトを始めた
職種は何でもよかったので、父親に何かないか聞いてみると
父親が働いている農業の会社でちょうどバイトを探していたので働く事にした
これがまた気持ちよかった
田舎なので、田植えなどにお客さんの田んぼに行っても
10時と3時にはおやつやお茶を出してくれる
天気のいい日、太陽の下で働くのはとても気持ちがいい
上半身裸で田植え機に乗る
機械のスピードは決まっているので、急かされる事もない
日が暮れれば仕事は終わり
何ていい仕事なんだろう!と思った
やっぱり日本人の本質は百姓なんだと思う
そして実家へ帰ってから半年後、突然、前の店の同僚から電話がかかってきた
『オーナー亡くなったよ』
当時、オーナーは35歳。
突然の思いもよらぬ知らせに僕は混乱した
事態が呑み込めなかった
とりあえず、オーナーの地元でもあり、店のあった千葉へと急いで向かった
葬儀場に着くとそこには、棺桶に入ったオーナーが居た
心臓発作だったそうだ
あまりに突然の出来事に、この時は何がなんだかわからず
現実か夢なのかさえもわからずにいた
初めは涙も出なかった
葬儀が進んで行くにつれ
だんだんと現実が胸に沁みこんでいき
出棺と同時に涙があふれ、止める事ができなかった
自分が苦しい時に
上司として、兄貴として、友として支えてくれた人
失った悲しさと、これから先、一緒にいろいろしたい事もあった
恩返しもしてない
過去は残っているが、未来を奪われたことが
悲しくて、悔しくてしょうがなかった
葬儀を終え、実家に戻ると
また、普通の日常
ただ、仕事へ行く車の中で突然涙が溢れてくることが時々あった
しばらくそんな気持ちで過ごしていたが
『きっとここで俺が悲しんでいてもオーナーは喜ばないだろう』
『失った悲しさよりも、出会えた運命に感謝しよう』
そう思うようになった。
そして、やりたい事があるのに、突然できなくなってしまう人がいる
何の理由もなくある日突然その日は、誰の元にもやってくる可能性がある
そう思うようになり
自分が生まれてきたこと、ここで生きていられること
そんなごく当たり前の事に感謝する様になった
今までは、よく喧嘩ばかりしていた親にも
この時位から、意識して少しだけ優しくできるようになったと思う
いろんな人にありがとうの気持ちがわいてきた
プリザーブドフラワーギフト
アメリカへ行く資金を貯める為、実家へ帰った
よしっ!1年間お金を貯めてアメリカへ行こう!
実家でバイトを始めた
職種は何でもよかったので、父親に何かないか聞いてみると
父親が働いている農業の会社でちょうどバイトを探していたので働く事にした
これがまた気持ちよかった
田舎なので、田植えなどにお客さんの田んぼに行っても
10時と3時にはおやつやお茶を出してくれる
天気のいい日、太陽の下で働くのはとても気持ちがいい
上半身裸で田植え機に乗る
機械のスピードは決まっているので、急かされる事もない
日が暮れれば仕事は終わり
何ていい仕事なんだろう!と思った
やっぱり日本人の本質は百姓なんだと思う
そして実家へ帰ってから半年後、突然、前の店の同僚から電話がかかってきた
『オーナー亡くなったよ』
当時、オーナーは35歳。
突然の思いもよらぬ知らせに僕は混乱した
事態が呑み込めなかった
とりあえず、オーナーの地元でもあり、店のあった千葉へと急いで向かった
葬儀場に着くとそこには、棺桶に入ったオーナーが居た
心臓発作だったそうだ
あまりに突然の出来事に、この時は何がなんだかわからず
現実か夢なのかさえもわからずにいた
初めは涙も出なかった
葬儀が進んで行くにつれ
だんだんと現実が胸に沁みこんでいき
出棺と同時に涙があふれ、止める事ができなかった
自分が苦しい時に
上司として、兄貴として、友として支えてくれた人
失った悲しさと、これから先、一緒にいろいろしたい事もあった
恩返しもしてない
過去は残っているが、未来を奪われたことが
悲しくて、悔しくてしょうがなかった
葬儀を終え、実家に戻ると
また、普通の日常
ただ、仕事へ行く車の中で突然涙が溢れてくることが時々あった
しばらくそんな気持ちで過ごしていたが
『きっとここで俺が悲しんでいてもオーナーは喜ばないだろう』
『失った悲しさよりも、出会えた運命に感謝しよう』
そう思うようになった。
そして、やりたい事があるのに、突然できなくなってしまう人がいる
何の理由もなくある日突然その日は、誰の元にもやってくる可能性がある
そう思うようになり
自分が生まれてきたこと、ここで生きていられること
そんなごく当たり前の事に感謝する様になった
今までは、よく喧嘩ばかりしていた親にも
この時位から、意識して少しだけ優しくできるようになったと思う
いろんな人にありがとうの気持ちがわいてきた
プリザーブドフラワーギフト
2014年06月06日
密かな思い
その後、1か月間引きこもった。
一人暮らしだった僕は、毎日、パンと紅茶だけ食べて過ごしていた
何も考えたくなたかった、その日何を食べるのかさえも
毎日毎日、考えて考えて
答えが出ない事を考え続けた
何で生きているんだろう?
