幼馴染みのA、「・・・、オバさん老眼だから見えない」
子供、「これって、なんて読むの?」
私、「・・・、何だったっけ・・・」
思い出せそうで思い出せなかったのは、「所以」
私、「思い出した、ゆえん」
A、「そうそう、ゆえん」
何がそうそうだ、アホなAが読めるはずがない。
子供、「だったら、これは?」
私、「うーん??貴方、読める?」
A、「うーん?口先まで出かかっているけど、出てこない」
本当かよ!?
私、「しょせん、じゃない?」
A、「そうそう、しょせんよ」
引っかかったなA。
「しょせん」と読み間違えることが多いのは、「所謂(いわゆる)」。
A、「分からないことがあったら、自分で調べなさい」
このことがあってから、子供がAに質問することはなくなった。
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