---臨済宗
臨済宗(臨濟宗、りんざいしゅう)は、中国禅宗五家(臨済、潙仰、曹洞、雲門、法眼)のひとつで、唐の臨済義玄(? - 867年)を宗祖とする。彼は『喝の臨済』『臨済将軍』の異名で知られ、豪放な家風を特徴として中国禅興隆の頂点を極めた。
現在の日本の臨済宗は江戸時代に白隠が再興したもので、唐代とは大きく異なり、公案に参究することにより見性しようとする看話禅(かんなぜん)に変貌を遂げている。この家風は、坐禅に徹する曹洞宗の黙照禅と比較されることがある。
建長寺派
1253年、鎌倉幕府五代執権・北条時頼が中国・宋から招いた蘭渓道隆により始まる。
本山は蘭渓道隆が開山した鎌倉の建長寺
---建長寺
建長寺(けんちょうじ)は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある禅宗の寺院で、臨済宗建長寺派の大本山である。山号を巨福山(こふくさん)と称し、寺号は詳しくは建長興国禅寺(けんちょうこうこくぜんじ)という。
鎌倉時代の建長5年(1253年)の創建で、本尊は地蔵菩薩、開基(創立者)は鎌倉幕府第5代執権北条時頼、開山(初代住職)は南宋の禅僧蘭渓道隆で、第二世は同じく南宋の兀庵普寧である。鎌倉五山の第一位。境内は「建長寺境内」として国の史跡に指定されている。
創建
建長寺は鎌倉幕府5代執権北条時頼によって創建された禅宗寺院で、建長5年(1253年)に落慶供養が営まれている。開山(初代住職)は宋からの渡来僧・蘭渓道隆(大覚禅師)であった。当時の日本は、承久の乱(1221年)を経て北条氏の権力基盤が安定し、京都の中央政府の支配力は相対的に弱まり、鎌倉が事実上、日本の首府となっていた時代であった。北条時頼は熱心な仏教信者であり禅宗に深く帰依していた。
創建の時期については、鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡』には建長3年(1251年)から造営が始められ、同5年(1253年)に落慶供養が行われたとある。造営開始時期については建長元年(1249年)ないし2年からとする異説もあるが、おおむね建長元年(1249年)頃から造営の準備がなされ、同5年(1253年)に完成したとされる。建長寺が所在する山ノ内は、幕府のある鎌倉の中心部からは山一つ隔てた所に位置し、鎌倉の北の出入口の護りに当たる要衝の地であって、北条氏の本拠地でもあった。建長寺の境内が広がる谷(鎌倉では「やつ」と読む)は、元は「地獄ヶ谷」と呼ばれる処刑場で、地蔵菩薩を本尊とする伽羅陀山心平寺という寺が建っていた。建長寺の本尊が禅宗寺院の本尊として一般的な釈迦如来ではなく地蔵菩薩であるのは、こうした因縁によるものである[1]。また、心平寺の旧本尊と伝える地蔵菩薩像は今も建長寺に伝来している。
建長寺の本尊は、地蔵菩薩 ?
