2016年03月02日
河豚(フグ)の語源を探る
『河豚(フグ)』という名前の語源は中国にあります。というのも、揚子江などの大河の河口にはフグが沢山生息しているためです。また、豚という言葉は中国では褒め言葉として使われています。つまり、河で取れる高級で美味しい食材という意味で『河豚』という漢字が当てられるようになりました。
もっとも、文化大革命の時には禁止令が出されたことからも分かるように、フグは中国の食文化には浸透しませんでした。その背景には調理が難しく、フグ毒によって命を落とすことがあるため、と考えられます。
なお、フグの別名は『テッポウ』と言います。大阪では『テッポウ料理』として親しまれています。これは「(フグの毒に)よく当たる」という意味です。例えばフグ鍋料理には『てっちり』という名前がつけられていたり、フグの刺身は『てっさ』と呼ばれたりします。ルーツは古く、江戸時代からこのように呼ばれていたといわれます。
初代内閣総理大臣・伊藤博文が愛した河豚(フグ)
フグの名産地といえば山口県・下関市です。初代内閣総理大臣である伊藤博文は、故郷でフグを食べる機会がありました。明治時代初期は『河豚禁止令』が出されていた時代で、一部の特別な人のみが食べられる食材だったのです。なお『河豚禁止令』は先ほどの中国の事例があったり、日本でも豊臣秀吉の時代に出されたりなど、いたちごっこが続いています。
その時、伊藤博文は「こんなに旨いのに禁止令を出すのはよくない」という提案をしたことから、まず山口県でフグが解禁されました。その後、全国的にフグが許可されるようになり、現在に至るのです。
つまり、伊藤博文が号令を出さなければ、今でフグは一部の人にしか許されない魚だったのかもしれません。なお、現在では特殊な調理師免許を持っている料理人であればフグを調理しても良いことになっているため、刺身でも鍋でもフグ毒を気にせずに安心して食べることができるのです。
アフリカ・ヨーロッパにもある河豚(フグ)の文化
ルーブル美術館所蔵のエジプトのヒエログリフ。 3列目の最後に「ふぐ」と書いてある。
ルーブル美術館所蔵のエジプトのヒエログリフ。
3列目の最後に「ふぐ」と書いてある。
河豚は日本の食文化として知られています。しかし、海外にも河豚を食べたと思われる逸話が残されています。
キャプテン=クックをご存知でしょうか?イギリスを代表する探検家です。彼はどうにか一命を取り留めたものの、ふぐ毒に当たってしまったという記録が残されています。これは1774年、ニューカレドニアを発見した時のことで、手足のしびれや脱力感を航海日記に詳しく記しています。
また、世界最古のフグについて歴史をたどって行くとエジプトのピラミッド付近にあるマスタバ(墳墓壁画)にフグの絵が描かれています。フグと全く縁が無いのに描いていたとは考えにくいので、食べ物なり献上物なりという形でフグが使用されていたのでしょう。
野球のボールに河豚(フグ)が使われていた
戦時中、多くの物資は軍需として回されていました。野球のボールを作るゴムも、当然のように兵器などの素材に使われており、子どもたちの遊び道具に回す余裕などとてもありませんでした。
そこで苦肉の策としてフグの皮を使ったボールが誕生しました。ただし、弾力性がないためにバットで当てるとすぐに割れてしまうのが難点でした。そのため子どもたちは握りこぶしで打つという方法を考え、ハンドベースボールとしてどうにか野球を楽しむことに成功したのです。
フグ毒と蘇生の関係
ベトナムにはゾンビパウダーというものが存在します。これは、死者を蘇らせる粉薬として一部で広まっているのですが、フグの毒が使われているのではないかと噂になりました。このことは事実ではなかったのですが、フグには魔力のようなものがあるのではないか、というエピソードの1つです。
また、江戸時代の日本ではフグの毒で中毒死したと思われた人が復活したという話が残されています。これは、フグ毒の量が微量だったために仮死状態から復活したというオチがついているのですが、蘇生と関連するエピソードが挙げられている点は興味深いです
