新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
2022年11月15日
障害者年金
ひとりひとりが、この人になら税金を使ってもいいんじゃないかという最終的には意識・行動が必要なことだとおもう。(私の考え)
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
2022年10月15日
ピアサポート基礎研修開催に伴う講師の依頼。リカバリーストーリーB
当時は自分がどういう状況にあるのか、まったくわかっていなかったように思います。
このころに、診断は双極性障害に変わりました。
調子を崩さずに生活するために、
きちんと薬を飲むこと。飲み方や保管の仕方を工夫しています。
しっかり睡眠をとること。ある程度規則性のある生活を送ることを注意しています。
それでも調子がいいときばかりではありません。調子が悪くなることもあります。
生活が乱れて、夜なかなか寝付けない状況になってしまうこともあります。
なかなか眠れないと、いろいろなことを考えてしまい、不安が強まり、過呼吸発作を起こしてしまう。という状況が続いたこともありました。
自分ひとりでは、どうしていいかわからずにいましたが、支援者と対応方法を相談しておこないました。すぐには解消しなかったけど、徐々に楽になりました。
病気になり15年目ですが、判決で病院送りになったときは、健常者でしたので
正直言って、人生終わった。死のうとは何度もおもってきました。
しかし今は、おふくろと楽しく暮らせるだけの収入も出来きた。
世の中には、いろいろな人がいる、比べることじゃないし。平和がいい。金もうけも物質をみたすためには大事なことだけど。それよりも大事なことがあると気づいた。病気になり、親・家族・協力者みんなに助けてもらったと思っている。何をされても恨むことよくない。
最後に、ケースワーカーの///さんは、この原稿をつくるにあたり、笑いをとれというひどい人だ!w
このころに、診断は双極性障害に変わりました。
調子を崩さずに生活するために、
きちんと薬を飲むこと。飲み方や保管の仕方を工夫しています。
しっかり睡眠をとること。ある程度規則性のある生活を送ることを注意しています。
それでも調子がいいときばかりではありません。調子が悪くなることもあります。
生活が乱れて、夜なかなか寝付けない状況になってしまうこともあります。
なかなか眠れないと、いろいろなことを考えてしまい、不安が強まり、過呼吸発作を起こしてしまう。という状況が続いたこともありました。
自分ひとりでは、どうしていいかわからずにいましたが、支援者と対応方法を相談しておこないました。すぐには解消しなかったけど、徐々に楽になりました。
病気になり15年目ですが、判決で病院送りになったときは、健常者でしたので
正直言って、人生終わった。死のうとは何度もおもってきました。
しかし今は、おふくろと楽しく暮らせるだけの収入も出来きた。
世の中には、いろいろな人がいる、比べることじゃないし。平和がいい。金もうけも物質をみたすためには大事なことだけど。それよりも大事なことがあると気づいた。病気になり、親・家族・協力者みんなに助けてもらったと思っている。何をされても恨むことよくない。
最後に、ケースワーカーの///さんは、この原稿をつくるにあたり、笑いをとれというひどい人だ!w
ピアサポート基礎研修開催に伴う講師の依頼。リカバリーストーリーA
完璧に燃えカス状態で、気が付けば精神はボロボロでした。
そこに、追い打ちをかける事件が起きました。
幻聴・幻覚が出てしまい。道に出ると道は血だらけ、お店に入ると幻覚からくる症状で普通の人々が邪悪な人に見えてしまいました。その時、幻聴でこう聞こえてきました。
『この世の中は、邪悪な者と普通の者』にわかれ『邪悪』がすべてを滅ぼすと。いうようなことが聞こえてきました。今だから幻覚・幻聴がどのようなものかわかりますが、このころは幻覚・幻聴はしりませんでした。
私は、オロオロしていましたが、なんとかしなきゃと思う気持ちでお店のバイトの子の手を取り 大丈夫だからといってお店の外に連れ出してしまい車にのせようとしてしまいました。でも、バイトの子が逃げて未遂で終わりました。