どうせいつか死ぬのに、何で苦しい思いをして頑張らなければいけないのだろう?
生きる意味ってなんだろう?
そんな事を毎日考えていた。
そして、何度か自殺未遂もした
やるだけやって、気が付いた
生きてる意味なんて分からない
だけど、今、死ぬこともできない
だったらせめて生きてる意味を見つける為に生きてみよう
何だか急に力が沸いてきた
働かなきゃ、せっかく始めたバーでの仕事
楽しかった、バーテンダーになりたい!そうまた思えた
そして、それから4年ほど、その店で働いた
もちろんバーテンダーにもなる事ができた
ただ、働いているうちに密かに思い始めたことがあった
『アメリカへ行きたい』
何故だろう?昔からアメリカへはどうしても行ってみたかった
自由の国
多分、この響きが好きだっただけだと思う
少しだけ英語も習い始めていた
そして、英会話スクールで外国人と話すのがとても楽しかった
僕は大して話せたわけではないけれど
外国人は話を盛り上げるのがうまいし、ノリがいい
ただ楽しかった
文法なんてぐちゃぐちゃだけど、単語をつなげて
一生懸命話して、それが伝わって
やっぱりアメリカへ行こう!
そう心の中で決意したころ
偶然、オーナーが
『一度、今の店を閉めて、1年後くらいに新しい店をオープンするから
自分のやりたい事をやってこい。もっといろいろ外を見てこい。オープンする時に声はかけるから
また一緒に働くかは、その時決めてくれればいい』
そう言った
僕は、ちょうどいい機会だ!その間にアメリカへ行こう!
そう決めた
ここまでは、いろいろありながらも、まだ普通の人生だったと自分でも思う
バーチャル英会話教室One to Oneレッスン
一人暮らしだった僕は、毎日、パンと紅茶だけ食べて過ごしていた
何も考えたくなたかった、その日何を食べるのかさえも
毎日毎日、考えて考えて
答えが出ない事を考え続けた
何で生きているんだろう?
どうせいつか死ぬのに、何で苦しい思いをして頑張らなければいけないのだろう?
生きる意味ってなんだろう?
そんな事を毎日考えていた。
そして、何度か自殺未遂もした
やるだけやって、気が付いた
生きてる意味なんて分からない
だけど、今、死ぬこともできない
だったらせめて生きてる意味を見つける為に生きてみよう
何だか急に力が沸いてきた
働かなきゃ、せっかく始めたバーでの仕事
楽しかった、バーテンダーになりたい!そうまた思えた
そして、それから4年ほど、その店で働いた
もちろんバーテンダーにもなる事ができた
ただ、働いているうちに密かに思い始めたことがあった
『アメリカへ行きたい』
何故だろう?昔からアメリカへはどうしても行ってみたかった
自由の国
多分、この響きが好きだっただけだと思う
少しだけ英語も習い始めていた
そして、英会話スクールで外国人と話すのがとても楽しかった
僕は大して話せたわけではないけれど
外国人は話を盛り上げるのがうまいし、ノリがいい
ただ楽しかった
文法なんてぐちゃぐちゃだけど、単語をつなげて
一生懸命話して、それが伝わって
やっぱりアメリカへ行こう!
そう心の中で決意したころ
偶然、オーナーが
『一度、今の店を閉めて、1年後くらいに新しい店をオープンするから
自分のやりたい事をやってこい。もっといろいろ外を見てこい。オープンする時に声はかけるから
また一緒に働くかは、その時決めてくれればいい』
そう言った
僕は、ちょうどいい機会だ!その間にアメリカへ行こう!
