いつものミュージカルの時代だ。
Google ストリートビューは、すごくて。
この数年で、砂浜も特定できている。
もう、名前付きで書いちゃっていいだろ?
この数時間後に、死んじゃうなど・・ 誰が思っただろう。
この舞台のほんの少し前、1981.08.18 に 友人の内田信彦が式根島で事故死した。
彼には、この舞台装置の運搬を引き受けてもらっていた。しかし、無理となった。
急遽、私の親戚からロングボディーのトヨエースを借用した。しかし、運転はペーパードライバーの私だった。
1981.08.21 朝、台風のような雨の中、視界もかなり悪い第三京浜を助手席地図を広げた女性をと女性キャスト一人を乗せて、アトリエフォンテーヌへ向かった。この時の逸話は、いくつか小さな小説にまとめてある。
台風のようだったはず・・と検索する。 1981年台風 15号の影響だったらしい。
アトリエフォンテーヌは、いずみたくがミュージカルを演りたいと作った小劇場で、地下5階相当くらいの深い場所にある。一度入ったら外の天気など全くわからない。
台風の中、よく人が来てくれたと思う。
最近聞き直している 2007年あたりの永六輔のラジオに何度も登場していた。「 見上げてごらん夜の星を 」なども上演されている劇場だ。
忘れないうちにと、1999年頃書いた短い小説がある。 pixiv に置いてある。 名前の入れ替えとかやってあったんだが、自分で混乱しそうなので、記憶の範囲で正しい名前に戻してある。
・六本木坂道発進 https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=1554574
・「さよなら」を言いに https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=20402239 −

これも何度も書いているが、
この時、私は舞台監督だった。
そして、最近思い出したのだが 本来就職活動をしているべきタイミングだった。
けれど、8月の公演は、春には決まっていた。できるわけはない・・いや、やらないのは就職活動の方だ!
私は、地元に新しくできた企業が私のやりたいことと合致しそうなので、おそらく3月頃に電話をした。 一度会社に来てみたら? ということで 会社訪問をした。人事課が出て来て、私がやりたいことを述べた。
「 私は、自分でも購入できる家電品の設計開発をしたい 」
たまたまなのか、社長が会うと言っているのでどうぞ と いきなり社長面談。同じことを告げると、「 家も近いし、ピッタリじゃないか。 ウチに来なさい 」といわれて、それで決定してしまった。
ミュージカルが終わった秋頃、「 私・・書類も出していないのですが・・ 」と連絡を取り、一通りの普通の手続きを行い、形式的なのだろうが入社試験も受けた。自宅から通えるということも最初の条件だったので、入社後の配属でどこかへ飛ばされたら・・ と 心配したが、約束は守られた。
就職活動らしいことは、これしか経験がない。これほど身近だった友人が死んだのもそれが最初だ。当日、どのキャストが来なくても舞台監督は代役をやるものだ。と云われ、振り付けはともかくセリフは頭に入れた。そして、ほぼ前の見えない台風の中でロングボディーのトヨエース、東京なんて道を知ってるわけはない。六本木だよ。前日の帰りに起こった六本木ヤクザ事件が、「 六本木坂道発進 」である。助手席に乗っていた女性の立場で書いてあるが、事実である。
この前後の数年は、いろいろな出来事があったし、舞台やラジオドラマ作りなど、楽しく、苦しくやっていた。
大道具一つをとっても思い出深い。舞台に置いてあるサイコロ状の椅子がわりに使っているものは、三ツ境のまこと幼稚園から借用したものだ。
舞台中央の白い扉は、ドアノブは本物だがベニヤ板一枚に描いたものだ。その奥に青空に雲のパネルも作った。
この時点で音大関係の人も多い。後に、ラジオでデビューした女性もいる。音大で教える側になった人も居る。 何も教えられたことはないが、素人の集まりでこれだけのことはできる。
ここで舞台監督をやっていたので、就職後つくば博の一つのコーナーを私の指導員と立った二人で担当した時、映像提供してくれた日テレの人間とコンパニオンには勘違いされていた。
電子写真館というブースの、システム設計、外注も使ったが結局ソフトもハードもやり、運用のコンパニオン教育の際に、舞台監督の経験が役に立ったらしい。
人間関係トラブル調整役(それが舞台監督)としても、色々苦しかった。女性の方が多かったということだけが、今考えると楽しそうだが、そもそも女子校みたいなところにいたので、(男女比=1:3)それも普通だった。むしろ女性同士の方が揉めるとややこしい。
大学でラジオドラマを作っていた仲間と、アマチュア無線のローカル局を総動員という感じで、スタッフは固めた。キャストは、そもそも本名さえ知らない人も多い。
ボケボケの VHS 動画をなんとか「 思い出というスパイス 」を使って、鑑賞できるレベルに持ってこれた パソコンとソフトの技術進歩は素晴らしい。
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