【人間関係とは何か?】
人生において、
人間関係は不可欠なものです。
では、
人間関係とは何でしょうか?
これについて、
『ゆだねるということ(下)』(著者 ディーパック・チョプラ 訳者 住友進 サンマーク文庫)
の中に、こう書いてあります。
「人間関係とは何かを理解することが、
シンクロディスティニを実現するきわめて重要な鍵です。
現代社会やいわゆる西洋文明では、
大衆心理学に頼って自分の思考や感情を巧みに処理する方法を考え出そうとします。
自己啓発書は、
もっと満足できる人間関係を築き上げるためのコントロール術を提案しています。
しかし、
どれもみなノウハウにすぎません。
ノウハウを超えた積極的な人間関係が、
シンクロディスティニを起こす人的環境の下地となります。
地球に重力があり、空気があるのとまったく同じように、
人間関係は不可欠なものです。
第二の原理のスートラは、
『わたしは、それである』
という意味です。
この原理の土台である第一の原理で、
わたしたち全員が宇宙のエネルギーの領域に包みこまれていて、
異なる視点はもっていても、
実際には同じひとつの存在であることを学びました。
『わたしは、それである』とは、
世界のなかのあらゆるものを観察して、
自分のもうひとつの姿がそのすべてのなかに映し出されていると気づくことなのです。
あなたとわたしは同じであり、
すべてのものが同じです。
わたしは『それ』であり、
あなたも『それ』であり、
すべてのものが『それ』なのです。
誰もが他者を映し出している鏡です。
わたしたちは他人のなかに自分の姿が映し出されていることに気づかなくてはなりません。
これを『関係の鏡』と呼びます。
関係の鏡を利用して、
『すべて』である自己を見つけ出すのです。
人間関係は魂を進化させる手段でもあります。
この進化の究極の目標は、
宇宙との一体感を肌で感じとることです。
人間はひとり残らずこの宇宙の意識に含まれていますが、
日常生活のなかで宇宙とのつながりに気づいたときにしか、
わたしたちは大きく飛躍することができないのです。
また、
人間関係を断たれてしまうと人は生きてはいけません。
親、子供、恋人、同僚など、
自分が築きあげた人間関係の網の目をいつも意識しましょう。
心の奥底では人間関係のすべてがスピリチュアルな体験なのです。
人を愛しているときは、
時が止まったように感じるものです。
その瞬間、
あなたは不確実なものとも調和しています。
あなたは最高の気分を味わいつつも、
傷つきやすくなっています。
親密さを感じつつ、
危険にさらされたような気持ちを抱えています。
この状況のなかで、
人は変容していきますが、
そのことに不安はなく、
むしろ驚きの念を抱いています。
これがスピリチュアルな体験なのです。
あらゆる人間関係の鏡を通し、
わたしたちは自分の知覚が拡大されていくのに気づきます。
あなたが好きな人も、
嫌いな人も、
同じように自分自身を映し出す鏡です。
あなたはどんな人に魅力を感じますか?
おそらく自分と似た性格の人でしょうが、
同じというだけで好きになることはありません。
その人と仲良くなりたいのは、
付き合うことでその人物の特徴を自分でももっと表に出したいと潜在意識で思っているからです。
魅力を感じる人が現れたなら、
なぜその人物に心を引かれるのか、
自分の胸に問いかけてください。
魅力を感じたのは、
その人の美しさ、
気品、
優雅さ、影響力、
権力、
知性のいずれでしょうか?
理由が何であれ、
その人物の性質が、
あなたのなかでまだ開花していないことを確認してください。
そうすれば、
自分のほんとうの姿にもっと近づくことができます。
もちろん、
嫌いな人にも同じことが言えます。
自分が否定している性格を映し出している人物に対して、
人は嫌悪感を覚えます。
しかし、
とことん見つめれば、
あなたが嫌いな人物と共通する性格をもっていることにきっと気づくはずです。
ほんとうの自分の姿に近づこうとするとき、
あなたは自分自身の嫌な面に気づき、
その面に対処していかなくてはなりません。
対立している価値が共存しているところに、
宇宙の本質的な性質があります。
心のなかに臆病者がいなければ、
あなたは勇敢にはなれません。
内面にけちな人間が住んでいなければ、
太っ腹になることはできません。
悪の才能がなければ、
徳の高い人間にもなれないのです。
わたしたちはマイナス面がないかのように振る舞い、
嫌な性質をほかの人間に投影しています。
知らないうちに、
『ふさわしくない』人間を自分のまわりに引き寄せている人がいないでしょうか?