もっとも、文化大革命の時には禁止令が出されたことからも分かるように、フグは中国の食文化には浸透しませんでした。その背景には調理が難しく、フグ毒によって命を落とすことがあるため、と考えられます。
なお、フグの別名は『テッポウ』と言います。大阪では『テッポウ料理』として親しまれています。これは「(フグの毒に)よく当たる」という意味です。例えばフグ鍋料理には『てっちり』という名前がつけられていたり、フグの刺身は『てっさ』と呼ばれたりします。ルーツは古く、江戸時代からこのように呼ばれていたといわれます。
初代内閣総理大臣・伊藤博文が愛した河豚(フグ)
フグの名産地といえば山口県・下関市です。初代内閣総理大臣である伊藤博文は、故郷でフグを食べる機会がありました。明治時代初期は『河豚禁止令』が出されていた時代で、一部の特別な人のみが食べられる食材だったのです。なお『河豚禁止令』は先ほどの中国の事例があったり、日本でも豊臣秀吉の時代に出されたりなど、いたちごっこが続いています。
その時、伊藤博文は「こんなに旨いのに禁止令を出すのはよくない」という提案をしたことから、まず山口県でフグが解禁されました。その後、全国的にフグが許可されるようになり、現在に至るのです。
つまり、伊藤博文が号令を出さなければ、今でフグは一部の人にしか許されない魚だったのかもしれません。なお、現在では特殊な調理師免許を持っている料理人であればフグを調理しても良いことになっているため、刺身でも鍋でもフグ毒を気にせずに安心して食べることができるのです。
アフリカ・ヨーロッパにもある河豚(フグ)の文化
ルーブル美術館所蔵のエジプトのヒエログリフ。 3列目の最後に「ふぐ」と書いてある。
ルーブル美術館所蔵のエジプトのヒエログリフ。
3列目の最後に「ふぐ」と書いてある。
河豚は日本の食文化として知られています。しかし、海外にも河豚を食べたと思われる逸話が残されています。
キャプテン=クックをご存知でしょうか?イギリスを代表する探検家です。彼はどうにか一命を取り留めたものの、ふぐ毒に当たってしまったという記録が残されています。これは1774年、ニューカレドニアを発見した時のことで、手足のしびれや脱力感を航海日記に詳しく記しています。
また、世界最古のフグについて歴史をたどって行くとエジプトのピラミッド付近にあるマスタバ(墳墓壁画)にフグの絵が描かれています。フグと全く縁が無いのに描いていたとは考えにくいので、食べ物なり献上物なりという形でフグが使用されていたのでしょう。
野球のボールに河豚(フグ)が使われていた
戦時中、多くの物資は軍需として回されていました。野球のボールを作るゴムも、当然のように兵器などの素材に使われており、子どもたちの遊び道具に回す余裕などとてもありませんでした。
そこで苦肉の策としてフグの皮を使ったボールが誕生しました。ただし、弾力性がないためにバットで当てるとすぐに割れてしまうのが難点でした。そのため子どもたちは握りこぶしで打つという方法を考え、ハンドベースボールとしてどうにか野球を楽しむことに成功したのです。
フグ毒と蘇生の関係
ベトナムにはゾンビパウダーというものが存在します。これは、死者を蘇らせる粉薬として一部で広まっているのですが、フグの毒が使われているのではないかと噂になりました。このことは事実ではなかったのですが、フグには魔力のようなものがあるのではないか、というエピソードの1つです。
また、江戸時代の日本ではフグの毒で中毒死したと思われた人が復活したという話が残されています。これは、フグ毒の量が微量だったために仮死状態から復活したというオチがついているのですが、蘇生と関連するエピソードが挙げられている点は興味深いです
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