静岡市葵区中町にある「天満宮」は、『川中の天神様』と呼ばれてきました。
これは、川の中の岩上に鎮座していたためでかつての安倍川が浅間神社付近で
左右に分かれ中町がその支流の流路にあたっていたことを物語っています。
今川義元の頃の中世の安倍川は、藁科川から独立し複雑な流路を形成していました。
安倍川の本流は、現在の中町を流れており、そこに祀られていたのが『川中の天神様』
(現在の中町の天神さん)です。
つまり中洲を形成していた所に、この天神さんが祀られていたということです。
≪≫若い人のために注釈≪≫
天満宮(てんまんぐう)は、菅原道真を祭神とする神社です。
(追記地図参照)
安倍川本流から分かれた北川と呼ばれた川(上記地図参照)もあります。
北川は浅間神社前を迂回して、
臨済寺方面から麻機沼へと流れ、途中から足洗方面へ流れました。
安倍川の本流は、現在の中町(静岡市街地)を堂々と流れていて、
そこに祀られていたのが、繰り返しますが、川中の天神さん
(現在の中町の天神さん)
です。つまり中洲を形成していた所に、この天神さんが祀られてい
たといいます。この流れの一つは静岡市役所静岡庁舎を過ぎた辺りから
また別流となり、妹川とか横雄川となって新静岡センター(現在新静岡セノバ)
方面にも流路を形成していたといいます。
時は流れ
江戸時代の慶長11年(1606年)頃の徳川家康の駿府城拡張工事に伴い
薩摩藩に命じて、安倍川と藁科川の合流工事を敢行させた。 そのこと
により薩摩土手と呼ばれている。
この工事により、天神様は、川中ではなくなりました。今では、街中となり
安倍川が流れていたことは、ほとんどの方が知らないと思います。
静岡市の天満宮は、「川中にあったんだよ」というと静岡の人でもビックリします。
「薩摩土手の記事」も合わせてお読みください。
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