2018年03月31日
2 究極の選択
最初の記事 緊急入院
母は苦しそうに眉を寄せて、
しきりに人工呼吸器と点滴の針を外したがって
治療を拒否する意志を示し、
その度に姉と私で制止しなければならなかった。
「今を乗り越えれば楽になるんだから頑張って!」
と耳元で言うと、首を横に振る。
頭に血がのぼるような緊迫感が私たちを締め付けた
ベッドサイドに備えたモニターからは
しきりに「ピー、ピー」と警戒音がし、
その度に看護師を呼びに走った。
この病院は
施設こそ新しく大きいが完全看護体制が無く、
しかしこの状態では別の病院に替えたくても
移送途中で心肺停止になりかねない。
姉と私は交代で仮眠を取りながら一夜を明かした。
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翌朝
明け方に
東京でサラリーマンをしている弟が駆けつけた。
隣町の叔父(母の弟)も、間もなく来た。
母の容体はどんどん悪くなり
心電図モニターの血中酸素濃度を示す値は【80】を上下して
非常に危険な状態との事。
医師は、
「多分喉を切開して挿管し酸素を送らなければ
生命の維持は難しいと思います」
と言う。
「この処置をしなければ助からないかもしれません。
しかしこの処置をしても、
極まれに良くなって退院できた人は居ますが、
最悪、
一生管(くだ)をつけたままベッドで過ごすこともあります。
その場合
余命は長くて2年ほどです。
挿管処置をして、咽頭部分が正常に働けば
普通に食べることが出来ますが、
嚥下機能がマヒして食べられなくなることもあり
その時は「胃ろう」といって腹壁と胃に穴をあけ
栄養を直接入れる処置を選択する事もできます。
このままでステロイドと免疫抑制剤の投与で様子をみるか、
挿管処置をするか、ご家族で話し合って決めて下さい」
冷静に淡々と話す医師の説明は大体こんな内容だった。
「私はナースステーションに居ますから」と
医師は軽く頭を下げて出て行ってしまった。
皆がしばらく黙り込んでしまった。
究極の選択を迫られたのだ。
いずれにしても助からない可能性が極めて高い選択肢だ。
姉と私は叔父と相談して、
医師の言う「最悪」の場合のことを考えた。
一生管をつけたまま
話す事も出来ずに過ごす生活なんて、
母にとってどんなにか残酷なことだろう。
そして
姉は会社勤めの独り暮らし。
私は夫の仕事を手伝いながら
認知症の始まった舅と脚の不自由な姑を支える生活。
挿管処置で命を取り留めたとしても、
寝たきりのベッド生活になったら
弟が東京の自宅かその近くの施設に引き取って
面倒をみなくてはならないことになるだろう。
今までのように
妻と2人の子供との平和な都会暮らし
+ 時々母の様子を見がてら信州満喫
なんて余裕の生活は無くなる。
叔父が弟に、優しく諭すように静かに言った。
「なあ、
もしおまえがこんな状態になったらと考えてみろ。
管で繋がれて話すこともできずに
ベッドに寝たきりの暮らしが幸せか?
・・・・・・・・
しかもだな、
たった数パーセントの自分の助かる可能性にかけて
わが子の人生を犠牲にするような選択枝を望むか?」
弟はただ黙って目をハンカチで押さえている。
しばらくして
「もう少し様子をみようよ」とかすれた声で言った。
取り敢えずステロイドと免疫抑制剤の投与で
しばらく様子を見ることになった。
姉も私も、この時になって初めて涙があふれた。
━☆★☆★☆━ つ づ く ━☆★☆★☆━
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