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いっちゃん
 ランニングが好きで毎日、14`走っております。そうはもう、大雨だろうが豪雪だろうが、お構いなし。走らないと気分が悪くなるほどの依存症です。まあ、それを止めたら糖尿病、痛風が発症するから、がホンネですがね。職業は記者。趣味でイベントの企画・運営を行っております。「PSS皇居ラン」は趣味の一環。とはいえ、しっかり生活の糧とさせて頂いております。
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2023年12月12日

【今日は個人的なお話です】父四十九日を迎えて

【今日は個人的なお話です】父四十九日を迎えて

表題の通り本日は私の個人的な話を綴らせて頂きます。興味の無い方は読まず明日のブログをお楽しみください。
12月12日は実父が逝去してから数えで49日目。そうです四十九日となりました。本日は地上に浮遊していた父が天上界に帰る「記念日」です。
今日だけは父との思い出を綴りたいと思います。
もちろん、親子ですので思い出は数限りなくあります。が、その中で「親父らしい」というか「漫談家的な楽しい(毒舌ですが)エピソード」は今でもインパクト大。今日はその中の「特級品」をご紹介します。

私は高校3年の時、埼玉・狭山ヶ丘高校への推薦入学を中学教員から薦められました。東京・福生市に居を構える一木家にとって狭山ヶ丘高校は「八高線東福生駅」から通学すれば苦になる距離ではありません。私は乗り気で親父に「狭山ヶ丘に行こうかな」と話しました。すると親父は開口一番、「都落ちするのか?」…今思えば、「福生が都(東京)」といえば「?」ですが、当時は「そうだな、東京に住んでいるんだから東京の学校にいくべきだな」と妙に納得。意味が分からずもう一つの候補であった帝京八王子高校(ここも山の中。八王子とは名ばかりで五日市の山中に学校がありました。当時は学校前に養豚場があったくらいです)に進学しました。
続いて高校3年次―。私が高3の時、山梨学院大は陸上長距離を強化し始めたタイミングでした。現在、同校顧問の上田誠仁さんが監督に就任する直前に同校への入学話があったのです。約3年前の「教訓」などすっかり忘れていた私は親父に「山梨学院にいこうかな」と…返答は「お前、卒業したら都留信用金庫に就職するのか」の一言。私は「都留信用金庫は嫌だな。だったら高卒で(地元の)青梅信用金庫に入った方がいいな」と短絡的に腑に落ちて同校への進学を断念(?)した記憶があります。
こういった話は実姉も喰ってます。
マスコミ業界への就職を夢見ていた姉は白梅学園3年次に跡見学園大学への指定校推薦がほぼ決まっていました。が、姉の夢を知り尽くしている親父は「敬代(姉の名前です)、将来は幼稚園の先生(保母さんとはいわず『先生』と格式ばるのが最大の嫌味なんです)かスーパーで働くのか?」と進路を一蹴。結局、姉は推薦を断り浪人しました(翌年、國學院大学に入学)。
教育パパではありません。親父は仮に「そこ(私の場合は狭山ヶ丘、山学大)」を選択しても許容してくれるのです。ただ、「そこ」に入ると親父のネタにされる(しかもニンマリしながら小馬鹿にされる)ので、我々は「親父の『独り言』に従っただけ」…それだけなのです。

さらに笑えるのが以下(具体的な固有名詞は避けています)―。
私が小学高学年の頃、親父は「日刊静岡」の編集長として毎日、福生から静岡・御殿場まで通勤していました。主要交通は小田急線。自宅に帰ってきては通勤時に思った沿線大学の「印象」を語っていました。
「清楚な女学生が静かに参考書や本を読んで『イメージいいな』と思ったらみんな成城学園で降りていった。次に大学生らしくうるさいけどそれなりに品があるのが向ヶ丘遊園で降りる(難関私大と二流私大を指します)。勉強している様子はないけど、育ちの良さを感じるのが町田の手前で降りる大学(歴代首相の関係者が出身)。小田急はここまで。そこから先は『マガジン』を読んで大声で騒いでる連中。足を組んで座ってみんなの迷惑なのに本人たちは分かっていない。そして『ダイコン』で降りる。『ダイコ〜ン、ダイコ〜ン』。ほんとアイツラの頭の中は『ダイコン(役者なら分かりますが…)』。『オオネ(大根)』から『ダイコン』に駅名を変えた方がいいだろう」

当時、多感な少年期だった私にはあまりにも衝撃的な話。今でも頭にこびりついています。そして子どもたちにも同じ様な教育をしてしまいました。

それはともかく、最後に親父へ―。
親父が作った皇居大会は今、次男・正隆が手伝い、これからは彼が引き継いでいきます。「3ちゃん農業」もとい「3ちゃん大会」となりました。ジッチャン、父ちゃん、兄ちゃんの「3ちゃん」。親父の息吹は不滅です。ありがとうね、本当に感謝しているよ。
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