そう決めた
ここまでは、いろいろありながらも、まだ普通の人生だったと自分でも思う
バーチャル英会話教室One to Oneレッスン
2014年06月05日
初めて尊敬した人
そんな状態で仕事もまともに行けるわけもなく
無断遅刻を何日かした。そして、当然の様にクビを言い渡された
頭では分かっていても、その時の僕にその言葉を素直に受け入れる余裕はなかった
正社員よりも頑張って働いて、店が大変な時も頑張った
たった3、4日、仕事に穴を開けたくらい許してくれたっていいじゃないか!
と思った
が、もちろんそんなワガママが通るわけもない
そんな調子で店長と、口論をしていると
『俺が話すよ』
と言って、オーナーが入ってきた
まずは、どうしてこうなったのかと聞かれた
そして、彼女との事を話した
オーナーはただひたすら聞いてくれた
そして僕はオーナーに、ただただ素直な気持ちを伝えた
仕事は大好きだし、責任感もあった
だけど、まともに仕事に来られる精神状態ではなかった事
仕事とプライベートの板ばさみでこんな状態になってしまった事
思った事を全て伝えた
その時抱えていた気持ちを全て話した
そして
『本当は少し休みたかった』
と言うと、オーナーは
『その言葉が聞きたかったんだぞ』
と言った。
『休みたいなら休みたいと言えばいい。お前はこの店にとって必要な人間だから、待ってるから』
涙が溢れた。
自分がした事は間違いなくクビと言われてもしょうがない事。
だけど、それを咎めるわけではなく、受け止めて貰えた事。
本当に救われた
今でも、その時の事を思い出すと感謝の気持ちが溢れてくる
伝えたい想いはありますか【 NAME IN POEM 】
無断遅刻を何日かした。そして、当然の様にクビを言い渡された
頭では分かっていても、その時の僕にその言葉を素直に受け入れる余裕はなかった
正社員よりも頑張って働いて、店が大変な時も頑張った
たった3、4日、仕事に穴を開けたくらい許してくれたっていいじゃないか!
と思った
が、もちろんそんなワガママが通るわけもない
そんな調子で店長と、口論をしていると
『俺が話すよ』
と言って、オーナーが入ってきた
まずは、どうしてこうなったのかと聞かれた
そして、彼女との事を話した
オーナーはただひたすら聞いてくれた
そして僕はオーナーに、ただただ素直な気持ちを伝えた
仕事は大好きだし、責任感もあった
だけど、まともに仕事に来られる精神状態ではなかった事
仕事とプライベートの板ばさみでこんな状態になってしまった事
思った事を全て伝えた
その時抱えていた気持ちを全て話した
そして
『本当は少し休みたかった』
と言うと、オーナーは
『その言葉が聞きたかったんだぞ』
と言った。
『休みたいなら休みたいと言えばいい。お前はこの店にとって必要な人間だから、待ってるから』
涙が溢れた。
自分がした事は間違いなくクビと言われてもしょうがない事。
だけど、それを咎めるわけではなく、受け止めて貰えた事。
本当に救われた
今でも、その時の事を思い出すと感謝の気持ちが溢れてくる
伝えたい想いはありますか【 NAME IN POEM 】
2014年06月04日
無力な自分
ある日突然彼女と連絡が取れなくなった
少しうまくいってない時期だったので
『別れを切り出されたらどうしよう』
そんな不安でいっぱいだった
携帯も繋がらない、メールも返ってこない
せめて、別れるなら別れるではっきりして欲しかった
答えも分からぬまま、不安で消化しきれない日を数日過ごした
そして、やっと電話がかかってきた
そして彼女は話し始めた
彼女は高校生の時、恋人を事故で亡くしていて
その後、家出をし荒れた生活を送っていたそうだ
そんな時期に、とある人に出会い、救われ、荒れた生活から抜け出すことができた
そして、その人と3年ほど同棲していたそうだが、やがて別れ
そして、僕と付き合う事になったそうだが
1週間ほど前に友達から連絡があり、最近、その同棲していた元カレが亡くなったと言われたらしい
『今は、ショックで誰にも会いたくない。もちろん、誰かと付き合うなんて考えられない』
それが彼女の答えだった
まだ、19歳だった僕には、あまりにも重たい内容だった
そして、そんな時にこそ必要として欲しかったのに、必要とされなかったこと
それが、とても辛かった
どうにかして、彼女の心を救いたいと、必死にいろいろ考え
彼女と話したが、彼女は、そっとしておいて欲しい
ただ、それだけだった
この時の僕には、『待つ』『そっと見守る』という選択はできなかったのだ
恋人との別れ、それだけでももちろん辛かったのだが
自分の大好きな人が辛そうな時に、自分が何も力になってあげられない事、必要とされない事
