2022年05月02日
ウソでしょ!初めての高野山マサカの信長の墓!A
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ウソでしょ!初めての高野山マサカの信長の墓!A
高野山の聖地エリアの一つが、
弘法大師の御廟がある奥之院です。
高野山の奥の院に向かう道は
お墓がワンサカ!(笑)
あれほど、戦いに明け暮れた
戦国武将のお墓が、
陣取り合戦のように林立しています。
誰でも受け入れる高野山のようですが、
ナゼ
武将たちはこぞって墓を建てたのか?
そのわけは?
弘法大師は入定に際し、
「われ、閉目ののちは兜率天に往生し、弥勒慈尊の御前に仕え、五十億余年ののち、必す慈尊とともに下生せん」
と弟子たちに
遺言されたと伝わっています。
弥勒菩薩が現れた時に
三度、説法をする予定らしく、
その一カ所が
高野山だと言われています。
つまり戦国武将たちは
56億7千万年後の説法の
ライブに参加するために、
弘法大師御廟前の参道で
席取りに励まれているのです。
![430odaa1.jpg](/stamplover/file/430odaa1-thumbnail2.jpg)
こればかりは代理で
小姓に並ばせるわけにもいかず、
魔王・信長も自ら並んでおられます。
![430oda.jpg](/stamplover/file/430oda-thumbnail2.jpg)
死後の席取りに励む戦国武将の面々は、
石田三成、豊臣秀吉、明智光秀、
伊達政宗、武田信玄・勝頼、上杉謙信、
有名どころの戦国時代の武将は
全員集合しているかもしれません。
奥之院の参道には武将たちの
供養塔や墓、ナント約20万基が
所狭しと立ち並んでいるそう。
天皇家は別格で、門があり、
そこから先は
宮内庁の管轄と聞きました。
武将の墓・供養塔をめぐりは、
一の橋から杉が鬱蒼と生い茂る
参道を約2Km歩きます。
森林浴街道のような参道です。
この間に龍が通ったという
写真を昨日お見せしました。
![502h.jpg](/stamplover/file/502h-thumbnail2.jpg)
ガイドさんは、
この五輪塔は人間の形を表している、
とも言っていました。
が、
五輪塔は、空、風、火、水、地をも
表していて、それぞれの石に
梵字(サンスクリット文字)が
刻まれています。
私たち一般人の四角い墓は、
五輪塔の一番下の
四角い石の形とも聞きました。
つまり、
それって「下半身だけ」ってことかしら?
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