2018年05月07日
13 幸せな最期
(第一ページはこちら) 「緊急入院」
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母はその後
ほぼ月に2回東京から通って来る
弟の車で外出するのを楽しみに、
一人暮らしの頃の母とは別人のように
明るく楽しそうで、
入所者の方々や介護師さんたちと会話し、
リハビリを頑張って、
時にはピアノを弾いたり
施設主催の手芸講座で小物を作ったりして、
毎日をおだやかに暮していた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
およそ2年後の真夏の早朝
5時半ごろ施設からの電話で、
4時の見回り時にちょうどトイレに起きて
介護師と普通に声を交わしたのだが、
5時の見回りで心肺停止となって発見され
救急搬送されて、
今、病院で蘇生法を施されている
とのこと。
駆けつけた私たちと
眼を合わせる事も無く急逝してしまった。
・゜・(ノ Д ` )・゜・
急性心不全とのことだった。
死因を確認する為に撮影したCT画像では、
心臓直下の血管に
血栓の大きな白い塊が映っていた。
そう言えば薬嫌いの母は、
ベッドサイドのテーブルに置いた箱に
いくつも薬を入れているのを
私が見付けることがしばしばあって、
しかたなく介護師さんに
「ちゃんと服薬したかどうか食後に確認してほしい」
と頼んだことがあった。
後日
「強制的に飲まされてるよ」なんて笑っていたっけ。
あの中には血栓を溶かす薬があったのに。
もっとしっかり呑んでいてくれたら・・・
(; ̄Д ̄)
介護師さんたちの話では、
前夜も皆と話したりして
楽しそうに過ごしていたとのこと。
《 享年86歳 》
あの緊急入院から、
およそ4年と5カ月後のことだった。
早朝の連絡を受けて弟が病院に駆け付けた時、
もう母は死装束に着換えるところだった。
「人生百年」と言われる現在。
「早すぎた」と惜しんで下さる方も居るが
母にとってこの施設での暮らしは快適なようだったし
身体に多少の不自由はあっても
特にひどく苦痛のような所も無かった。
スタッフの方々にも本当に良くしていただいた。
一人暮らしをしていた母が80歳になった日
姉と二人で訪ね、ささやかなお祝いをした。
「お父さんの年をとっくに越しちゃって、
80歳の自分なんて考えてみた事無かったの。
・・・・・
昨日は一日誰とも話ができなかったし、
この先どうやって生きたら良いのか
わからなくなって・・・」
と涙ぐんだりしていた。
圧迫骨折をしてしまって以来、
それまで大勢の人々と手芸の会や
料理教室などを開いて
日々楽しく過ごしていたのが
すっかり寂しくなって、
もともと社交好きだった母にとって
一人暮らしは随分辛かったことだろう。
今思えば、
あの緊急入院の前の数か月は
圧迫骨折をしたお陰というのも変だが、
姉と私が変わりばんこに
掃除や買い物の手伝いに行ってやれて
本当に良かったと思う。
そして
一時期苦しい闘病生活はあったものの、
こうして約2年間を快適な施設で
毎日多くの方々と会話し、
穏やかに楽しく暮らせて
本当に幸せな終わり方だったのではないかと思う。
あまりにも突然だったので
皆さすがにショックは大きかったが、
姉も私も弟も
それなりに最善を尽くす事ができたと思うし、
今、悔いは無い。
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