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2013年08月14日
事大主義
事大主義とはどういう意味であろうか?

WiKiPeidiaによると

事大主義(じだいしゅぎ)は、大に事(つか)えるという考えと行動を表す語。外交政策の1つでもある。

事大の語源は『孟子』の「以小事大」(小を以って大に事(つか)える)である。孟子には越が呉に仕えた例が知恵として書かれている。つまり「小国のしたたかな外交政策(知恵)」というのが本来の意味であった。しかし後世になると大義名分論と結びついて、「小国である自国はその分を弁えて、自国よりも大国の利益のために尽くすべきである」といった「大国に媚びへつらう卑屈な政策」という否定的なニュアンスを帯びるようになった。


kotobankでは

小国が礼をもって大国に事(つか)えること,また転じて勢力の強いものにつき従う行動様式をさす。《孟子》梁恵王章句下に,斉の宣王が隣国と交わる道を問うたのに対し,孟子は〈大を以て小に事うる(以大事小)者は天下を保(やす)んじ,小を以て大に事うる(以小事大)者は其の国を保んず〉と答えた故事に由来している。 朝鮮史では,李朝の対中国外交政策を事大主義と称する。1392年,高麗王朝に代わって李成桂が創建した李朝は,その前期には明,後期には清に対する〈以小事大〉の礼をもって国号と王位の承認を得て国内の統治権を強化し,定例的な朝貢使(燕行使)の派遣にともなう官貿易によって経済的利益を得,1592‐98年に豊臣秀吉の侵略をうけたときは明軍の支援を得た。


大国にへつらって生き抜く小国の外交政策だ。

李氏朝鮮がそうだったようで、大国に逆らわず従うことで自国の安全保障を目指したのだ。

これは、最近の韓国が復活した外交政策だ。
相手の大国とは言わずと知れた中国。

なにせ李氏朝鮮の時代からの長い伝統である。
朝鮮半島を分断するのに関わった国であることをもうお忘れらしい。

というか、長きにわたって属国として仕えてきたので1000年たっても簡単には変わらないということなのだろう。
これが歴史と伝統なのだ。

日和見主義と似ているところがある。


もっとも、安全保障を米国に依存している日本も人のことを言えた義理ではない。

韓国に関しては、早急な外交上の解決を目指してもしょうがないと思う。
なにせ恨みは千年消えない国であるからだ。

このように大きく考え方が違う国とは一朝一夕では溝を埋めることはできない。

日本も相手が自分たちと全く違う考え方をする国だと理解する。
韓国も自分たちの考え方をゴリ押しできない国だということを体感する。

当面、それだけで十分であろう。



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