自暴自棄になってさまよってるところを警察に逮捕されました。
拘留ののち、今かよっている病院の院長の精神鑑定をうけました。
あなたは、無実だ病院で治療しようと言われました。
自分で、思いました。俺よく生きてきたな・・・。と
入院するときは抵抗感がありました。
入院生活は、最初は病院スタッフ、主治医、誰も信用せず、受け入れませんでした。
他の入院患者さんとの接点をもつことにも抵抗があり、保護室での治療を希望しました。
食事をしっかり食べ、薬を飲んで、ゆっくり休めて、精神症状は少しずつ落ち着いてきました。入院してそれほどたたないうちに『悪が世の中を支配している』という妄想はなくなりました。徐々に人と接点を持つことに対する抵抗感も薄まり、受け持ちの看護師やほかの入院患者さんといい出会いがありました。少しずつ不安な気持ちは軽くなり、外に出られることが嬉しかった事を覚えています。そんな変化もあったのですが、当時の自分は、まだ病気のことを受け入れられないでいました。表面的には親しく話をすることが出来ても、病院職員のことは、まだ信用していませんでした。退院後は定期的に外来に通院するように言われました。他に、訪問看護と作業療法を利用するように言われました。
その後は、障害者雇用で仕事をしたり、福祉事業所を利用したりとしましたが、自分にはあいませんでした。その後2〜3年は病気の変動が激しく、やりたいことを断続してやれませんでした。外出することもほとんどなく、自宅で引きこもり気味にすごしていました。
昼夜逆転の生活で、夜通し、お酒を飲みながら、SkypeやSNSをしていました。
人の相談や話等を聞きすぎると、具合が悪くなり身体が動かなくなってしまう事を繰り返しました。話を聞いていると、なんとなく役に立っているような気がしていたかもしれません。けど、話の内容が重すぎて、自分の具合が悪くなってしまう事を繰り返しました。
眠れないと、お酒を飲む量が増えるという傾向もありました。調子の波が激しくて、調子が高くなって行動的になり過ぎてしまい、しばらくするとエネルギーを使い果たしたように、調子が低くなって抑うつ気分が強くなってしまう。と言う事を繰り返していました。
今は、調子が悪いときはどういうときか?考え、整理することが出来るけど、
そこに、追い打ちをかける事件が起きました。
幻聴・幻覚が出てしまい。道に出ると道は血だらけ、お店に入ると幻覚からくる症状で普通の人々が邪悪な人に見えてしまいました。その時、幻聴でこう聞こえてきました。
『この世の中は、邪悪な者と普通の者』にわかれ『邪悪』がすべてを滅ぼすと。いうようなことが聞こえてきました。今だから幻覚・幻聴がどのようなものかわかりますが、このころは幻覚・幻聴はしりませんでした。
私は、オロオロしていましたが、なんとかしなきゃと思う気持ちでお店のバイトの子の手を取り 大丈夫だからといってお店の外に連れ出してしまい車にのせようとしてしまいました。でも、バイトの子が逃げて未遂で終わりました。
自暴自棄になってさまよってるところを警察に逮捕されました。
拘留ののち、今かよっている病院の院長の精神鑑定をうけました。
あなたは、無実だ病院で治療しようと言われました。
自分で、思いました。俺よく生きてきたな・・・。と
入院するときは抵抗感がありました。
入院生活は、最初は病院スタッフ、主治医、誰も信用せず、受け入れませんでした。
他の入院患者さんとの接点をもつことにも抵抗があり、保護室での治療を希望しました。
食事をしっかり食べ、薬を飲んで、ゆっくり休めて、精神症状は少しずつ落ち着いてきました。入院してそれほどたたないうちに『悪が世の中を支配している』という妄想はなくなりました。徐々に人と接点を持つことに対する抵抗感も薄まり、受け持ちの看護師やほかの入院患者さんといい出会いがありました。少しずつ不安な気持ちは軽くなり、外に出られることが嬉しかった事を覚えています。そんな変化もあったのですが、当時の自分は、まだ病気のことを受け入れられないでいました。表面的には親しく話をすることが出来ても、病院職員のことは、まだ信用していませんでした。退院後は定期的に外来に通院するように言われました。他に、訪問看護と作業療法を利用するように言われました。