自分は本当に無力な存在だと思った、そんな事を毎日考えているうちに
結局、自分は何のために生きてるのかわからなくなった
もう、生きてる意味さえない。。。
そして、そんな悩み苦しむ日々から逃れるため死のうと思った
薬局で、風邪薬などを大量に買って一気に飲んだ
飲んだ後の事はあまり覚えていない
そして、目が覚めると布団の中だった
時計を見ると20時間位が過ぎていた
少しうまくいってない時期だったので
『別れを切り出されたらどうしよう』
そんな不安でいっぱいだった
携帯も繋がらない、メールも返ってこない
せめて、別れるなら別れるではっきりして欲しかった
答えも分からぬまま、不安で消化しきれない日を数日過ごした
そして、やっと電話がかかってきた
そして彼女は話し始めた
彼女は高校生の時、恋人を事故で亡くしていて
その後、家出をし荒れた生活を送っていたそうだ
そんな時期に、とある人に出会い、救われ、荒れた生活から抜け出すことができた
そして、その人と3年ほど同棲していたそうだが、やがて別れ
そして、僕と付き合う事になったそうだが
1週間ほど前に友達から連絡があり、最近、その同棲していた元カレが亡くなったと言われたらしい
『今は、ショックで誰にも会いたくない。もちろん、誰かと付き合うなんて考えられない』
それが彼女の答えだった
まだ、19歳だった僕には、あまりにも重たい内容だった
そして、そんな時にこそ必要として欲しかったのに、必要とされなかったこと
それが、とても辛かった
どうにかして、彼女の心を救いたいと、必死にいろいろ考え
彼女と話したが、彼女は、そっとしておいて欲しい
ただ、それだけだった
この時の僕には、『待つ』『そっと見守る』という選択はできなかったのだ
恋人との別れ、それだけでももちろん辛かったのだが
自分の大好きな人が辛そうな時に、自分が何も力になってあげられない事、必要とされない事
自分は本当に無力な存在だと思った、そんな事を毎日考えているうちに
結局、自分は何のために生きてるのかわからなくなった
もう、生きてる意味さえない。。。
そして、そんな悩み苦しむ日々から逃れるため死のうと思った
薬局で、風邪薬などを大量に買って一気に飲んだ
飲んだ後の事はあまり覚えていない
そして、目が覚めると布団の中だった
時計を見ると20時間位が過ぎていた
2014年06月03日
バーテンダー
カッコいいから、ただそれだけの理由で始めたバーテンダー
ただ、始めてみると奥が深かった
初めは僕は厨房で働いていた
と言うのも、接客の仕方も知らない。言葉づかいも知らない。もちろんカクテルの事も知らない
それでは、お客様にいいサービスはできない
なので、まず厨房からスタート
その間にカクテルの事も勉強する
1年ほどそうして過ごせば、1年後には自動的にカクテルの事も料理の事も覚える事ができ
そして、フロアスタッフとしてお客様の質問に答えたり、商品を説明できる状態になっているのだ
もともと料理好きだった僕は楽しかった。初めて見るプロの料理方法
楽しかった
また、この店のオーナーの事が大好きだった
僕がやりたい!と思ったことは
『とりあえずやってみろ』と言うスタンスの人だった
色んな料理の試作を作った
他のバイトの人間より働いた
たくさん働いたおかげで、時給だった僕は正社員よりもいい給料をもらった時もあった
仕事は楽しくて、職場環境や人にも恵まれ順調だった
・・・・・が
そんなある日、突然、思いもよらない理由で彼女と別れる事になる
ただ、始めてみると奥が深かった
初めは僕は厨房で働いていた
と言うのも、接客の仕方も知らない。言葉づかいも知らない。もちろんカクテルの事も知らない
それでは、お客様にいいサービスはできない
なので、まず厨房からスタート
その間にカクテルの事も勉強する
1年ほどそうして過ごせば、1年後には自動的にカクテルの事も料理の事も覚える事ができ
そして、フロアスタッフとしてお客様の質問に答えたり、商品を説明できる状態になっているのだ
もともと料理好きだった僕は楽しかった。初めて見るプロの料理方法
楽しかった
また、この店のオーナーの事が大好きだった
僕がやりたい!と思ったことは
『とりあえずやってみろ』と言うスタンスの人だった
色んな料理の試作を作った
他のバイトの人間より働いた
たくさん働いたおかげで、時給だった僕は正社員よりもいい給料をもらった時もあった
仕事は楽しくて、職場環境や人にも恵まれ順調だった
・・・・・が
そんなある日、突然、思いもよらない理由で彼女と別れる事になる
東京へ行こう
自動車学校から戻った僕だったが
彼女とは連絡を取っていた
そしてある日、決意した
やっぱり告白しよう!
