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2016年07月31日

映画「伊豆の踊り子」の初代ヒロインを演じたのは誰?

ポイントでお小遣い稼ぎ|ポイントタウン

高峰秀子

原節子

田中絹代

山田五十鈴
1909年(明治42年)11月29日、山口県下関市関後地村(現在の下関市丸山町)に父・久米吉と母・ヤスの四男四女(長男慶介、次男鼎、長女繁子、次女政子(早世)、三女光代、三男晴男、四男祥平、四女絹代)の末娘として生まれる。

1924年(大正13年)7月、兄が松竹大阪支社で働いていた関係で面接を行い、8月に松竹下加茂撮影所へ入社、母と二人で京都に移住した。

10月に野村芳亭監督の時代劇『元禄女』で映画デビュー。

同作では腰元役を演じたが、主演の柳さく子と姿恰好が似ていたため、同時に彼女の後姿の代役もこなした。

続いて同年公開の清水宏監督『村の牧場』では早くも主役に抜擢された。

1931年(昭和6年)、五所監督による日本初の本格的トーキー映画『マダムと女房』に主演。

この作品は光喜三子主演で撮影が進んでいたが、彼女が恋愛事件で降板したため五所監督に口説かれ、下関訛りを理由に渋るも五所の窮地に同情して出演 し、その甘ったるい声で全国の映画ファンを魅了した。

1932年(昭和7年)、野村監督の『金色夜叉』で下加茂の大スター林長二郎と共演、二人による貫一・お宮で評判を呼び、どこの劇場も満員札止めの大盛況となるほどの人気作となった。

ほか、五所監督『伊豆の踊子』『人生のお荷物』、島津監督『春琴抄 お琴と佐助』などに主演していき、トーキー時代も蒲田の看板スターとして在り続けた。

1933年(昭和8年)1月に大幹部待遇、1935年(昭和10年)に大幹部となった。




答え   田中絹代

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