その後は、障害者雇用で仕事をしたり、福祉事業所を利用したりとしましたが、自分にはあいませんでした。その後2〜3年は病気の変動が激しく、やりたいことを断続してやれませんでした。外出することもほとんどなく、自宅で引きこもり気味にすごしていました。
昼夜逆転の生活で、夜通し、お酒を飲みながら、SkypeやSNSをしていました。
人の相談や話等を聞きすぎると、具合が悪くなり身体が動かなくなってしまう事を繰り返しました。話を聞いていると、なんとなく役に立っているような気がしていたかもしれません。けど、話の内容が重すぎて、自分の具合が悪くなってしまう事を繰り返しました。
眠れないと、お酒を飲む量が増えるという傾向もありました。調子の波が激しくて、調子が高くなって行動的になり過ぎてしまい、しばらくするとエネルギーを使い果たしたように、調子が低くなって抑うつ気分が強くなってしまう。と言う事を繰り返していました。
今は、調子が悪いときはどういうときか?考え、整理することが出来るけど、
ピアサポート基礎研修開催に伴う講師の依頼。リカバリーストーリー
私が子供のころは、活発な少年でした。しかし、振り返るとメンタルの弱さは、中学生くらいから自分でもわかるくらいでした。
その中学時代、父が自殺をしました。当然ですが、とてつもない辛い出来事でしたが、
半面、自立心と家族をまもらないと!という気持ちが強くなりました。
父が亡くなってからは、とにかく仕事ができるようになりお金を稼がなきゃという気持ちでした。もともと家は自営業で、父が亡くなった後は、母が一人で頑張っていてくれました。
私も高校生になりそのころになるとバイトが出来たため、ガテン系のバイトなどをしたり。個人で物を安く買い、高く売るというような(せどり)のようなこともしていました。
この頃の私の事を母は、机やそのへんにお金を置きっぱなしで、お金に無頓着と言われています。そして、社会人になり。やはりお金を稼ぐと言う事に関しては、前と同じでした。最初はホテルに就職してスポーツクラブやバーで働きました。とにかく色々な仕事を経験しようと思いました。ホテルでは雑用ばかりで早めに見切りをつけて、つぎは、建設関係の仕事に就きました。20代半ばまでにいろいろな経験をして監督までなり。
親を助けようと、家業に入りました。会社組織を経験してきて色々な業務にたずさわってきたため。
母のあまりにも、適当な仕事の仕方で毎晩言い争いの日々が続いてしまいました。
お酒を飲みながら、口論ばかりとなり手をあげるようになってしまいました。
もう限界だと思い、決裂しました。母とは別々になったため、また一人暮らしになりました。
料理を作る事が苦にならなかった為、意外と快適に暮らしていました。
仕事は、建設関係はいろいろと一通りやってきて、一番お金の単価のいい仕事をしました。
建築物の基礎工事です。一緒に仕事をしていた人のイジメがひどく朝は4時5時から起きて、夜は7時にスーパーでステーキを買いパックライスと肉だけという生活にかなり心身ともに疲労していきました。自分で言うのもなんですが、性格は根はまじめだとおもいます。
その為なんでもうけいれてしまったり、いわれても全部のみこんでしまったりというのがストレスをためすぎてしまった原因だと思います。
いつものように、段取りをして現場をはじめようとしたら、なんとなく目の前にフィルターがかかっているような曇ってるような感じと、耳鳴りがとまりませんでした。変だなと思いながら仕事をしていると、いきなり何かが聞こえだしました。そのあとに、現場は俺の家じゃないのに、俺の家の工事をしていると思うような、幻覚のような症状もでてきてしまいました。何とかその日はやりすごしたんですが、
次の日仕事のパートナーともめてしまい。仕事ができなくなってしまいました。
その時付き合っていた、彼女に話を聞いてもらったり、
ネットゲームをしたり、まったりとした日々がつづていました。
すると、彼女も病気になってしまい。3か月後に亡くなってしまいました。
父の死から、とにかく突っ走ってきて、自分では、良かれと思い。母のため妹のためと頑張ってきたけど、その方向も失いかけていたところにハードワークと彼女の死。