いろんな事を考えた。遠距離になったら、いろいろしんどいと思った
だけど、やっぱり好きな気持ちは変わらなかった
そして告白。
彼女は『そう言ってくれるのを待っていた。』と答えた
晴れて付き合う事となったのはいいが、やっぱり遠距離は辛い
名古屋で暮らしていた僕だったが、特にやりたい事があったわけではない
そして、東京に憧れていた
よしっ!ちょうどいい機会だ!東京へ行こう!
さっそく引っ越しの準備をし、東京へ引越す事に
だが、東京の家賃は高かった
そして、彼女の勧めもあり、東京から電車で20分ほどの千葉県の松戸に住むことにした
仕事は、昔、先輩に連れて行ってもらった時、カッコいい!と思って憧れた職業
バーテンダー
そして、何気なく始めた、この仕事
この時は、まさか海外でこの仕事をする事になるとは思っていなかった
それも、このバーで人生を変えるような出会いがあった事がきっかけだった。
彼女とは連絡を取っていた
そしてある日、決意した
やっぱり告白しよう!
いろんな事を考えた。遠距離になったら、いろいろしんどいと思った
だけど、やっぱり好きな気持ちは変わらなかった
そして告白。
彼女は『そう言ってくれるのを待っていた。』と答えた
晴れて付き合う事となったのはいいが、やっぱり遠距離は辛い
名古屋で暮らしていた僕だったが、特にやりたい事があったわけではない
そして、東京に憧れていた
よしっ!ちょうどいい機会だ!東京へ行こう!
さっそく引っ越しの準備をし、東京へ引越す事に
だが、東京の家賃は高かった
そして、彼女の勧めもあり、東京から電車で20分ほどの千葉県の松戸に住むことにした
仕事は、昔、先輩に連れて行ってもらった時、カッコいい!と思って憧れた職業
バーテンダー
そして、何気なく始めた、この仕事
この時は、まさか海外でこの仕事をする事になるとは思っていなかった
それも、このバーで人生を変えるような出会いがあった事がきっかけだった。
初めての恋
予備校を変え、大学受験を目指した
寮へ入った。周りは一つ年上の浪人生達
今までまじめに高校生活を送って、浪人してさらに大学を目指そうと思う人たち
そんな中で、僕は浮いていた
髪の毛はロン毛の金髪。ピアスたくさん
前の予備校では、そんなの普通だったのに、ここには居ない
ちなみに寮の門限は午後8時、まさに勉強漬けにするための施設だ
そんな環境で僕が耐えられるわけもなく
5月には一人暮らしを始めた
初めての一人暮らし、胸が躍った
一応予備校には通っていたが、だんだんとサボる日が増えていった
また浪人生達も親元を離れた解放感から、この時期は遊んでいた
寮を出ると、授業には行かず、予備校のすぐ近くに住んでいた僕の家に来る
そして、麻雀、パチンコ、ボーリング、カラオケ、ビリヤード
毎日のように遊びに行っていた
そんな日々を半年ほど続けていたが、さすが浪人生
夏ごろから、だんだんと真面目に勉強をしだした
だが、前の予備校の友達もいて遊び相手に困っていなかった僕は、遊び続けた
結果、大学受験さえもせず1年を遊んで過ごし
18歳を迎えた
そして、とりあえず自動車の免許を取る為
合宿で自動車学校に通った
普通に通うより安かったのだ
そして通い始めた自動車学校
その時は5月だったので生徒も少なかった
宿舎には、僕と、23歳の可愛い女の子、30代前半くらいの水商売をしていそうな感じのお姉さん
あと、大型の免許を取りに来ていたおじさん。
この4人だけだった
そして、昼間は教習。夜は宿舎で僕と女の子2人と毎日飲んで遊んだ
約2週間の合宿。そんな中で、僕と23歳の女の子は、だんだんと距離を縮め、僕は彼女の事を好きになった
だが合宿を終えれば、彼女は地元に帰ってしまう
彼女の地元は関東だった
離れ離れになるのはイヤだから、告白もしなかった
そして、そのまま合宿を終えお互いの地元へ帰った
僕にとっては本当に人を好きになったのは、この時が初めてだったと思う
