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2020年11月21日

米津玄師さんamenの歌詞の解明!

やってきました米津さんシリーズ第3弾!

デデン!


カナリヤのMVが解禁されましたね!

感動しました、涙ボロボロながれました。


ということで、今回は私の大好きな歌、amen(エイメン)!
深すぎる歌詞を私の解釈で勝手に説明させていただきます!

いやいや、カナリヤじゃないんかい!?とつっこんでくれた方、ありがとう!

カナリヤはまた今度ということで今回は私の気分でAmenです(^^)

そもそも、AmenはLOSERのカップリング曲で、どのアルバムにも入ってないのですが、今回発売されたSTRAY SHEEP、迷える仔羊のライブDVDの中に収録されていました!



そうそう、私は以前から米津玄師さんは宮沢賢治が好きなのではないか??と勘ぐっていたのですが、
やっぱり、今回のアルバムの一曲目、「カムパネルラ」
これは宮沢賢治「銀河鉄道の夜」に出てくる人の名前です。

歌詞の内容的にも銀河鉄道の夜のカムパネルラとリンクしてます。


はいきた!

ライブ名でオパールの文言を使っている時点で米津さんは宮沢賢治ファンかとおもってた私、、名探偵です!

さてさて、そんなことより、歌詞の解明、
いってみまっしょい!



Amen

馬が走る 黒いアスファルトの上
荒んだ並木 風もなし 香りだす雨の気配
東京はフラスコの中の風景
迷い込んでは泣いていたのは遠い遠い昔

光の澱に 道草を誘う亡霊
九つの門を通り抜けてあの山の麓へと
空っぽの花瓶に活ける花を探している
恥ずかしいくらい生き急いでいた遠い遠い昔

お願い ママ パパ この世に生まれたその意味を
教えて欲しいの わたしに
悲しい思い出はいらないから ただただ美しい思い出を
祈りの言葉を Amen

怒りが満ちる 黒い炎を纏って
どうかわたしの この心を 赦してくれやしないか
さもなければ その清い雷を以って
わたしの身を 灰になるまで 焼いてくれないか

音を立てて燃える部屋の中ひとり
歯軋りみたいに火の粉は舞う 酸素を食べて育つ
ありがとう 今 身をやつす苦渋の全てに
再会を願い 今日はおやすみ また明日

お願い ママ パパ この世に生まれたその意味を
教えて欲しいの わたしに
悲しい思い出はいらないから ただただ美しい思い出を
祈りの言葉を Amen


今回はAメロBメロの解明です!

【馬が走る 黒いアスファルトの上】

暗い現実、心の闇、馬→スピード感

【荒んだ並木 風もなし 香りだす雨の気配】

荒れ果てた心、淀んだ空気、泣きそうな気持ち

【東京はフラスコの中の風景】

賑やかな場所、そこで楽しそうに生きる人たちは自分からすると作られた別世界のよう

【迷い込んでは泣いていたのは遠い遠い昔】

繊細すぎる心で現世に生まれ、割り切れない思いをしたり傷ついたのは昔の自分

【光の澱(よど)に 道草を誘う亡霊】

澱→よどんで水底にかすがたまる。よどみ。

光を求める自分の中にまだよどむ心

亡霊→幽霊という言葉をよく使うのに亡霊と表しているのは、人がなくなったあとの心、魂を強調。つまり、無念さ。

幽霊→「わたしは幽霊」の楽曲でもわかるように、どこか親しみのあるキャラクター的な感じ

亡霊を使う意味→様々な思いを馳せ人の心、想い、無念さなどを含んでいる、ポップさなし。

今、闇をまとう心から抜け出し、光を放てるような人間へと変わろうとしている主人公に対し、無念の闇の中のまま亡くなった人、また、まだ拭いきれない闇をまとって生きていた自分自身が、そのまま闇にいようと誘ってくる。

【九つの門を通り抜けてあの山の麓へと】

九つの門→ameという題名からもわかるように、宗教的な意味をもたせた歌詞。そのことから仏教では苦しみを消す8つの実践という八正道というものがあることから8つの道を超えた、9つ目の門という意味、と私は思ったのですが、

9のあとは0なので、0になりたいという意味かもしれません

あの山の麓→あの山とは光をまとう人間、その足元へと辿りつきたい

【空っぽの花瓶に活ける花を探している】

空っぽの花瓶→自分の虚しい心
生ける花→光

【恥ずかしいくらい生き急いでいた遠い遠い昔】

ずっとなにかに追われるように生きていたが、実際に自分を追い詰めていたのは自分自身の闇の心だった、それに気づいた今、懐かしい、遠い昔、という言葉を使い、今は気づき、変わろうとしていることを表現


【怒りが満ちる 黒い炎を纏(まと)って】

今までの悲しみ、矛盾、自分自身への批判などが怒りの感情となり炎で焼かれるように未だ自分自身を苦しめている

【どうかわたしの この心を 赦(ゆる)してくれやしないか】

そういった複雑な感情から開放されたい

【さもなければ その清い雷(いかずち)を以(も)って】

開放されないのであれば、雷のように強烈な清い心で

【わたしの身を 灰になるまで 焼いてくれないか】

体ごとなにもかもなくなるまで私を消して欲しい

【音を立てて燃える部屋の中ひとり】

最後の悲鳴をたて、限られた空間(心の狭さ)の中で、理解者も助けもないまま、自分でも自身を救うこができなかった中、消える自分

【歯軋(はぎしり)りみたいに火の粉は舞う 酸素を食べて育つ】

悔しさを残すように火の粉は舞う、その無念の気持ちは燃え尽きることを拒否するかのように無機質となったな肉体と同じく酸素をふくんでは大きく燃える、闇の心が自分をあざ笑うよう、または未練

【ありがとう 今 身をやつす苦渋の全てに】

やっと苦しみから開放される。本当の解決をしないまま、表面上おわらせることに対しての皮肉を含む。この体が燃える強烈な痛みを感じることで心の痛みが消えていくのを感じて(願って)いる

【再会を願い 今日はおやすみ また明日】

全て燃えてまっさらになってやり直したいという願い。しかし、この苦しみから開放されたいという願いは叶わないまま今日も終わる。また明日がくる。


主人公は自分を苦しめるのは自分自身の心だとわかっていて、変わりたいと強く願うがなかなかうまくいかない。

聖人になりたいと願うが、人の心には妬みや嫉妬、自己防衛があり、その心は闇となりいつまでも自分を苦しめ続ける。

しかしながら、客観的にみれば、その闇を意識できる時点でもはや聖人への扉は開かれ、道は見えているわけです。
あとは自分の思いや努力次第。

人は肉体的な努力はしやすいものですが、精神的な努力は非常に難しいものですよね。

ひとつ小さく変わるだけでも何十年もかかったりします。

まあ、それが人間なのでしょう。

非常にキリスト教や仏教的な考えとリンクしてますね。

歌詞もいいけど、メロディも最高

鐘の音から始まるとこもばっちりの演出ですし、苦しみを表すような鈍い音のうねり、もがき苦しむような人間のうめき声のようなものもききとれます。

また、DVDの中では最高の舞台演出もされています。
Screenshot_20201121_134657.jpg

くせになりますよほんと。軽はずみに手をだすと米津ワールドに引きずり込まれます。

いやー深いですね。

米津さんさいこー!




タグ:米津玄師
posted by ママちゃん at 11:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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