その中学時代、父が自殺をしました。当然ですが、とてつもない辛い出来事でしたが、
半面、自立心と家族をまもらないと!という気持ちが強くなりました。
父が亡くなってからは、とにかく仕事ができるようになりお金を稼がなきゃという気持ちでした。もともと家は自営業で、父が亡くなった後は、母が一人で頑張っていてくれました。
私も高校生になりそのころになるとバイトが出来たため、ガテン系のバイトなどをしたり。個人で物を安く買い、高く売るというような(せどり)のようなこともしていました。
この頃の私の事を母は、机やそのへんにお金を置きっぱなしで、お金に無頓着と言われています。そして、社会人になり。やはりお金を稼ぐと言う事に関しては、前と同じでした。最初はホテルに就職してスポーツクラブやバーで働きました。とにかく色々な仕事を経験しようと思いました。ホテルでは雑用ばかりで早めに見切りをつけて、つぎは、建設関係の仕事に就きました。20代半ばまでにいろいろな経験をして監督までなり。
親を助けようと、家業に入りました。会社組織を経験してきて色々な業務にたずさわってきたため。
母のあまりにも、適当な仕事の仕方で毎晩言い争いの日々が続いてしまいました。
お酒を飲みながら、口論ばかりとなり手をあげるようになってしまいました。
もう限界だと思い、決裂しました。母とは別々になったため、また一人暮らしになりました。
料理を作る事が苦にならなかった為、意外と快適に暮らしていました。
仕事は、建設関係はいろいろと一通りやってきて、一番お金の単価のいい仕事をしました。
建築物の基礎工事です。一緒に仕事をしていた人のイジメがひどく朝は4時5時から起きて、夜は7時にスーパーでステーキを買いパックライスと肉だけという生活にかなり心身ともに疲労していきました。自分で言うのもなんですが、性格は根はまじめだとおもいます。
その為なんでもうけいれてしまったり、いわれても全部のみこんでしまったりというのがストレスをためすぎてしまった原因だと思います。
いつものように、段取りをして現場をはじめようとしたら、なんとなく目の前にフィルターがかかっているような曇ってるような感じと、耳鳴りがとまりませんでした。変だなと思いながら仕事をしていると、いきなり何かが聞こえだしました。そのあとに、現場は俺の家じゃないのに、俺の家の工事をしていると思うような、幻覚のような症状もでてきてしまいました。何とかその日はやりすごしたんですが、
次の日仕事のパートナーともめてしまい。仕事ができなくなってしまいました。
その時付き合っていた、彼女に話を聞いてもらったり、
ネットゲームをしたり、まったりとした日々がつづていました。
すると、彼女も病気になってしまい。3か月後に亡くなってしまいました。
父の死から、とにかく突っ走ってきて、自分では、良かれと思い。母のため妹のためと頑張ってきたけど、その方向も失いかけていたところにハードワークと彼女の死。
2022年09月25日
Going My Way kazu⓺⓷⓶行楽の秋!キノコ狩りIN嬬恋
2022年09月23日
ピアサポート基礎研修開催に伴う講師の依頼。
R14年 10月 14日
・ピアサポートとコミュニケーション
・リカバリーストーリーの準備
(私のリカバリーストーリーの発表)15分程度
(ケースワーカーからの話)15分程度
・ピアサポートとコミュニケーション
・リカバリーストーリーの準備
(私のリカバリーストーリーの発表)15分程度
(ケースワーカーからの話)15分程度
2022年08月10日
退院
7月10に日ころ、退院してたのですが、
退院後も調子があがらず
今になりました。最近は、睡眠障害もおさまり
だいぶ、よくなりました。
退院後も調子があがらず
今になりました。最近は、睡眠障害もおさまり
だいぶ、よくなりました。
2022年07月09日
入院中
6月8日から入院しています。
原因は、いろいろと無理をしすぎた。
そんな感じです。
退院予定も決まっていて、割と軽めの症状だったと思います。
携帯や外出許可もでいました。
原因は、いろいろと無理をしすぎた。
そんな感じです。
退院予定も決まっていて、割と軽めの症状だったと思います。
携帯や外出許可もでいました。