日本を守るために日本人が考えておくべきこと
中川昭一まだ打つ手は無数にある!政界有数の保守論客が発信する救国オピニオン!いまや安全保障といえば、「軍事」のみならず、「エネルギー」「食糧」「水」だ! 次期総理の呼び名も高い政治家が日本に鳴らす警鐘。
目次:
第1章 日本よ、自立した国家たれ東シナ海ガス田が奪われる日
対等な日中関係は喧嘩なしでは築けない
日本の農業は再建できるか
消費者よ、コメに還れ
日本経済復活のための十三の政策-緊急提言
「改革のための改革」を止めよ
第2章 非常事態日本への直言国民のヤル気がみなぎる環境づくりを
いまこそ総合的な緊急経済対策を打ち出すべき
第3章 日本を守るための国家戦略北海道を再びエネルギーの島に
「真・保守主義」の世界戦略を語ろう
政府系ファンド、ODAから「食」の安全保障まで
第4章 活力と誇りある日本のために水問題について
転換期を迎えた日本
書籍発行時の紹介文:中川昭一(ナカガワショウイチ)1953年、東京都生まれ。東京大学法学部政治学科卒業。
日本興業銀行勤務を経て、83年に衆議院議員初当選(自由民主党・北海道11区)、現在8期目。農林水産大臣、経済産業大臣、自由民主党政務調査会長などを歴任。志帥会会長代行。超党派でつくる拉致議連会長代行。自民党内では拉致問題特命委員長及び、水の安全保障に関する特命委員長、国際経済戦略特命委員会委員長等を務める
https://ja.wikipedia.org/wiki/中川昭一
1983年(昭和58年)1月、自由民主党衆議院議員在職中だった父・一郎が急死。
2009年2月、中川はG7の財務大臣・中央銀行総裁会議出席のためにイタリア・ローマを訪れたが、この会議の後の記者会見における、呂律が回っていない、酩酊しているかのような姿が注目された。この様子は各メディアで大きく取り上げられ、猛批判を浴びることとなった中川は釈明を行ったが、3日後には大臣職を辞すこととなった(詳細は後述)。
2009年10月4日、東京都世田谷区の私邸2階の寝室で倒れているところを、郁子夫人によって発見された。東京消防庁による救急搬送先で死亡が確認されたが、実際の死亡日時は発見前日の10月3日と推測されている[1]。死因について、その後遺族は弔問客に急性心筋梗塞と説明していたとされるが、実際の死因の特定は行政解剖の結果待ちとなった
参照引用:
https://ja.wikipedia.org/wiki/中川昭一==========================
ユダヤ人大富豪の教え(2)
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