2018年03月30日
1 緊急入院 特発性間質性肺炎
はじめに
【特発性間質性肺炎】というキーワードで検索して
このブログを訪れて下さった方は
ご自身か身近な方のために
【特発性間質性肺炎】に関する情報を
求めておられる方だと思います。
そんな方に
私の母が瀕死の特発性間質性肺炎から生還した
奇跡的な体験をお知らせしたくて
このブログから発信する事にしました。
ご参考になれば幸いです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
早春のある日の午後
仕事で練馬に向かっていた私の携帯が鳴った。
数分後、高速道を練馬出口で降りた時に開いてみると
姉からの着信。
折り返すと
「お母さんからSOSってメールが来てね、
電話したんだけど出ないから急いで来てみたら
玄関の鍵を開けてもドアが開かないの
ドンドン叩いてみたけど返事が無いし!」
「エーーッ」
そういえばあの玄関ドアには
下の隅に小さなレバーがあって、
一人暮らしの母は
「用心の為に寝る時はこれも閉めるの」
と言ってたっけ!
そうだ!実家の道向かいの建材店には、
いつも誰かしら男性が居る筈。
「誰か頼んで窓かドアを外してもらって!」
と姉に頼んで、
私は仕事先に断わりを入れ、取って返した。
間もなくまた姉から電話で
「やっとお母さんが出てきて開けてくれたけど
死にそうに息が苦しいみたいなの。
救急車を呼ぶって言ったら
「大丈夫だから」って言うから
取り敢えずお水飲ませたら少し落ち着いたみたいだけど」
はやる気持ちを抑えながら、
2時間弱で実家に付いた。
母は応接間のソファーに横になったまま、
苦しい息をしている。
母は、長年お世話になっている
「K病院」に連れて行って欲しいという。
もう受付締め切りの6時を過ぎていたが
電話をして診察の依頼をし、
母を車に乗せてK病院に連れて行った。
問診(と言っても話もできない状態の母に替わって
姉と私からの聞き取りで)から、
X線撮影、CT、MRIと、
かなり長い時間待たされた末に
私たちは『特発性間質性肺炎』という
聞いたことも無い病名を告げられた。
この病気は難病に認定されており
肺の「間質」という部分の細胞が線維化し
呼吸を妨げているとの事で、
母はもうかなり重篤な状態だと言う。
そして「当院では対応できないので、
市立A病院に救急搬送します」
と、母はA病院に移された。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
改めて同じような検査で
1時間余りを費やして同じ病名を告げられ、
ナースセンター前の個室(ICUではなかった)
に移された母は酸素マスクを装着されていて、
レントゲン映像を見ると
なんと右肺全部と、左肺の
およそ8割が真っ白になっている
母は最近背骨の圧迫骨折を起こし自宅療養中で、
姉と私で分担して買い物や掃除、
重い物を運ぶ事などをしてやっていたのだった。
私が2、3日前に行った時にはマスクをしていて
「風邪をひいちゃったの」と言っていたが
特に呼吸がどうこうという様子も無かったのに。
思い返せば、母はその数年前に
「肺に少し影が有るんだって。」と、
他人事みたいに言っていた。
私が「総合病院で診て貰う方がいいんじゃないの?」
と言うと
「お薬飲んでるからこれ以上悪くならないから大丈夫。」
なんて言いながら、
そのくせ昔から薬嫌いの母は
戸棚の隅に薬の山を作っていたっけ。
(; ̄Д ̄)
のちにウェブ検索で知ったのだが、
あの風邪が引き金になって
急性増悪したもののようだった。
医師の説明では
「もしステロイドと免疫抑制剤の投与で
症状を改善できれば、
家庭用酸素吸入器をつけて
自宅生活ができる可能性もわずかにありますが、
その場合でも余命は長くて2年程です。
しかし、最悪今夜心肺停止ということも
覚悟しておいて下さい」
とのこと。
エーーーッ!! (((◎о◎);
取り敢えず酸素マスクで様子をみたが
次第に自発呼吸が困難になり、
強制的に酸素を送り込む人工呼吸器のマスク
に替えた時はもう深夜だった。
━☆★☆★☆━ つ づ く ━☆★☆★☆━
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