貝などが張り付いてはいるものの状態は良く鉄製の剣とみられています。う~ん…ロマンを感じますね。こういうお話大好きです。十字軍って?という人のために、少し十字軍について調べてみましょう。
十字軍とは?
十字軍とは、11世紀から13世紀後半までの間に、キリスト教徒が聖地エルサレムをイスラム教徒から奪還するための遠征軍のことを言います。この中に、テンプル騎士団もいたのですよね。この遠征は7回も行われています。当時、車も飛行機もありませんから7回の遠征となるととてつもなく長い年月、十字軍の遠征が続いたことになりますね。最初の目的は聖地奪還なのですが、長い遠征の末その目的は変化してしまい、多くの悲劇を生むことになります。
中世封建社会から絶対王政へ
この時代の西ヨーロッパは大きく変わっていきます。それまで権力を欲しいままにしていた教皇、諸侯、騎士の力が弱くなっていきます。そして遠征を指揮していた王の力が増していくのです。そのため西ヨーロッパは、封建社会から絶対王政へと時代の転換が起きたのです。その中で十字軍をバックに成長したのが軍事修道会『テンプル騎士団』です。
テンプル騎士団
テンプル騎士団とは、第一回十字軍の遠征後、聖地エルサレムに参詣に行く巡礼者の保護のために8名のフランスの騎士によって創設されたと言われています。十字軍の遠征とともにテンプル騎士団の力は大きくなります。なんと、テンプル騎士団の負債がどんどん増え、時のフランス王フィリップ4世は破産の危機に立たされていました。そのためテンプル騎士団に恨みの感情を抱くようになります。
テンプル騎士団への迫害
テンプル騎士団を全滅させるため、フィリップ4世は教皇クレメンス5世に強く働きかけます。1307年10月7日午前3時「タンプル塔」に奇襲をかけます。その日、場内の騎士5000人を逮捕します。この裁判は5年も続きました。その間に54人の騎士がとらえられてはげしい拷問が行われました。体に何本も楔を打ち自白を迫ったのです。自白した騎士は火刑に処せられて死んでいきました。
その後、1万5400人もいた騎士団は解散させられてしまいます。フィリップ4世はこのどさくさに紛れて騎士団の会計帳簿を押収して焼き捨ててしまいます。つまり、莫大な借金を踏み倒したわけです。小さな男ですよね、フィリップ4世って。1311年、ヴィエンヌ公会議でテンプル騎士団は公式に解散させられたのです。
ヨーロッパの騎士
日本でいえば侍に当たるのが騎士ですね。中世の日本でも鎌倉幕府ができて侍の時代だったころですかね。日本の場合、天皇が王だとしたらヨーロッパとは逆の歴史を歩んでいるようです。平安の時代は王族つまり皇族や貴族の社会でしたが、侍が力をつけてきて江戸時代には天下を取っています。
どの国の歴史でも、昔の遺物にはロマンを感じますね。その背景や物語がありますからね。発見された剣は長い歴史を見つめてきて何を思っているのでしょうね。