新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
2013年10月04日
ものまねのご本人登場!@
ものまね番組で「ご本人登場!」っていう事がありますが
その中でも貴重な映像があったのでUPしました。
※“ものまね”といえば、以前に素人ものまねをご紹介してましたので、まだの方は後で
こちらも見てくださいね( ^^) _旦~~{素人ものまね番組}
その中でも貴重な映像があったのでUPしました。
※“ものまね”といえば、以前に素人ものまねをご紹介してましたので、まだの方は後で
こちらも見てくださいね( ^^) _旦~~{素人ものまね番組}
⇒いいね!
⇒いいね!
⇒いいね!
⇒いいね!
2013年10月06日
連想ゲーム
『連想ゲーム』(れんそうゲーム)は、1969年(昭和44年)4月から1991年(平成3年)3月までNHK総合テレビで放送されていたクイズ番組である。1968年4月8日に始まった番組『みんなの招待席』の1コーナーから始まり、1969年4月5日に独立した番組として放送され、1991年3月20日まで22年続いた(MBS『アップダウンクイズ』とタイ記録)。この番組は、最初の『みんなの招待席』の時代からカラー放送である。
放送時間は1969年4月9日から1969年12月までは毎週水曜20:00 - 20:30、1970年1月から1978年3月25日までは毎週土曜19:30 - 20:00、1978年4月5日からは毎週水曜19:30 - 20:00。なお、この放送時刻にあわせ、オープニングでは得点板の白組の一の桁に「7」赤組の百・十の桁に「30」と表示された(日中、BSの再放送でも同様)。
男女が赤・白の2チームに分かれて競い合う形式は、紅白歌合戦と同形式である。
詳しくはこちら
この時の司会者は9代目(最後):徳田章さん(1989年4月 - 1991年3月)でした。
放送時間は1969年4月9日から1969年12月までは毎週水曜20:00 - 20:30、1970年1月から1978年3月25日までは毎週土曜19:30 - 20:00、1978年4月5日からは毎週水曜19:30 - 20:00。なお、この放送時刻にあわせ、オープニングでは得点板の白組の一の桁に「7」赤組の百・十の桁に「30」と表示された(日中、BSの再放送でも同様)。
男女が赤・白の2チームに分かれて競い合う形式は、紅白歌合戦と同形式である。
詳しくはこちら
この時の司会者は9代目(最後):徳田章さん(1989年4月 - 1991年3月)でした。
⇒いいね!
みごろ!たべごろ!笑いごろ!
『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』(みごろ!たべごろ!わらいごろ!)は、1976年10月11日から1978年3月27日までNET系列局(一部の系列局を除く、NETは1977年4月にテレビ朝日に社名変更)で放送されたバラエティ番組である。企画・制作は渡辺プロダクション。放送時間は毎週月曜 20:00 - 21:00 (JST) 。
ここでは、1978年4月から1979年3月まで同系列局で放送された後継番組『みごろ!ゴロゴロ!大放送!!』についても記載する。
詳しくはこちら
みごろ ! たべごろ ! 笑いごろ !! みごろ ! BOX (初回限定版) [DVD] キャンディーズ (出演), 小松政夫 (出演) | 形式: DVD
みごろ!たべごろ!笑いごろ!! キャンディーズ プレミアムBOX [Blu-ray] キャンディーズ (出演), 伊東四朗 (出演) | 形式: Blu-ray
ここでは、1978年4月から1979年3月まで同系列局で放送された後継番組『みごろ!ゴロゴロ!大放送!!』についても記載する。
詳しくはこちら
⇒いいね!
みごろ ! たべごろ ! 笑いごろ !! みごろ ! BOX (初回限定版) [DVD] キャンディーズ (出演), 小松政夫 (出演) | 形式: DVD
みごろ!たべごろ!笑いごろ!! キャンディーズ プレミアムBOX [Blu-ray] キャンディーズ (出演), 伊東四朗 (出演) | 形式: Blu-ray
2013年10月13日
今夜は最高!
