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2013年08月31日

オールスター大運動会

フジテレビで火曜ワイドスペシャル(現・カスペ)で放送された紅白対抗(昭和42年〜60年)オールスター大運動会のご紹介。にしきのあきらさんとアパッチけん(現・中本賢)さんが足が速かったのを、憶えています。この時代恒例になっていましたが、こんな豪華メンバーを集める事自体難しいでしょうね。ましてや運動会なんて・・・。 そういう意味では贅沢な時代でした。(*^。^*)
レコード会社対抗の運動会や、オールスター水泳大会ってのもありましたね。

スゴい顔ぶれヽ(^o^)丿。年末にはかくし芸もあったし、この頃の芸能人は大変でした。

posted by プリシラ at 20:54| 劇・番組

2013年09月03日

びっくり日本新記録

懐かしい番組を一つご紹介。鳥人間コンテストよく見てました。

『びっくり日本新記録』(びっくりにほんしんきろく)は、日本テレビ系列局ほかで放送された読売テレビ製作の視聴者参加型スポーツアトラクションバラエティ番組。製作局の読売テレビでは1975年10月5日から1985年10月6日まで(途中休止していた時期あり)、毎週日曜 19:00 - 19:30 (JST) に放送。

◆司会
初代:橋本テツヤ・うつみ宮土理
二代:小林亜星・藤谷美和子
三代:関口宏・セーラ・ロウエル
四代:大野しげひさ・キャロライン洋子・パティー
五代:荒川強啓

◆実況
志生野温夫

◆チャレンジ・ボーイ
三浦康一

テーマ音楽は小林亜星・筒井広志が共同で作曲した。

この映像は1981年東京サマーランドで収録されたものだそうです。

posted by プリシラ at 04:04| 劇・番組

2013年09月07日

アップダウンクイズ

アップダウンクイズ(Up-Down Quiz)は、1963年(昭和38年)10月6日から1985年(昭和60年)10月6日まで、毎週日曜日19:00 - 19:30(JST)に放送されていた毎日放送(MBS)制作のクイズ番組である。ロート製薬の単独提供(第1回放送より)、日本航空の協賛で放送された。

放送開始から1975年(昭和50年)3月30日放送分まではNETテレビ(現:テレビ朝日)系列の一部で放送されていたが、同年4月6日放送分以降はネットチェンジに伴い、TBS系列で放送された。

詳しくはこちら

MBS「放送禁止06ライブ」(関西ローカル特番・1992年4月10日放送)で司会・小池、出題・佐々木のアップダウンクイズがコーナーで復活。清水興、野村義男、石田長生、忌野清志郎、有山じゅんじ、中島らも(解答席順)らが挑戦したんだそうです。

posted by プリシラ at 15:33| 劇・番組

2013年09月08日

はたらくおじさん

『はたらくおじさん』は、1961年4月から1982年3月までNHK教育テレビで放送されていた、小学校2年生向けの社会科番組である。大阪放送局が制作を担当していた。

「タンちゃん」と犬の「ペロくん」が気球に乗って空から望遠鏡で覗き、毎回様々な職業の「おじさん」から仕事の内容を説明して貰っていた。しかし、実際には働くのはおじさんだけではないことから、番組は後に『みんなのしごと』と改題。さらにその後は『はたらくひとたち』と題して放送されるようになった。ちなみに、「タンちゃん」の由来は探検好きなことから。

◆出演者◆
1961 - 1962年度 端田宏三、太田淑子 ほか
1963年度 黒田良弥(タンちゃん)、松尾千里 ほか
1964年度 タンちゃん(声・園佳也子)、ペロくん(声・浜崎憲三)
1965年度 タンちゃん(声・三井洋子)、ペロくん(声・浜崎憲三)
1966 - 1981年度 タンちゃん(声・三井洋子)、ペロくん(声・中森孝子)

詳しくはこちら

主題歌「はたらくおじさん」
作詞:飯島敏子、作曲:田中正史、歌:三井洋子、中村孝子
放送期間が長いため、アレンジが違ういくつかのバージョンが存在する。歌詞も女性の社会進出に伴い、「はたらくおじさん はたらくおじさん」という部分が「はたらくおじさん はたらくおばさん」に変更されている。




posted by プリシラ at 14:14| 劇・番組

2013年09月12日

突然ガバチョ!

