2016年03月28日
〜花火の歴史〜
【花火を日本で最初に見たのは家康?】
1613年に、明の商人がイギリス人を案内して幕府に徳川家康を訪ねた際、持参の花火を打ち上げ家康がこれを見物した、という記録が残っています。しかし当時は打ち上げ花火ではなく、火薬を筒に入れこれに点火し、筒から吹きあがる花火を観賞したようです。
【花火の始まりは鎮魂の祈りを込めて】
1732年の飢饉に加え、疫病コロリ(コレラ)が江戸で猛威を振るい多くの犠牲者が出ました。その死者の霊を慰め厄災を打ち払うため、1733(享保18)年5月28日、時の将軍徳川吉宗は、江戸の大川(現在の隅田川)で花火を打ち上げました。今でこそ華やかなイメージが強い花火大会ですが、はじまりは慰霊のためだったのです。
【火の掛け声のたまや〜かぎや〜って?】
これは有名な花火屋の屋号です。江戸時代、隅田川近くに「鍵屋」という花火点があり、そこから「玉屋」が独立。
以後、両国の花火大会は、この人気花火師が共演し、江戸の人々はその店の名前を呼んで花火を観賞していました。ところが「玉屋」は不慮の失火で江戸を追放されてしまいます。一代限りとなったものの、現在までその掛け声だけは受け継がれているのです。
1613年に、明の商人がイギリス人を案内して幕府に徳川家康を訪ねた際、持参の花火を打ち上げ家康がこれを見物した、という記録が残っています。しかし当時は打ち上げ花火ではなく、火薬を筒に入れこれに点火し、筒から吹きあがる花火を観賞したようです。
【花火の始まりは鎮魂の祈りを込めて】
1732年の飢饉に加え、疫病コロリ(コレラ)が江戸で猛威を振るい多くの犠牲者が出ました。その死者の霊を慰め厄災を打ち払うため、1733(享保18)年5月28日、時の将軍徳川吉宗は、江戸の大川(現在の隅田川)で花火を打ち上げました。今でこそ華やかなイメージが強い花火大会ですが、はじまりは慰霊のためだったのです。
【火の掛け声のたまや〜かぎや〜って?】
これは有名な花火屋の屋号です。江戸時代、隅田川近くに「鍵屋」という花火点があり、そこから「玉屋」が独立。
以後、両国の花火大会は、この人気花火師が共演し、江戸の人々はその店の名前を呼んで花火を観賞していました。ところが「玉屋」は不慮の失火で江戸を追放されてしまいます。一代限りとなったものの、現在までその掛け声だけは受け継がれているのです。
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