松下幸之助著「人生談義」1999年, PHP研究所からの引用です。
(引用始まり)
〜運命というもの〜
お正月を迎えるのも、九十三回目となりますな。
ぼくは生まれつき蒲柳(ほ りゅう)の質(たち)でしてね。
長じても医者の手をわずらわすことが多く、
こ んなにまで長生きできるとは思いもしませんでした。
ほんとにありがたいこと です。
これにはやはり、自分の意思や力を越えた
運命とでも呼ぶしかない大き な力の働きを
感ぜずにはいられませんね。
〜自分には運がある〜
ぼくは運のいい人間だと思いますよ。
電灯会社へ入る前に、
セメント会社の臨時雇いとして働いたことがあった んです。
トロッコを押したり、セメント袋を運んだりしましてね。
仕事に行くのに築港から埋め立て地まで船で通ったんですが、
あるとき、 船べりに腰をかけていたら、
そばを通った船員が足をすべらして海へ落ちたん です。
そのとき、船員が抱きついたもんだから、
ぼくも一緒に落ちてしまった。
ぼくは泳ぎはあんまり知らないけれど、
浮くぐらいはできる。
二、三メートル 沈んで浮かびあがると、
船はずいぶん先まで行ってしまっている。
無我夢中に なって手足をバタバタしていたら、
船がずーっと戻ってきて、
二、三分後に引 きあげてくれたんですわ。
夏だったからよかったけれど、
もし冬だったら死ん でいたでしょうな。
それから、独立して商売を始めたばかりの頃、
よく自転車に製品を積んで 配達にまわっていました。
ある日、四辻で急に自動車が飛び出してきて、
ぼく は自転車ごと突き飛ばされてしまった。
飛ばされたところが電車道です。
積ん だ荷物は散らばるし、自転車はグシャグシャ。
そこへ電車が来たのですが、
二 メートル手前で止まってくれた。
``やられた''と思ってそろそろ立ち上がって みると、
全く不思議、かすり傷一つないんです。
あれだけ強くぶつかったのに と、
自分でも信じられませんでした。
不思議なもんですね。
だからぼくは、海で助かったときも
交通事故にあっ たときも、``自分には運がある''と思いましたね。
そして、運があるなら、
こ とに処して自分はある程度のことはできるぞ、
というように何げなく考えたの です。
つまり、仕事をする上でいろいろむずかしい問題が出てきますね、
そん なときでも、自分は運が強いのだから、
何とかやり遂げられるだろう、
といっ た信念を持つようになったのです。
これも、海に落ちたり、
自動車にぶつかっ たりしたことを不運だと思わず、
運がよかったと考えたからでしょうね。
〜積極的なあきらめ〜
ぼくは自分で独立して電気器具製造を始めて
七十年になりますが、
自分の 意思だけで事業を始めたのかというと
そうはいえない。
自分の意思以上に、何 か見えない大きな力、
運命の力というべきものがあってこの事業を始めたのだ、
と感じてきたのです。
ですから、非常な困難に直面したことも
たびたびありま すが、
ぼくの意思は基本的に動揺しなかったですね。
もちろん、個々の問題については、
ときに自分の気持ちが動揺し、心配も しました。
晩に眠れないということも、
今日までの過程には再々ありました。
けれども、そこまでいきつくと、
そのつぎに生まれるものは何かというと、
い や、これは自分の運命だ、
自分はこういうように生まれついているのだ、
だか ら、これよりほか仕方がない、
これで倒れれば仕方がないのだ、というような、
あきらめというか、そういうものがぐぐっと生まれてきたのです。
それで勇気 も出て、動揺もおさまって、
さらに仕事に没頭することができたと思うのです ね。
ぼくは常づねそういうことを感じてきたわけですよ。
〜努力と運命〜
運は努力によって生み出すもの、と言う人がいますね。
そういう見方も大 事だとは思いますが、
運があるからこういう成果があがったのだ
という見方も 非常に大事だと思いますよ。
つまり成功して順調にいっているときは
運がいい のだと思い、
困難なときは自分のやり方がまずいからだと考える。
そういう考 え方をした方が
自分を御していく上において楽ではないか、とこう思うんです。
人間というものはともすれば、
うまくいったら自分の腕でやったと思いが ちですね。
それがおごりに通じる。それでは具合が悪い。
だからうまくいった のは自分の運が
よかったのだと考えたらいいし、
また事がうまくいかないとき は運がないと思わず、
腕がないと思う、そうすれば、
自分の腕を上げなければ なければならないと考えますわな。
ぼくも幸いにして成功した部類に入るかもしれませんが、
これは自分の力 ではない、運のおかげである、
自分も努力をしたけれど、その努力はせいぜい
一割か二割で、大部分は運のためである。
そう考えて、あんまりえらそうなこ とを
言ったらあかんと、こう思っているのですよ。
ただね、そのときどきでは懸命にやってきた。
いま考えても「よくやった な」と
自分で自分の頭をなでてやりたい気持ちになれる。
それが自分にとって 幸せなことだと思いますね。
(引用終わり)
松下幸之助著「人生談義」1999年, PHP研究所
中国古典と松下幸之助の知恵
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引用の引用
ttp://homepage2.nifty.com/~mrym/archives/matshita.html
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