戦国最強武将の誉れ高い“越後の虎”
上杉謙信が信奉した『泥足毘沙門天』降臨!
義に生きた信義の武将 上杉謙信の守護本尊であり、
心の支えであった『泥足毘沙門天』が憤怒を秘めた
鋭い眼光と他を圧する威容も誇らしく、
重厚な青銅を纏いここに降臨!
生涯70戦68勝、勝率実に95.6%を誇る最強武将
謙信の武運を支えた『泥足毘沙門天』!!
武田信玄と並び戦国屈指の名将とされる上杉謙信。
14歳の初陣で武将としての初勝利を挙げ、
50年足らずの生涯で実に70回の戦に臨み、
負けたとされるのは僅かに2回。勝率95.6%、
この数値は戦国武将の中で他に並ぶ者がない
最高の記録であり、これをもって戦国最強の武将は
上杉謙信であるとの声は数多に上ります。
その神がかり的な武運を支えた力の根源には、
謙信の毘沙門天への熱心な信仰があったとされます。
では謙信の念持仏である毘沙門天が何故“泥足”と
呼ばれるようになったのか。
それは次に述べるエピソードが由来となっています。
毘沙門天を篤く信仰する謙信は、越後の居城である
春日山城の中に毘沙門丸と呼ばれる聖域を設け、
そこに毘沙門堂を建立し毘沙門天の画像や像を
祀っていました。
その中の一つに高さ30cmあまりの毘沙門天像がありました。
義に厚く、信義にもとる戦いは生涯しなかった
とされる謙信でしたが、当時の時代背景や越後を
取り巻く情勢は安息を許す暇も無く、
謙信は戦に明け暮れる日々を強いられました。
そんな中、久方振りに春日山城に帰陣し、
すぐさま毘沙門堂へ参拝したところ、
堂内には泥で汚れた小さな足跡が点在していました。
不思議に思いこの足跡を辿ると、それは堂内に
祀ってある毘沙門天像まで続いていたのです。
それを見た謙信は
「毘沙門天像が我と共に戦ってくださっていた」と
歓喜し、それ以来、上杉家中ではこの毘沙門天像を
『泥足毘沙門天』と呼ぶようになったのです。
上杉謙信が信奉した『泥足毘沙門天』
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