寮へ入った。周りは一つ年上の浪人生達
今までまじめに高校生活を送って、浪人してさらに大学を目指そうと思う人たち
そんな中で、僕は浮いていた
髪の毛はロン毛の金髪。ピアスたくさん
前の予備校では、そんなの普通だったのに、ここには居ない
ちなみに寮の門限は午後8時、まさに勉強漬けにするための施設だ
そんな環境で僕が耐えられるわけもなく
5月には一人暮らしを始めた
初めての一人暮らし、胸が躍った
一応予備校には通っていたが、だんだんとサボる日が増えていった
また浪人生達も親元を離れた解放感から、この時期は遊んでいた
寮を出ると、授業には行かず、予備校のすぐ近くに住んでいた僕の家に来る
そして、麻雀、パチンコ、ボーリング、カラオケ、ビリヤード
毎日のように遊びに行っていた
そんな日々を半年ほど続けていたが、さすが浪人生
夏ごろから、だんだんと真面目に勉強をしだした
だが、前の予備校の友達もいて遊び相手に困っていなかった僕は、遊び続けた
結果、大学受験さえもせず1年を遊んで過ごし
18歳を迎えた
そして、とりあえず自動車の免許を取る為
合宿で自動車学校に通った
普通に通うより安かったのだ
そして通い始めた自動車学校
その時は5月だったので生徒も少なかった
宿舎には、僕と、23歳の可愛い女の子、30代前半くらいの水商売をしていそうな感じのお姉さん
あと、大型の免許を取りに来ていたおじさん。
この4人だけだった
そして、昼間は教習。夜は宿舎で僕と女の子2人と毎日飲んで遊んだ
約2週間の合宿。そんな中で、僕と23歳の女の子は、だんだんと距離を縮め、僕は彼女の事を好きになった
だが合宿を終えれば、彼女は地元に帰ってしまう
彼女の地元は関東だった
離れ離れになるのはイヤだから、告白もしなかった
そして、そのまま合宿を終えお互いの地元へ帰った
僕にとっては本当に人を好きになったのは、この時が初めてだったと思う
ヤンキー予備校へ通う
僕が通っていた予備校、それは大検(高卒認定)取得がメインの予備校で
中には20過ぎの大人の生徒もいたが、高校中退や、高校に行かなかったやんちゃな同世代の生徒が多かった
もちろん僕もそんなお年頃。大いに影響され、多少の悪い事はした
タバコを吸い始めたり、パチンコに行ったり、バイクに乗ったり
それでも、勉強は好きだった僕
勉強だけはしっかりしていた。大検も一発で受かった
今は知らないが、この頃の大検は夏に試験があった
高校2年の夏で大検が取れたからと言って、飛び級で大学に行けるわではなく
18歳までは、大学受験資格はなかった
だから、また遊んだ
最終的には、祭りで知り合ったテキ屋(お祭り屋台)の親方の所でバイトをしていた
某レンタルビデオ店の前で毎日たこ焼きを焼いたりしていた
もちろん、入れ墨バンバンの方たちの事務所にも行く機会もあった
行くたびに、うちで働かないかと誘われた
もちろん、そこはちゃんとお断りしていたが、テキ屋は続けていた
楽しかったのだ
テキ屋は何気にモテる。お祭りで開放的になってる女の子
そして、テキ屋とかでバイトしているやんちゃそうな子は当時はモテた
半分、遊びの様な感覚で仕事をしていた
だけど、僕は自分でも本当に時々、自分を不思議に思う
大学へは行きたかったのだ
そして、高校3年生になる年の春、大学受験専門の予備校へと移った
中には20過ぎの大人の生徒もいたが、高校中退や、高校に行かなかったやんちゃな同世代の生徒が多かった
もちろん僕もそんなお年頃。大いに影響され、多少の悪い事はした
タバコを吸い始めたり、パチンコに行ったり、バイクに乗ったり
それでも、勉強は好きだった僕
勉強だけはしっかりしていた。大検も一発で受かった
今は知らないが、この頃の大検は夏に試験があった
高校2年の夏で大検が取れたからと言って、飛び級で大学に行けるわではなく
18歳までは、大学受験資格はなかった