そういえばこんな番組で、こんなコーナーありましたね。

突然ガバチョ!(とつぜんガバチョ)は毎日放送(MBS)ほかで1982年(昭和57年)10月5日から1985年(昭和60年)9月24日まで、毎週火曜日の22:00-22:54に放送されていた公開バラエティ番組。略称「突(とつ)ガバ」。テレビ版「MBSヤングタウン土曜日」。全153回放送された。

司会は笑福亭鶴瓶と長江健次。「ヤンタン」で人気が出た鶴瓶にとっては、全国区進出のきっかけを作った。

詳しくはこちら

★テレビにらめっこ★
鶴瓶が読む視聴者から寄せられたギャグのハガキの内容を、スタジオの観客が笑わずに我慢するコーナー。まず鶴瓶が「テレビにらめっこ!」と言った時点で(画面右端上に、点線の丸囲みで「テレビにらめっこ」の顔の形に似せたタイトルロゴが表記される)、スタジオの観客は笑うのを我慢しなければならない。笑った観客は「指摘マン」に指摘され、その後「そこの方、笑いましたね。あなた退場!」という鶴瓶の指令により、「退場マン」と呼ばれる筋肉隆々な2人のボディビルダーに担ぎ出され、スタジオから退場させられる。担がれて退場の他、「乳母車の刑」や「ムキムキマシーンの刑」といった退場方法もあった。


posted by プリシラ at 18:06| 劇・番組

2013年09月15日

クイズ・ドレミファドン!

『クイズ・ドレミファドン!』は、1976年10月3日から1988年4月3日までフジテレビで放送されていた音楽系クイズ番組である。

後に日本中で認知されるところになった曲当てクイズ、いわゆる「イントロクイズ」の元祖。ただし、この番組では純粋に曲のイントロのみで曲名を当てる。イントロクイズ以外にも音楽に関する事柄や芸能界に関するクイズも出題される。なお、複数の歌手がゲストとして出演し最新ヒット曲を披露するコーナーもあったことから、クイズ番組でありながら音楽番組の役割も果たしていた。

放送時間は毎週日曜12:00-13:00(ただし1980年4月以降は12:55まで)。番組は原則関東ローカル枠だったが、一部地域にも同時ネットされていた(後述)。

司会:高島忠夫

詳しくはこちら


posted by プリシラ at 00:50| 劇・番組

2013年09月24日

お笑いマンガ道場

『お笑いマンガ道場』(おわらいマンガどうじょう)は、日本テレビ系列局ほかで放送された中京テレビ製作のバラエティ番組。製作局の中京テレビでは1976年4月から1994年3月まで放送。当初は中京広域圏を対象としたローカル番組であったが、後に全国ネットで放送されるようになった。

司会から「お題」を発表・例題のマンガを発表した後に、出演者がフリップボードに黒と赤のマジックペンでマンガを描き、描き上がったら挙手をして発表する、というのが基本的な形式であった。番組後半は、司会者がもっとも面白いと思った解答を描いた人にポイントが加算されるコーナーもあった。番組自体は「マンガによる『笑点』」とも呼ばれる。問題は3問から4問ほど出され、「第○回戦」と出題されていた。また、テロップは今週のゲストやスピード絵クションのチーム紹介やヒント、おまけコーナーのタイトルそして番組の宛先で表示されている。

詳しくはこちら

この頃の司会者は二代目の柏村武昭さん。(最終回まで司会を務めた。)

posted by プリシラ at 22:18| 劇・番組

2013年09月25日

なるほど!ザ・ワールド

『なるほど!ザ・ワールド』(Naruhodo! The World) は、フジテレビで1981年10月6日から1996年3月26日まで放送された紀行・情報クイズ番組である。レギュラー番組終了後、特番枠で年に1 - 2回ほど放送されている。2008年4月29日放送の特番からハイビジョン制作。

現代の世界において意外に知られていない話題を、現地取材によるレポートとクイズ形式で紹介し、「うーん!!なるほど!!」と驚かせるという趣旨の番組である。

司会は俳優の愛川欽也と、当時日本テレビを退社し、フリーになりたてだった楠田枝里子。2人の身長差がありすぎてカメラでの収まりが悪いため、司会者席では愛川は起立、楠田は椅子に着席していた。1991年4月からは、トランプマンもレギュラーに加わる。番組は海外特集、国内特集の大きく2本柱で構成されレポーターの紀行の中からクイズを出題し、4組(2名1組。1995年4月以降は6名の個人戦になった)の解答者(パネラー)が順番に口述で答えるというものだった(1990年頃から、書き問題や早押し問題も登場)。最高視聴率は1983年12月27日放送の回で36.4%[2]、全731回の平均視聴率は21.3%だった。

