2016年03月12日
昔は「税」だった海苔のおいしい雑学
古くからさまざまな海藻を食べてきた日本人ですが、そのなかでも海苔はちょっと別格。おにぎりに欠かせない相棒として身近に感じられる海苔ですが、かつては貢税品(税)として認められていた高級品でした。
庶民とは無縁だった超高級品
701年、飛鳥時代の日本で史上初めて施行された大宝律令によると、「調(税制のひとつ)」の規約のなかに、紫菜(むらさきのり)という名称で海苔が朝廷への貢納品として定められています。当時は紫菜や昆布などの海藻は最貴重品として神社、寺、高級貴族に配給され、それ以外の海藻は身分の低い役人の食用になっていたそうです。つまり、海苔は庶民にとっては無縁の食べものでした。
「紫菜」という呼び名は中国から伝わったもので、ぬらぬらした食感から「のり」と呼ばれるようになったそうです。栄養価の高さから古代中国の仙人にちなんで「神仙菜(あまのり)」とも呼ばれていました。
「海苔」という名前は江戸時代から
海苔が庶民の身近な食べものになってきたのは江戸時代。東京・隅田川下流の浅草のあたりまであった江戸湾(今の東京湾)にアサクサノリが自生していたため、これを採取したものが「浅草海苔」と呼ばれて庶民にも好まれるようになり、やがて養殖技術が確立されていきます。浅草紙の紙漉きの技術を真似て海苔を漉き、板状にして天日干ししたものが板海苔として広く普及するように。江戸後期には焼き海苔が作られ、明治には味付け海苔も誕生しました。
日本の食卓に欠かせない海苔は、さまざまな料理に使われます。おにぎり、海苔巻きはもちろんのこと、醤油味の餅を巻いた磯辺餅、ゆでたほうれん草や山芋を巻く磯辺巻き、揚げ衣に青のりやもみ海苔を加えた磯辺揚げ。もみ海苔にしてちらし寿司、とろろ汁、お茶漬けにふりかけたり、しょうゆを効かせた「のり弁」もお弁当屋さんの定番…と数え上げればきりがありません。
明治時代に来日した西洋人は、海苔を食べる日本人を見て「日本人は黒い紙を食べている」と驚いたのだとか。日本人と長い歴史を持つ「黒い紙」、これからもおいしくつきあっていきましょう。
庶民とは無縁だった超高級品
701年、飛鳥時代の日本で史上初めて施行された大宝律令によると、「調(税制のひとつ)」の規約のなかに、紫菜(むらさきのり)という名称で海苔が朝廷への貢納品として定められています。当時は紫菜や昆布などの海藻は最貴重品として神社、寺、高級貴族に配給され、それ以外の海藻は身分の低い役人の食用になっていたそうです。つまり、海苔は庶民にとっては無縁の食べものでした。
「紫菜」という呼び名は中国から伝わったもので、ぬらぬらした食感から「のり」と呼ばれるようになったそうです。栄養価の高さから古代中国の仙人にちなんで「神仙菜(あまのり)」とも呼ばれていました。
「海苔」という名前は江戸時代から
海苔が庶民の身近な食べものになってきたのは江戸時代。東京・隅田川下流の浅草のあたりまであった江戸湾(今の東京湾)にアサクサノリが自生していたため、これを採取したものが「浅草海苔」と呼ばれて庶民にも好まれるようになり、やがて養殖技術が確立されていきます。浅草紙の紙漉きの技術を真似て海苔を漉き、板状にして天日干ししたものが板海苔として広く普及するように。江戸後期には焼き海苔が作られ、明治には味付け海苔も誕生しました。
日本の食卓に欠かせない海苔は、さまざまな料理に使われます。おにぎり、海苔巻きはもちろんのこと、醤油味の餅を巻いた磯辺餅、ゆでたほうれん草や山芋を巻く磯辺巻き、揚げ衣に青のりやもみ海苔を加えた磯辺揚げ。もみ海苔にしてちらし寿司、とろろ汁、お茶漬けにふりかけたり、しょうゆを効かせた「のり弁」もお弁当屋さんの定番…と数え上げればきりがありません。
明治時代に来日した西洋人は、海苔を食べる日本人を見て「日本人は黒い紙を食べている」と驚いたのだとか。日本人と長い歴史を持つ「黒い紙」、これからもおいしくつきあっていきましょう。
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/4803343
この記事へのトラックバック