『今夜は最高!』(こんやはさいこう! / 副題:〜WHAT A FANTASTIC NIGHT!〜)とは、日本テレビ系列局にて1981年4月4日から1982年4月3日(第1期)、1982年9月4日から1989年10月7日(第2期)まで毎週土曜日の23:00 - 23:30(JST)に放送されていた番組である。
タモリが司会を務めた30分間のトーク・バラエティ・コントショー。
毎回、多彩な豪華ゲスト(タレントはもちろんのこと、お笑い芸人・俳優・女優・作家・作詞家・小説家・ミュージシャン・演歌歌手・政治家に至るまで様々)1人とそのゲストと関係するパートナーゲストを1 - 2人ほど呼び、司会のタモリとのトークやコント、ミュージカル、歌などを織り交ぜた内容で行われていた。番組最終回までに出演したゲスト総数は302人、パートナー総数は173人を数えた。
詳しくはこちら
ゲスト:立川談志
今夜は最高! (1982年) [古書]
タモリが司会を務めた30分間のトーク・バラエティ・コントショー。
毎回、多彩な豪華ゲスト(タレントはもちろんのこと、お笑い芸人・俳優・女優・作家・作詞家・小説家・ミュージシャン・演歌歌手・政治家に至るまで様々)1人とそのゲストと関係するパートナーゲストを1 - 2人ほど呼び、司会のタモリとのトークやコント、ミュージカル、歌などを織り交ぜた内容で行われていた。番組最終回までに出演したゲスト総数は302人、パートナー総数は173人を数えた。
詳しくはこちら
ゲスト:立川談志
⇒いいね!
今夜は最高! (1982年) [古書]
2013年10月20日
山田邦子のしあわせにしてよ
2013年10月25日
笑ってる場合ですよ!
最近『笑っていいとも』が来年3月で終了すると話題になっていますが、その前にやってた番組『笑ってる場合ですよ!』をピックアップ。
『笑ってる場合ですよ!』(わらってるばあいですよ)は、フジテレビ系列で1980年(昭和55年)10月1日から1982年(昭和57年)10月1日まで平日(毎週月曜日 - 金曜日)の12:00 - 13:00(JST)に生放送されていた帯バラエティ番組である。
フジテレビ全体やランチタイム番組の改革を図るべく企画されたのが、当時人気の漫才のタレントを多数出演メンバーに起用したバラエティ番組であった。漫才ブームの仕掛け人・横澤彪がプロデュースし、スタジオアルタからの公開生放送であり、司会のB&B(島田洋七・洋八)、レギュラーのツービート(ビートたけし・きよし)や紳助・竜介(島田紳助・松本竜介)ら(いずれも後に土曜20時の『オレたちひょうきん族』に出演)、当時の若年層に人気のあった漫才・コントタレントが続々と登場し、フジテレビの看板ランチタイム番組に育てあげた。
詳しくはこちら
ゲスト:中森明菜
『笑ってる場合ですよ!』(わらってるばあいですよ)は、フジテレビ系列で1980年(昭和55年)10月1日から1982年(昭和57年)10月1日まで平日(毎週月曜日 - 金曜日)の12:00 - 13:00(JST)に生放送されていた帯バラエティ番組である。
フジテレビ全体やランチタイム番組の改革を図るべく企画されたのが、当時人気の漫才のタレントを多数出演メンバーに起用したバラエティ番組であった。漫才ブームの仕掛け人・横澤彪がプロデュースし、スタジオアルタからの公開生放送であり、司会のB&B(島田洋七・洋八)、レギュラーのツービート(ビートたけし・きよし)や紳助・竜介(島田紳助・松本竜介)ら(いずれも後に土曜20時の『オレたちひょうきん族』に出演)、当時の若年層に人気のあった漫才・コントタレントが続々と登場し、フジテレビの看板ランチタイム番組に育てあげた。
詳しくはこちら
ゲスト:中森明菜
⇒いいね!