---篁修寺
http://seki-katsunori.no-blog.jp/photos/uncategorized/2010/06/07/cimg1658.jpg
http://seki-katsunori.no-blog.jp/photos/uncategorized/2010/06/07/cimg1658.jpg
篁修寺
地元の名主たちが創建−今も地域に響き渡る『暮れ六つの鐘』
開山は永徳元(1381)年 篁修寺(磯子区森5-9-6)
今回は地元ゆかりの篁修寺(コウシュウジ)をお訪ねし、ご住職
の鬼頭宗伸師から由来などをお伺いしました。沿革については「
この寺院は永徳元年に杉田の東漸寺塔頭「多福院」第三世「東漸
寺」第十一世光室卯公和尚が開創(当時は篁修庵)しましたが、
和尚が同年9月3日に示寂して以来300年は無住のときが多く
その間の詳しい経緯は定かではありません。
開創当時は荒神山と号していましたが、現在は鳳林山と号し、昭
和29(1954)年に先住祖山和尚の代に庵を寺と改ました。
ご本尊の釈迦如来像は丈が1尺5寸(約45cm)で、作者は不
明ですが、永禄7(1564)年に森村の名主・太郎右エ門から
寄附されたものです。」とご説明をいただきました。
《開創の時代背景を『磯子の史話』は次のように記しています。
(要約。「永徳の頃といえば室町幕府のはじめで三大将軍・足利
義満の時代にあたり、全国的に争乱が続きようやく終わりに近づ
こうとする時で人々の心は不安定な状態になり、宗教活動が活発
化しました。しかし、鎌倉幕府の庇護を受け武士の間で独占の形
をとっていた禅宗は保護者を失い沈滞気味となり、寺を開く力は
ありません。そこで光室和尚は従来のように武士に頼らず、地元
の名主たちに援助を求めました。この呼びかけに奔走したのは中
原の山口茂左衛門、田中の宇田川氏、雑色の油屋市郎右衛門の三
人の名主で、和尚の意向を汲んでこの駐車場代を選定、光室和尚
も大変喜んで東漸寺の末寺として開創しました。この時村人たち
も協力して立派な寺ができたのです。」》
Cimg1658 お寺には区内最古の鐘楼堂(9尺
〈約2.7m〉四面)がありますが
このお堂について「大鐘は延享元(
1744)年に檀信徒の寄付により
鋳造され、戦時下の昭和19年に供
出されましたが、昭和44年、祖山
和尚の代に檀信徒の寄付によって再
建され、現在は“暮れ六つの鐘”と
して、午後6時に撞かれています。
ちょうど子供たちが家に帰る頃に響きわたる鐘の音は、地域の皆
様に親しまれています。」と今も変わらぬ地縁を語っていただき
ました。6月の梅雨時になると美しいあじさいが目を楽しませて
くれます。
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http://www.tohshukyo.or.jp/01_rinzai.html
臨済宗のご本尊
釈迦牟尼仏(寺院では特定のご本尊を決めていない)
臨済宗の脇掛
達磨大師・観世音菩薩(臨済宗各宗派共通)。各宗派によって若干の違いがある。
臨済宗の日常のおつとめ
「南無釈迦牟尼仏」と唱える。
「南無釈迦牟尼仏」(なむしゃかむにぶつ)
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http://blog.goo.ne.jp/fugetu3483/e/d6087342fa53109b9bbe29bfe754980a
仏教の信仰を深めるためにも、僧侶任せではない、それぞれ自身の行が大事ではなかろうか、と私は思っている。法事などで在家の人々とお経をお唱えするたびにその思いを強くしている。法事の折は、列席の皆さんと一緒に、『般若心経』を誦したり、三帰依文を誦したりしている。そのような僧侶の人も多いと思う。
それでも日々に仏壇でお参りをするときに、在家の方々は、いつも『般若心経』など読誦できないときもあるのではなかろうか。まして坐禅はできないだろう。そこで私は「南無釈迦牟尼仏」とお唱えすることをおすすめしている。
