こんにちは。
三つ子の母親があまりに多忙な育児に追い詰められ、
遂には生後11か月の次男を床に叩きつけて死に至らしめた事件について、
3年半の実刑は重すぎる、執行猶予にして残る2人の子の育児をさせてあげるべき、
との署名が3万人以上集まっているとのニュースを拝見しました。
擁護されている方々の、子育てに追われる母親に、
特に多胎出産だったお母さんに社会が優しくない!との主張は理解できます。
もっと育てやすい環境が、制度が必要との主張には異論ありません。
しかし、だから仕方なかったのでしょうか。
三つ子の一人として産まれてきてしまったから、次男は死んでも仕方なかった?
それは絶対に違います。
社会のせい、制度のせい、環境のせいで追い詰められたことは一切否定しません。
でも、だからといって、無抵抗の我が子を、
頭の骨が折れるほど強く床に叩きつけて死に至らしめたことを擁護する気は、
私は微塵も起きません。
確かに子どもはかわいいだけの存在じゃありません。
私にも子どもがいますし、憎たらしいこと、イライラさせられることも多いです。
手をあげそうになったことがある親は数えきれないほどいると思います。
でも、実際にケガをさせるほど強く手をあげてしまう人は限られます。
まして、死に至るまで床に叩きつける人は何人いるでしょうか。
「思わず手をあげそうになること」と「死に至らしめること」には大きな、
大きな大きな違いがあります。
そして、後者を行った者は厳しく罰せられなければならないと、私は思います。
3年半の実刑が重すぎると擁護されている方々の感覚は
残念ながら全く理解できません。
傷害致死罪で起訴されているため、その点は配慮し、敢えてここまでは「殺した」とは
書いていませんが、本音を言えば、「無抵抗の乳児を床に叩きつけて死に至らしめる」
これは『殺人』だと私は思います。
本来であれば殺人罪で10年、15年の懲役刑の可能性だってあったと思います。
十分に情状を酌量した結果が、傷害致死罪で3年半なのでしょう。
これで重すぎると言うのでは、乳児の命の重みを軽視し過ぎではないでしょうか。
擁護派の方は、突然身内を殺した犯人が懲役3年半でも重すぎると言えるでしょうか?
子どもは親の所有物ではありません。
親が思い詰めて子どもを殺しても、通り魔が誰でもよかったと殺しても、
一人の人間の命を奪ったという点においては同じです。
一定の情状酌量はあったとしても、必要以上に擁護する必要はないと考えます。
どんな理由や事情があろうと、虐待死や心中は、ただの殺人だと私は思います。
どんなに擁護派の人から批判されても、私は強くそう思います。
また、そもそもこの母親に残る2人の子を託すことにも反対です。
通常の親が、絶対に踏み越えることのないラインを一度超えた方です。
万が一、他の2人に危害が加えられた場合、
擁護派の3万人の方々はどう責任を取るつもりでしょうか。
擁護派の方々は、母親の大変さへの同情で冷静さを欠いているのではないでしょうか。
最も優先されるべきは、罪を犯した母親ではなく、
残された子どもだちの将来、人生だと思います。
子どもたちが大きくなって物心がついたとき、
自分たちの兄弟を床に叩きつけて死なせた母親に育てられたことを知って、
どう思うでしょうか。
勿論、どう思うかは本人たちにしかわかりません。
ただし「それでも残された子どもは実の母親に育てられた方が良いに決まっている」
と言わんばかりの擁護派の方々の一部主張は、違う気がしてなりません。
実の母親が育てるのが一番良い!という発想そのものが、
母親を追い詰める一因なのではないでしょうか。
追い詰められた母親を擁護する主張と根本的に矛盾している気がします。
色々と書き過ぎましたが、私としてはこの罪を犯した母親には、
情状が十分に酌量された3年半という実刑をしっかりと受け入れて反省してもらい、
出所後については子どもたちの意向や将来を最優先にしてもらいたいと切に願います。
#こどものいのちはこどものもの