2022年05月05日
96歳の父の大往生!「自分が死んじゃったこと知らないよ!」
96歳の父の大往生!「自分が死んじゃったこと知らないよ!」
5月2日に父が永眠し
3日通夜、4日葬儀と初七日まで、
無事に済ませることができ
心から、感謝しています。
いつも両親二人合わせて180歳、
と言っていましたが、
父は96歳で老衰で亡くなりました。
普通にお昼ご飯を食べて
お昼寝をして、2時半の
水分補給のジュースの時間に
ナースさんが呼吸停止に
気づいたとのこと。
心臓マッサージなど
手を尽くしてくださっても
戻ってこれなかったそうです。
そのころ
私はといえば、連休を娘たち
東京の末っ子の家で過ごす予定
でしたので、娘と孫を駅まで
送ったばかり・・・という
マサカのタイミングで・・・
病院についたら、
父はお口開けて寝てるとき
そのままで・・・
「今日、昼にお母さま
お父様にフルーツの差し入れ
持ってらして、その時は
お元気でお昼ご飯を
食堂で食べていたんです。
水分補給に行ったときに
呼吸してないことに
こちらが驚いたんですが、
お父様、ご自分が
死んだことも知らないでしょう。
本当に安らかな大往生。」
と簡単にするとそういう説明。
ただ母が2時間前には
病院に行っていたので、
母に説明しても・・・
母は、頭ではわかっていても
生きている時に会えなかった
ということが辛すぎました。
まぁ、案の定
「なぜ、さっき
会わせてくれなかったの!
100まで生きさせてくれるって
先生は約束してくれたのに
約束、破ったわね!
ウソツキ!」と
母は取り乱しましたわ。
高齢でしたので、
いつかこの日が来るとは
思っていましたが・・・
母は大悲劇・愁嘆場の主役。
芸術劇場の大ホールでも
隅々まで響き渡るような大声で
ドラマティックに
「○○って呼んで!呼んでくれなきゃ、
帰らないから!」と
母の名前を
呼べるはずのない父に言えという。
名前を呼んで!というのは
すごい事だな、とあらためて
深く、強く思った次第です。
母は父に覆いかぶさり
絡みついて離れない。
父のエンバーミングして頂いた
顔が変形するほど
両手でつかみ、頬ずりして
見ている方が恥ずかしい、
目を覆いたくなるような
生々しさに、声を失う。
大音声で
「寝てるだけでしょ!起きて!」
名前読んでよ!もう、起きて!」
と絶叫し続けるのを、
お葬儀屋さんが、
「明日の朝には、もっと男前にして
棺に入れて惚れ直しちゃうように
するからね。」
と上手に説得してくださって、
やっとこさっとこ引き離し、
当日は連れ帰ることが
できました。
私の方は、母に終始圧倒され
途方に暮れてしまうばかり。
まさか、今日とは!と
呆然としつつ、新幹線に乗ってる
ムスメにLINEして・・・
「エーッ!」ということで
新幹線に張り切って乗って
旅行満喫してた娘と孫は
帰ってくることに・・・
次の朝、1人は仕事があり
通夜に間に合うよう
新幹線に乗るからね。と。
2人は孫たち連れて、朝5時に
車で東名高速をぶっ飛ばし
岡崎で玉突き事故18台の
大渋滞に巻き込まれつつも、
3時に到着。
静岡の叔母や従姉の家族も
全員で来てくれて、
全員が、ギリギリセーフで
お通夜に間に合ったのでした。
しかし、エンバーミングって
スゴイ技術だなぁ、と
私はつくづく感心して
20歳ぐらい若返って
スマイル顔した父を見て
驚きました!
父がきれいに若返ったので
父に縋り付き絶叫する母が
年寄り10歳以上老けてしまい
まるで日本昔話の「山姥」に
見えて、哀れでたまらなく
なったのでした。
父は入院中は病院の
皆様に良くしていただき
「毎日、大奥にいるようだよ」
といっていたほど幸せでした。
その反対に母の方は
コロナで面会もできず
差し入れだけを届けるという
空しい時間が長すぎて
つらかったと思います。
葬儀が終わるまで72時間余り
「名前を呼んで!」
を何百回も聞いて、
本当に名前=その人だと
つくづく思いました。
骨拾いの時は
「あなた、すぐに迎えに来て!
一人にしないで〜っ」
「燃したりしないで〜、ヒドイ!」
「明日迎えに来て〜っ!」と
母は言っていましたが、
父のように大往生できると
いいなぁ、と思いました。
簡単には死ねないという
現実がありますが、今後も
ナントカなるさ、と
思う次第であります。
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