詳しくはこちら

出演されている井上洋平さんは世界一周(1987/6〜1993/12)80ヵ国・137652km走破され、
本を出版されています。旅はかなり過酷だったようです。






なるほど!ザ・ワールド~世界のおもしろレポート集~ [DVD]
益田由美 (出演・声の出演), 阿部知代 (出演・声の出演) | 形式: DVD










自転車五大陸走破―喜望峰への13万キロ (中公新書) [新書]
井上 洋平 (著)
posted by プリシラ at 23:03| 劇・番組

2013年09月28日

夢がMORIMORI

『JOCX-TV PRESENTS 夢がMORIMORI』(ジェイオーシーエックスティーヴィープレゼンツ ゆめがモリモリ)は、1992年4月18日から1995年9月30日までフジテレビ系列局で土曜 23:30 - 24:00 (通称Panasonic枠)に放送されていたフジテレビ製作のバラエティ番組。愛称は「夢MORI」、「MORIMORI」。

番組タイトルは、司会の森脇健児と森口博子、当時SMAPのメンバーだった森且行の3人の頭文字に由来する。当時は森脇を「次代CXバラエティの柱に」という方針もあったようだが、レギュラーを務めていたSMAPのメンバーがこの番組をきっかけに人気に火が点き、現在の地位の土台を築き上げた。

山形県では、かつてフジテレビ系・テレビ朝日系のクロスネット局だった山形テレビで放送されていたが、1993年4月に同局がテレビ朝日系単独局へ移行するのに伴い、以後はTBS系列局のテレビユー山形が番組をネットした。

番組は、1995年9月30日放送分をもって3年半に及ぶ歴史に終止符を打った。最終回は1時間スペシャルで締めくくり、後番組『めちゃ2モテたいッ!』のメインであるナインティナインが出演した。

詳しくはこちら

武富士のCM懐かしいですね〜。ちなみにCMソングはジョー・リノイエの「SYNCHRONIZED LOVE」です。そうそう、この頃は森君も在籍してて、SMAP6人でしたね。


「スーパーキックベース」 チーム名:ドリームス
番組のコーナーで「キックベース」が行われ、当時ブームになった。これはセカンドベースの無い”三角ベース”でホームベースの位置からバットで球を打つ代わりに、打者がピッチャーが転がしてくるボール(だいたい4号バレーボール大)を(助走はラインよりはみ出ない範疇でOK)ピッチャーを含む5人の野手に向かい蹴飛ばし、その打球によって構成されるゲームで基本的には野球と同じルールだが、ベース上にいないランナーにボールをぶつければランナーはアウトというこのゲームならではのルールも設けられていた(番組の実況では「ドッジボール殺法」と呼ばれた)。使用していた球場は、前期が川崎球場、後期は千葉マリンスタジアム。

posted by プリシラ at 20:17| 劇・番組

2013年10月03日

たけしのここだけの話

『たけしのここだけの話』(たけしのここだけのはなし)は、1988年10月2日から1990年9月30日まで、フジテレビ系列で放送されたIVSテレビ制作、関西テレビ製作のトーク番組である。放送時間は、毎週日曜22:30 - 23:00(JST)。本番組から、それまでの関西テレビ大阪本社での制作、本社でのスタジオ収録から東京支社での制作(同時に制作担当を自社制作から制作プロダクションへの外注に変更)、東京都内のスタジオ収録に変更された。

KINCHOおもしろ倶楽部として放送されたKINCHOの1社提供番組。ビートたけしと山口美江が司会を務め、毎週ゲストを迎えてトークを展開した番組である。

番組の収録終了前にゲストと司会陣をカメラで写真撮影し、その写真からテレホンカードを作成し、視聴者プレゼントが行われた。

1990年10月に本番組と同じスタッフによりytv制作・日テレ系で『蝶々・たけしの21世紀まで待てない!!』を開始するため、本番組は同年9月に終了した。最終回は総集編を放送し、締めにたけしが「2年間ありがとうございました。」と挨拶し番組を締めくくった

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ゲスト:大原麗子

posted by プリシラ at 03:39| 劇・番組
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プリシラです。皆さんと一緒に80年代を楽しみたいと思ってます。 紹介する際分かりやすいように、できる限りUPされているYoutubeの動画を共有で埋め込ませてもらってます。その為、見れなくなれば随時直しますのでご容赦ください。あとちょいちょい訂正したりもしてますので宜しくお願いします!! 載っけたページや動画で楽しんで頂けたら「いいね!」も_(._.)_。今後役立てたいと思います。
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