だから、また遊んだ
最終的には、祭りで知り合ったテキ屋(お祭り屋台)の親方の所でバイトをしていた
某レンタルビデオ店の前で毎日たこ焼きを焼いたりしていた
もちろん、入れ墨バンバンの方たちの事務所にも行く機会もあった
行くたびに、うちで働かないかと誘われた
もちろん、そこはちゃんとお断りしていたが、テキ屋は続けていた
楽しかったのだ
テキ屋は何気にモテる。お祭りで開放的になってる女の子
そして、テキ屋とかでバイトしているやんちゃそうな子は当時はモテた
半分、遊びの様な感覚で仕事をしていた
だけど、僕は自分でも本当に時々、自分を不思議に思う
大学へは行きたかったのだ
そして、高校3年生になる年の春、大学受験専門の予備校へと移った
2014年06月02日
母に追い出される
高校を中退したはいいが、何かやりたい事があったわけでも無い
地元はド田舎、高校中退でできる仕事なんて、ガテン系のみ
ただ、そこはインテリきどりだった僕は
当時
『あんな体使った仕事できるか!僕はもっとかっこいい仕事するんだ!』
って思ってた。
もちろん、今ではそんな事思ってませんが
ただ、何をしたいのかもわからない
そんな感じで、実家で何をするわけでも無く過ごしていると
母親が
『あなた、こんなところに居てもしょうがないから、出てきなさい』
と、突然言い出した
一人暮らしに、憧れていた僕
ヤッターと心の中で叫んだ!
・・・が、内容は、名古屋で一人暮らしをしているおじさんの家に居候させてもらいながら
大検を取るための予備校に行く事だった
居候なのは少しがっかりだったが、それよりも名古屋に住めることの方が嬉しかった
そして始まった、名古屋での暮らし
嬉しかった、もちろんそれまでに名古屋には遊びにいった事がある
この東海地方では一番の大都市
なにもかも新鮮で、本当にただの田舎から出てきた、都会に憧れる少年だったと思う
しかも自由だ!校則もない、親も居ない
髪を染めようが、ピアスをしようが、夜遊びをしようが自由だ
予備校に通いながら、夜はバイトをする
バイトも、おじさんのコネで空港で働いていた
時給は良かった。まだ、高校生の年の僕には12,3万円ほどの給料は大金だった
服を買ったり、CDを買ったり、飲みに行ったり、カラオケへ行ったり
遊んだ
そんなウキウキ気分で始まった名古屋生活だった
↓ 名古屋と言ったら、エビフリャ〜
地元はド田舎、高校中退でできる仕事なんて、ガテン系のみ
ただ、そこはインテリきどりだった僕は
当時
『あんな体使った仕事できるか!僕はもっとかっこいい仕事するんだ!』
って思ってた。
もちろん、今ではそんな事思ってませんが
ただ、何をしたいのかもわからない
そんな感じで、実家で何をするわけでも無く過ごしていると
母親が
『あなた、こんなところに居てもしょうがないから、出てきなさい』
と、突然言い出した
一人暮らしに、憧れていた僕
ヤッターと心の中で叫んだ!
・・・が、内容は、名古屋で一人暮らしをしているおじさんの家に居候させてもらいながら
大検を取るための予備校に行く事だった
居候なのは少しがっかりだったが、それよりも名古屋に住めることの方が嬉しかった
そして始まった、名古屋での暮らし
嬉しかった、もちろんそれまでに名古屋には遊びにいった事がある
この東海地方では一番の大都市
なにもかも新鮮で、本当にただの田舎から出てきた、都会に憧れる少年だったと思う
しかも自由だ!校則もない、親も居ない
髪を染めようが、ピアスをしようが、夜遊びをしようが自由だ
予備校に通いながら、夜はバイトをする
バイトも、おじさんのコネで空港で働いていた
時給は良かった。まだ、高校生の年の僕には12,3万円ほどの給料は大金だった
服を買ったり、CDを買ったり、飲みに行ったり、カラオケへ行ったり
遊んだ
そんなウキウキ気分で始まった名古屋生活だった
↓ 名古屋と言ったら、エビフリャ〜