「無意味な言葉が僕の翼になる」より。
2010年12月28日投稿。
空は青く、振り仰ぐと、高く、一羽の白い鳥が、まるで空気に同調するかのようにゆったりと、頭の上を過ぎて行った。遙か昔に滅んだ遺物は海より聳え、この足は、生い茂る新緑を踏みにじって進む。見下ろせば、崖と化した遺物の下には、崩れ去った、建造物の残骸、過去の、栄光、ただ、それだけ。
その時、遠目に、残骸の島で何かが動くのを見た。
サッと、地に伏せ下を伺う。警戒の色を消せないのは、一瞬眼の捉えたものが鉄の様に鈍く光ったからだ。
キラリ、再び下で輝きが走った。その光の元には、薄紫の、髪を振り乱した女。
敵か?
恐る恐る崖の下へと顔を出す。そして捉えた、怯えるようにうずくまった女の姿。そして、紅く染まった白き布。
にやり、口の端が上がるのを抑えられない。相手はどうやら手負いのようで、そして自分を捉えていない。これなら自分の身が危険に晒されることはない、そう踏んだからだ。それに何より、この世界では、人間の命こそが、最も高価な宝石だと知っていたから…。
女を視界に捉えたまま、ゆっくりと後退る。そして互いに見えぬ所まで来ると、弾かれたように立ち上がって元来た道を駆けた。断崖の岩と岩を器用に跳び、あの高い落差を、瞬時に降りていく。
あれは何故、こんな場所に?
相手の存在も解らないまま、遺物の最下段まで降り立った。砂の残った遺物の下は、深く、深い、蒼く染まった海という奈落。生はなく、今は、ただ水面が揺れるだけの、穢れた塩水。触れてはならない。生あるものは、命を吸われてしまうから。
水に触れぬよう、遺物の周りをじわじわと、裏側から陽の当たる場所へと移動する。
そこからの動きは、ひどく機敏で、ダッと地を蹴ると、大きく跳躍、上から見下ろした女に覆い被さるように、海に浮かんだ残骸へと飛び移った。だんっ、もつれるように女を押さえつけ、低く、唸るような声で威嚇する。その手には、煌めく短刀。
「何をしている」
睨みつけた女の瞳は、紅く、手に持つ短刀は、今にも目の前の相手を刺さんかのように首筋を狙っている。
「嫌っ、助け…」
「答えろよ。無駄死にしてぇのか?」
ニヤリと歪む顔で言った。それは、目の前の命を支配したという錯覚から生まれる悦び。言うなれば、官能。
女の瞳がギラリと輝く。そして、上げられすぐに振り下ろされる煌めきに、声にならない叫びを上げたのは…、
「!」
カシャンッ、後ろ手に隠していた銃を振りつけ、視界で薄紫が揺れる。
「残念だったわね」
勝ち誇ったように言う相手の持つ銃の口は、喉元へとつきつけられ、まぁ、端から見たら絶望的な状況だ。それでも尚、短刀を握ったまま笑みを湛えている。そう、まるで、天使のように…。
「追い剥ぎ? 残念ね、私の命を奪う前にアナタの命が終わってしまうわね」
「それはどうかな」
女は、彼女は、彼女はおもむろにつきつけられた銃筒を握りしめたる。そして薄紫の女の髪が動揺と共に揺れるのにほくそ笑んでから、軽く、まるで、それはまるで、泥団子を崩すかのように軽く、銃筒に力を込めて、バキッ、亀裂が入った銃筒は、入った途端、一気に細かい鉄くずを女の上へと降らす。
短く切った赤い髪が、風を受けて揺れる。そしてその風を感じながら、勝利への快楽を感じながら、彼女はクハハッ、と、短く笑った。そして見下したように、呆然と口を開いたまま何も言えずにいる女に視線をくれて言った。
「残念だったな」
にやり、顔を歪めて笑う彼女は、天使ではなかった。ただ、その美しさは消えず、女はつい、その不釣り合いな存在に見惚れるようで…。
首を振った。まるで今の状況を認めたくないとでも言うような相手の動作に、彼女は不快を露わに短刀を首筋に優しくあてがった。それは、少しでも動こうものなら簡単に、その喉をかっ切ってしまうだろう。
そうすることで、生を支配したいのかもしれないな。
ふっと、自嘲の息を漏らして思った。
今は、他にすることがあるだろう。
彼女は舐めるように相手を見ながら思った。そう、それは品定めするかのように入念に、不快感を、抱くほどに。
「何を…、考えているの…?」
同じ女なのに、と。
その言葉を聞いて、再び彼女は声を漏らして笑った。
「手前ぇの価値観を人に押し付けんじゃねぇよ」
ぐいっ、
あてがわれたその切っ先が皮を裂いて紅い液を散らせたのは、それから数秒も経たない後だった。