なぜ繰り返し、
そんなことになってしまうのか、
彼らは気づいていません。
そういった人は嫌いな人を引き寄せているのではなく、
自分のなかにも彼らと同じ性質があることを認めようとしないだけなのです。
不愉快な人間と出会ったなら、
対立するものの共存という逆説を受け入れ、
あなた自身の新しい面を発見する機会として利用してください。
あなたのスピリチュアリティ、
自己はそれで一歩成長します。
この世で悟りを開いている人は、
光と闇の両方がもつ可能性をきちんと受け入れています。
自分のマイナスの性質に気づき、
認めている人といっしょにいるとき、
あなたは彼らに評価を下されているとはまったく感じません。
何かを判断しようとするのは、
自分とは関係ないと一線を引き、
善悪、正誤を見きわめようとする心の表れなのです。
進んで自己の光と影の部分を認められた瞬間、
わたしたちは自分自身、
そして人間関係のどちらも改善していくことができるのです。
他人のなかに自分の姿を見いだせることがわかれば、
すべての人間関係が自分の意識を進化させる手段になります。
意識が進化すると、
知覚が拡大されていきます。
知覚が拡大された瞬間、
『すべて』である領域に到達し、
シンクロディスティニを体験できるようになります。
(中略)
どんな人間にも複数の顔、
いや、
あらゆる顔があります。
世の中に存在するすべてのものが、
あなたの心にも存在しています。
このような自分のもつさまざまな面を受け入れたとき、
宇宙の意識とのつながりに気づき、
あなたの認識は拡大されていきます。
関係の鏡が人生に及ぼす大きな影響について説明している、
スーフィー教の素晴らしい話があります。
ひとりの男がある村を訪れ、
村の古老でスーフィー教の師に会いに行きました。
訪問者は言いました。
『この村に引っ越そうかどうか、考えているところです。
ここに住む村人たちはどんな人か、教えていただけませんか?』
スーフィー教の師が、
『あなたが住んでいた村の人々は、どんな人たちでしたか?』
と逆に尋ね返すと、
訪問者は
『強盗、詐欺師、嘘つきだらけです』
と答えました。
すると、師はこう答えました。
『いいですか。
ここの村人もまったく同じ人間ばかりですよ』
男は村を去り、二度と戻ってはきませんでした。
三十分後、別の男が村にやってきました。
彼もスーフィー教の師を探し、こう尋ねました。
『わたしはここに引っ越そうかどうか、考えているところです。
ここに住む村人たちはどんな人か、教えていただけませんか?』
師は再び、
『あなたが住んでいた村の人々は、どんな人たちでしたか?』
と問い返しました。
訪問者は
『とても親切で、やさしくて、思いやりがあり、愛情深い人々でした。
会えなくなると、とてもさびしくなるでしょう』
と答えました。
すると師は答えました。
『ここに住んでいる村人もまったく同じ人間ばかりですよ』
この話は、他人のなかにもっともはっきりと見えている特色が、
自分のもついちばん強烈な性格であることを思い出させてくれます。
関係の鏡を覗き込めるようになると、
自分の全貌が見えてきます。
この鏡を使えるようにするためには、
曖昧な状況に置かれても不安にならず、
自分のもっているすべての面を認めなくてはなりません。
心の奥深くに否定的な特徴があるからといって、
人間失格というわけではないのです。
弱点のない人などひとりもいません。
自分の短所を認めるのは、
逆に自分が完璧な人間であることの証明なのです。」(39頁〜46頁)
外界は内界を映し出す鏡です。
鏡を利用して、
心の豊かさを追究することが大切です。
人間関係は、
己の魂を成長させる手段です。
人間関係のすべてが『学び』です。
人間関係を通して、
自己意識の進化と向上に努めましょう
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『すべての人が、自分自身の姿を映し出してくれる鏡だと思いなさい』(ディーパック・チョプラ)
『人のふり見て我がふり直せ』
(推薦図書)
『ゆだねるということ(下)』
(著者 ディーパック・チョプラ 訳者 住友進 サンマーク文庫)
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