2013年10月26日
プロポーズ大作戦
『プロポーズ大作戦』(プロポーズだいさくせん)は、1973年4月2日から1985年3月26日まで朝日放送(ABCテレビ)で放映された公開恋愛バラエティ番組である。司会を横山やすし・西川きよし、桂きん枝が務めた。
なお、1983年にきん枝が不祥事を起こし、師匠の桂小文枝(のち5代目桂文枝)から破門され番組を降板(1年間)した際には桂文福が代役を務めた。
スタート当初は関西ローカルの深夜番組(30分枠)だったが、一部のTBS系列局や関東の独立U局に番組販売ネットされていた。この当時ABCはTBS系列だったが、TBSでの放送はなかった(TBSが余りにも関西の色が強すぎると同局での放送及び全国ネット化に難色を示したという)。
その後、毎日放送(MBS)とのネットチェンジ(腸捻転解消)により、テレビ朝日(当時・日本教育テレビ=NET)系列へネットチェンジ後の1975年12月2日から同系列を中心に全国ネット化、プライムタイム枠に昇格して放送され、放送時間も1時間に拡大された。
キダ・タローの作曲による番組テーマ音楽も視聴者に長年親しまれた
ABCホールでの公開収録だった(年に数回は地方での公開収録も行なわれた)。
詳しくはこちら
なお、1983年にきん枝が不祥事を起こし、師匠の桂小文枝(のち5代目桂文枝)から破門され番組を降板(1年間)した際には桂文福が代役を務めた。
スタート当初は関西ローカルの深夜番組(30分枠)だったが、一部のTBS系列局や関東の独立U局に番組販売ネットされていた。この当時ABCはTBS系列だったが、TBSでの放送はなかった(TBSが余りにも関西の色が強すぎると同局での放送及び全国ネット化に難色を示したという)。
その後、毎日放送(MBS)とのネットチェンジ(腸捻転解消)により、テレビ朝日(当時・日本教育テレビ=NET)系列へネットチェンジ後の1975年12月2日から同系列を中心に全国ネット化、プライムタイム枠に昇格して放送され、放送時間も1時間に拡大された。
キダ・タローの作曲による番組テーマ音楽も視聴者に長年親しまれた
ABCホールでの公開収録だった(年に数回は地方での公開収録も行なわれた)。
詳しくはこちら
⇒いいね!
2013年11月03日
クイズダービー
『クイズダービー』(英称:Quiz Derby)は、毎週土曜日の19:30 - 20:00(JST)にTBS系列で放送されていた、ロート製薬一社提供のクイズ番組である。初回は1976年1月3日、最終回は1992年12月19日で、全862回放送された。
最高視聴率は1979年6月30日に記録した40.8%(関東地区)で、ビデオリサーチ調べのクイズ・ゲーム部門ではNHK総合テレビの『クイズ面白ゼミナール』が記録した42.2%に次ぐ高視聴率であり、民放に限れば第1位の視聴率である。また、クイズ番組では初めて視聴率40%以上を記録した番組でもある。
◆司会者◆
初代:大橋巨泉 1976年1月3日 - 1990年3月31日(第1回 - 第734回)、及び1992年12月19日(第862回)の最終回、2000年・2004年の復刻版を担当。
前述の通り、番組の基本的なシステムやルールの企画考案者でもある。
2代目:徳光和夫 1990年4月14日 - 1992年12月12日(第735回 - 第861回)を担当。
1989年に日本テレビを退社し、フリーになった後の最初の仕事である。
3代目:上田晋也(くりぃむしちゅー) 2012年4月17日(クイズダービー2012)を担当。
詳しくはこちら
クイズダービーベスト500 [単行本]
TBSテレビ (編集)
最高視聴率は1979年6月30日に記録した40.8%(関東地区)で、ビデオリサーチ調べのクイズ・ゲーム部門ではNHK総合テレビの『クイズ面白ゼミナール』が記録した42.2%に次ぐ高視聴率であり、民放に限れば第1位の視聴率である。また、クイズ番組では初めて視聴率40%以上を記録した番組でもある。
◆司会者◆
初代:大橋巨泉 1976年1月3日 - 1990年3月31日(第1回 - 第734回)、及び1992年12月19日(第862回)の最終回、2000年・2004年の復刻版を担当。
前述の通り、番組の基本的なシステムやルールの企画考案者でもある。
2代目:徳光和夫 1990年4月14日 - 1992年12月12日(第735回 - 第861回)を担当。
1989年に日本テレビを退社し、フリーになった後の最初の仕事である。
3代目:上田晋也(くりぃむしちゅー) 2012年4月17日(クイズダービー2012)を担当。
詳しくはこちら
⇒いいね!
クイズダービーベスト500 [単行本]
TBSテレビ (編集)