南無とは、namasというサンスクリット語の音写で、仏の教えに帰依し、信を捧げます、という意味であるから、南無釈迦牟尼仏は、お釈迦様の教えに帰依し、信仰の真を捧げます、という意味になろう。そのように仏に帰依する功徳を、仏壇に祀ってある先祖に回向するのが、お参りである。ただ手を合わせれるだけでも、悪くはないが、十分ではないと言ってよいだろう。
「南無釈迦牟尼仏、お釈迦様、どうぞお父さんを宜しくお願いします、お母さんを宜しくお願いします、お祖父ちゃん、お祖母ちゃんを宜しくお願いします」と亡き家族の冥福を祈ったり、苦しいことがあれば「南無釈迦牟尼仏、どうぞお見守り下さい」と祈るのもよいのではなかろうか。「南無釈迦牟尼仏」と一回でも十回でも百返でもお唱えしてもよいのではないだろうか。
有り難いことに曹洞宗は、あまり異安心いあんじんということを言わない。今はどうなのか知らないが、ある宗派ではちょっとでも教義から外れることをいうと、異安心として叱責を受けたそうだ。「南無釈迦牟尼仏」のお唱えは、曹洞宗儀礼規定にはないと言う方もいらっしゃるかもしれないが、御詠歌ではよくお唱えしているので、それほどに間違ったお勧めではないだろうと思っている。おそらく、私のようにしている僧侶の方もいらっしゃるだろうと思うのですが。
「南無釈迦牟尼仏」のお唱えを、勧められた方々も、今までどのようにお参りしてよいか分からなかったので、よかった、有り難い、と言ってくださる人が多い。信じる心を表すこと、表して信仰をさらに深める、ということがあるだろう。信仰は決してお坊さんだけのものではなく、全ての人の為のものなのだ。このような分かり切ったことであるが、お葬式や仏事のためだけに、仏教に接しているのは勿体ない。それぞれの命をしみじみと生きるため、自らの内を深めるために、お釈迦様の教えにふれて貰いたい。人にお勧めするだけではなく、私自身、南無釈迦牟尼仏、とお唱えしています。
お唱えの声は我が口より出づれども、我が耳より入り、我が全身に浸透する。称名やお念仏やお題目を挙げる宗教的実体験は、それを実践して初めて分かることですから、一人一人にとって、自分自身の信仰として意義のあることでしょう。
--- 通夜で最初に読誦されたお経。「大悲心陀羅尼(だいひしんだらに)」
---https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%82%B2%E5%BF%83%E9%99%80%E7%BE%85%E5%B0%BC
大悲心陀羅尼(だいひしんだらに)とは、正式には『千手千眼観自在菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼』といい、伽梵達摩訳『千手千眼観自在菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼經』の陀羅尼部分を取り出したものとされる。略して大悲呪という。
「なむからたんのー、とらやーやー」という出だしで知られており、日本の禅宗で広く読誦される基本的な経典である。
特に曹洞宗においては、朝課仏殿諷経、朝課開山歴住諷経、略朝課万霊諷経、竈公諷経、晩課諷経、鎮守諷経で読誦するように曹洞宗宗務庁発行「曹洞宗日課勤行聖典(修訂第十刷)」に記されている。
https://www.youtube.com/watch?v=gbxgY8BquHY#t=82
千手千眼観自在菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼
