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2016年03月03日

日本最古の釣りバリが物語る日本の釣りの始まり

日本書紀にある「海幸彦・山幸彦」の物語はいつもは山で仕事をしている弟の山幸彦が兄と道具を交換してお互いの仕事に臨んだ際に、誤まって釣りバリを紛失することが物語の発端になっています。











兄である海幸彦に「釣りバリを何が何でも探して来い!」と言われて、彼が海底の国まで行って、妻となる女性にめぐり合うと言うお話。





さて、そのきっかけとなる釣りバリは、この時代既に鉄で作られていたことが分かり、釣りの歴史を知る上では貴重な手がかりとなる物語だと言えます。





日本書紀の「海幸彦・山幸彦」は神話の時代のお話ですが、実際には3世紀には日本でも鉄製の釣りバリが存在したことが証明されています。





福岡県の周防灘に面した京都郡にある川の上遺跡から5本の鉄製の釣りバリがお墓の副葬品として出土している。





5本のうち4本が完全な形をしていて、針の太さは5・5ミリ、長さ11.6センチ、幅3・4センチという大きな釣りバリです。





お墓の副葬品になっていたと言うことは当時鉄製の釣りバリが貴重品であったことを物語ります。





まして、その当時副葬品があるお墓を持ったのはかなりの有力者だと推察され、この辺り一体の漁業を取り仕切る豪族か何かがいたと思われます。





周防灘を目の前にし、豊かな漁場に恵まれていたこの辺りの古代の人々がこのような大きな釣りバリで一体全体何の魚を釣り上げていたのかは資料はの残っていません。





クエ(アラ)か、マグロか、カジキマグロか?





・イトは?
・竿は?
・エサは?





このような大きな釣りバリで古代の方は何を釣っていたのか興味は尽きません。
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