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2016年12月18日
にぶちんさんと神経使いまくりさん
先日、セミナーを受講して竹田和平さんが他界したことを知りました。ご冥福をお祈り申し上げます。
お話でしか知らない方でしたが、どんな方なんだろう…?そう思っていました。
人はいろんなものを見聞きして、生きてきます。
その中で、いろいろな理由で取捨選択しているのだと思っています。
いろいろな理由で取捨選択していることは、実は見聞きすること自体だったりもします。
同じ場、同じ時にいても、見聞きすることは人によって異なったりするのです。
このブログを目にしている方たちが何を読んでいるのだろう…?不思議に思います。
だけど、ダントツにアクセス数は1つのページが多いのです。
不思議なものです。
きっと、多くの人にとって気になることなのでしょう。
そう思っています。
今年になって知りえた本『日暮旅人の探し物』があります。
知ったのは、お料理屋さん。
ハンバーグを食べて、この本を知りました。
この本を読んで、面白いなぁ…って思いました。
五感のうち、視覚以外が乏しい?
そんな主人公の話。
視覚でいろんなことを理解する人という主人公でした。
読んでいて、言葉でいろんな情報が表現されていると、ある意味理解しやすいだろうなぁ…と思いながら、他の感覚がないに等しい…その大変さを思わされたのでした。
感覚が鈍感な人っていると思うのです。
先日、ある人が鈍感であることを悪いと言っていたのです。
だけど、その人に対して思ったことは、鈍感だからできることもあるって。
何事も、鋭いことが全てよいわけでもないし、もちろん、鋭いからよいこともあると思います。
相手の心が手に取るようにわかる…ある意味つらいことだと思います。
それは、いいことも悪いこともあると思うのです、その人にとって。
事実は一つで、それをどう感じるかは人それぞれ。いいと思っていても、他者にとっては悪いことだってあるのですね。
繊細で細やかに気付くことができる人は、細やかに対応できると言えるかもしれません。
しかし、気づくからこそ、他の人には気にならないことが気になって仕方ないということもあるのです。
同じ出来事でも、気にならない人たちにとってはどうでもいいこと。
そんなどちらが幸せなのか?ってわからないと思うのです。
気付く力があるかどうかは、実は気づくことができることもできないこともいい面があるのです。
気の利く人は、ちょっと体を動かしただけ…でも、何があっているのかを考え察知して対応しようとします。
気の利く人と書きましたが、もしかしたら、表現を変えると神経質なのかもしれません。
鈍い人は、誰かがちょっと体を動かしても気にしないかもしれません。だけど、気にしないからこそ、一緒にいて安心できるということもあると思うのです。
細やかに気付いていても、鈍感に振る舞うことができるって本当は技術。
鈍いのに、細やかに気付くように努めるのも技術。
ただ、どちらも大切と思います。読みたい方のみで…
お話でしか知らない方でしたが、どんな方なんだろう…?そう思っていました。
人はいろんなものを見聞きして、生きてきます。
その中で、いろいろな理由で取捨選択しているのだと思っています。
いろいろな理由で取捨選択していることは、実は見聞きすること自体だったりもします。
同じ場、同じ時にいても、見聞きすることは人によって異なったりするのです。
このブログを目にしている方たちが何を読んでいるのだろう…?不思議に思います。
だけど、ダントツにアクセス数は1つのページが多いのです。
不思議なものです。
きっと、多くの人にとって気になることなのでしょう。
そう思っています。
今年になって知りえた本『日暮旅人の探し物』があります。
知ったのは、お料理屋さん。
ハンバーグを食べて、この本を知りました。
この本を読んで、面白いなぁ…って思いました。
五感のうち、視覚以外が乏しい?
そんな主人公の話。
視覚でいろんなことを理解する人という主人公でした。
読んでいて、言葉でいろんな情報が表現されていると、ある意味理解しやすいだろうなぁ…と思いながら、他の感覚がないに等しい…その大変さを思わされたのでした。
感覚が鈍感な人っていると思うのです。
先日、ある人が鈍感であることを悪いと言っていたのです。
だけど、その人に対して思ったことは、鈍感だからできることもあるって。
何事も、鋭いことが全てよいわけでもないし、もちろん、鋭いからよいこともあると思います。
相手の心が手に取るようにわかる…ある意味つらいことだと思います。
それは、いいことも悪いこともあると思うのです、その人にとって。
事実は一つで、それをどう感じるかは人それぞれ。いいと思っていても、他者にとっては悪いことだってあるのですね。
繊細で細やかに気付くことができる人は、細やかに対応できると言えるかもしれません。
しかし、気づくからこそ、他の人には気にならないことが気になって仕方ないということもあるのです。
同じ出来事でも、気にならない人たちにとってはどうでもいいこと。
そんなどちらが幸せなのか?ってわからないと思うのです。
気付く力があるかどうかは、実は気づくことができることもできないこともいい面があるのです。
気の利く人は、ちょっと体を動かしただけ…でも、何があっているのかを考え察知して対応しようとします。
気の利く人と書きましたが、もしかしたら、表現を変えると神経質なのかもしれません。
鈍い人は、誰かがちょっと体を動かしても気にしないかもしれません。だけど、気にしないからこそ、一緒にいて安心できるということもあると思うのです。
細やかに気付いていても、鈍感に振る舞うことができるって本当は技術。
鈍いのに、細やかに気付くように努めるのも技術。
ただ、どちらも大切と思います。読みたい方のみで…
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