南無喝囉怛那哆羅夜耶。南無阿唎耶。婆盧羯帝爍鉗囉耶。菩提薩埵婆耶。摩訶薩埵婆耶。摩訶迦盧尼迦耶。唵。薩皤囉罰曳。數怛那怛寫。南無悉吉利埵伊蒙阿唎耶。婆盧吉帝室佛囉楞馱婆。南無那囉謹墀。醯唎摩訶。醯唎摩訶皤哷沙刀B薩婆阿他豆輸朋。阿逝孕。薩婆薩哷那摩婆薩哷。那摩婆伽。摩罰特豆。怛姪他。唵。阿婆盧醯。盧迦帝。迦羅帝。夷醯唎。摩訶菩提薩埵。薩婆薩婆。摩囉摩囉。摩醯摩醯唎馱孕。俱盧俱盧羯蒙。度盧度盧罰闍耶帝。摩訶罰闍耶帝。陀囉陀囉。地利尼。室佛囉耶。遮囉遮囉。摩摩罰摩囉。穆帝隸。伊醯伊醯。室那室那。阿囉參佛囉舍利。罰沙罰參。佛囉舍耶。呼盧呼盧摩囉。呼盧呼盧醯利。婆囉娑囉。悉利悉利。蘇嚧蘇嚧。菩提夜菩提夜。菩馱夜菩馱夜。彌帝唎夜。那囉謹墀。地利瑟尼那。婆夜摩那。娑婆訶。悉陀夜。娑婆訶。摩訶悉陀夜。娑婆訶。悉陀喻藝。室皤囉夜。娑婆訶。那囉謹墀。娑婆訶。摩囉那囉。娑婆訶。悉囉僧阿穆佉耶。娑婆訶。娑婆摩訶阿悉陀夜。娑婆訶。者吉囉阿悉陀夜。娑婆訶。波陀摩羯悉陀夜。娑婆訶。那囉謹墀皤伽囉耶。娑婆訶。摩婆唎勝羯囉耶。娑婆訶。南無喝囉怛那哆羅夜耶。南無阿唎耶。婆盧吉帝。爍皤囉耶。娑婆訶。悉殿都。漫哆囉。跋陀耶。娑婆訶。
読誦されたものの文字化
なむからたんのーとらやーやー。なむおりやーぼりょきーちーしふらーやー。ふじさとぼーやーもこさとぼーやー。もーこーきゃーるにきゃーやーえん。さーはらはーえいしゅーたんのーとんしゃー。なむしきりーといもーおりやー。ぼりょきーちーしふらーりんとーぼー。なむのーらー。きんじーきーりー。もーこーほーどー。しゃーみーさーぼー。おーとーじょーしゅーべん。おーしゅーいん。さーぼーさーとーのーもーぼーぎゃー。もーはーてーちょー。とーじーとーえん。おーぼーりょーきー。るーぎゃーちーきゃーらーちー。いーきりもーこー。ふじさーとー。さーぼーさーぼー。もーらーもーらー。もーきーもーきー。りーとーいんくーりょーくーりょー。けーもーとーりょーとーりょー。ほーじゃーやーちーもーこーほーじゃーやーちー。とーらーとーらー。ちりにーしふらーやー。しゃーろーしゃーろー。もーもーはーも−らー。ほーちーりーいーきーいーきーしーのーしーのー。おらさんふらしゃーりー。はーざーはーざん。ふらしゃーやー。くーりょーくーりょーもーらーくーりょーくーりょー。きーりーしゃーろーしゃーろー。しーりーしーりー。すーりょーすーりょー。ふじやーふじやー。ふどやーふどやー。みちりやー。のらきんじー。ちりしゅにのー。ほやものそもこー。しどやーそもこー。もこしどやーそもこー。しどゆーきーしふらーやーそもこー。のらきんじーそもこー。もーらーのーらーそもこー。しらすーおもぎゃーやーそもこー。そぼもこしどやーそもこー。しゃきらーおしどーやーそもこー。ほどもぎゃしどやーそもこー。のらきんじーはーぎゃらやーそもこー。もーほりしんぎゃらやーそもこー。なむからたんのーとらやーやー。なむおりやーぼりょきーちーしふらーやーそもこー。してどーもどらー。ほどやー。そーもーこー。。
意訳
仏法僧の三宝に帰依します。大慈悲をもつ観自在菩薩に帰依します。あらゆる畏怖において庇護するお方に帰依します。
私は観自在菩薩の威力をもつ青頸(観自在菩薩)の真言、すべての願いを成就する光輝に満ちた吉兆で、すべての悪鬼に打ち勝つ、迷いの世界を浄化する真言を読誦します。
すなわちそれは、次のようなものです。
オーン、光明よ。光明のごとき智恵を持つ者よ。世間を超越する者よ。オオ、ハリよ。偉大な菩薩よ。真言を心に念じ記憶したまえ。
その行為をなしたまえ。完成したまえ。(真言を)よく保ちたまえ。勝利者よ、偉大な勝利者よ。(真言を)よく保ちたまえ。優れた大地の主よ。行動したまえ。汚れなき者よ。汚れなき身体をもつ者よ。来たれ。世界の主よ。貧りとよぶ害毒を除きたまえ。愚かさから来る心の動揺を除きたまえ。取り去りたまえ。汚れを取り去りたまえ。流れ出たまえ。現われたまえ。進みたまえ。正覚したまえ。正覚を与えたまえ。
慈悲深き青頸(観自在菩薩)よ。求める者に姿を見せ歓喜させる者よ。
願いを成就せしものに。偉大なる成就者に。ヨーガの行法に自在なる者に。青頸に。猪と獅子の顔を持つ者に。一切の大成就者に。蓮華を手にする者に。円輪で戦う者に。ほら貝の音で開悟させる者に。大きな棒を携えた者に。左肩にまします黒色の勝利者に。虎の皮の衣服を着た者に。
三宝に帰依します。
聖なる観自在菩薩に帰依します。
すべての願いが成就しますように。真言の諸句に。
二人の親を送った。
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