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2022年08月12日

空海、写経1000巻して遣唐使ギリギリ・セーフ! 

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空海、写経1000巻して遣唐使ギリギリ・セーフ! 




空海は遣唐使として。わずか2年で
唐から密教を持ち込んだように
さらっと伝えられていますが、


実は
そんなに簡単な事じゃなかったの。



空海は秘密の『大日経』を
やっとのことでを見ることができました。




これも、願いが周りのご縁によって
引き寄せられたんだったわね!



しかし「写し」だったので
誤字脱字がたくさんあったり
梵字で書かれていたため
完璧に理解したとは納得できなかった。



それで空海はどうしても
遣唐使として長安に
行きたかったのですが



遣唐使が派遣されると聞いたのは、
ほとんど遣唐使の選考が終わる時期。




第16次遣唐使派遣の詳しい情報が
大安寺に入ってきたのは
遣唐大使に藤原葛野麻呂
ふじわらのかどのまろ
が、任命された次の年だったのです。




遣唐使は前回の派遣以来
24 .5年ぶりで、803年に
派遣される予定でした。




この時空海は29歳、最澄は36歳で
既に国から遣唐使として
派遣されることが決まっていました。





かたや




空海はまだ「ただの私度僧」の身分で
国から僧として官許されていなかった。




第16次遣唐使派遣を知った空海は
入唐を願いましたが、大学中退の上、
独学で身に付けた膨大な知識が
あるだけでした。




ようするに、




ただの仏教オタク。社会的には「プータロー」




遣唐使としての資格は
1つもなかったのです。





しかし
空海の能力を知っている人たちが
起死回生の策を講じてくれました。




時期を見て、空海に
得度させるつもりだった勤操を始め
叔父の阿刀大足や、亡き佐伯毛人の
一族につながる有力な官僚たち、




そして東大寺の別当などが、




それぞれの伝を頼って
遣唐使派遣に関与する
階級の高い官僚に根回しをし
空海の入唐を願い出てくれた。




しかし、空海の
遣唐使になりたい動機としての
『大日経』の学びについては
知っている人が少なかったので
何のことを学ぶか
納得していただけなかった。







そして




空海は遣唐使になることができず




遣唐使船が803年4月出航するのを見送るしかなかったのです。




しかしながら、その遣唐使の船団が
出発して6日目に大風を伴う
激しい雨に遭遇し難破や漂流の
恐れが生じました。







そのため
4隻の遣唐使船は引き返して
第1船は太宰府に戻りました。




神風逆バージョン?




「もう行きたくない」と
遣唐使をやめる人が何人も
いたってこと・・・




そして遣唐使船の出航が
翌804年の7月まで延期され、
乗組員や留学生の
欠員補充枠ができたの。




これこそ千載一遇のチャンス!




と再び空海の周りの人たちが
関係者へ根回しをしました。







最初よりも時間が経ったので
空海を応援する人たちも
『大日経』についてスラスラと
語れるようになっていて、




「仏教界にとって空海の派遣は
必要である」と階級の高い官僚に
粘り強く力説して回りました。




中でも桓武天皇に
とりわけ可愛がられていた
第3皇子の伊予親王に
阿刀大足が空海のことを
後押しするよ呼びかけたため







伊予親王は
「空海というのは大足の甥っ子で
ずば抜けた才能の持ち主であり、
欠員補充の1人として適任だ」と
天皇に奏上をしてくれました!




そういうわけで、




空海は異例中の異例扱いで
ギリギリ滑り込みセーフで
私費留学の遣唐使として
唐にに行くことができたのです。







ギリギリセーフでしたので、
空海は7月に出る遣唐使船に乗る
わずか3ヶ月前の
4月に東大寺で出家得度をしました。







こんなふうに空海は、周りの方々の
支援と伊予親王による奏上、
まさに天佑神助のおかげで
遣唐使としてへ長安に
行くことができたのです。







空海は熱烈に
遣唐使になることを夢見ていましたが、
最初の選考に漏れた時から




一切遣唐使のことを口にしなかったそうです。




そのかわり

言霊としてここぞと言う時に
発する一言にはとてつもない
パワーがあることをご存じだった。










伝説では空海は、留学僧として
唐に渡海する前、心願成就と
航海安全を祈念し一千巻
もの
般若心経を写経して奉納したと
伝えられています。







空海は「写経」「瞑想」「沈黙」
することで、エネルギーを
巨大化していたと想像します。








般若心経を
書きまくって「心願成就」を
実現させた空海は
本当に凄いと思います。








インドでは沈黙する事で
エネルギーの消費を抑えるという
修行があるらしく、10年も20年も
喋らない僧がいるそうです。







それは、心の中で
巨大なエネルギーを育て
言霊としてここぞと言う時に
発する一言に「起死回生」
「天佑神助」のパワーがあるから








よく、引き寄せの本に
夢実現のために、一度
そのことを忘れる・・・







不足している状態に
意識が行かないようにする
というハウトゥがありますが、







このことなんだなぁ、と
空海の物語を読んで納得!







「般若心経」「瞑想」
「エネルギー循環」という
「引き寄せ」を使って








空海の精神エネルギーが
周りの人を動かし、
「遣唐使」になることができた。








唐でのミラクルな2年あまりも
帰国してからの1年もの
大宰府留め置きも







全部ぜーんぶ




空海のエネルギーが「引き寄せ」たことだったんですね!

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