今川時代駿府(静岡市)は”京都より京都らしい”といわれた時代もあります。
京の戦火を避けて多くの公家が訪れ、また今川義元の母が公家の出だったことから一流の文化人が滞在するようになりました。
京都の公家との交わりが盛んとなり”京都より京都らしい”と呼ばれていました。 今では、徳川家康により変えられ、駿府城を中心とした城下町という風情ですが、今川時代は、神社仏閣が多く境内には、季節を彩る花に囲まれた庭園があり、今川家重臣や京都から来た公家衆は、月・花・富士を題材に和歌に興じたそうです。
駿府の町は後に、武田信玄の駿河侵攻により焼き尽くされ、今川時代の名残はほとんどありませんが、呉服町・両替町・七間町など碁盤目状の町並は今川時代の名残です。
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