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2018年04月23日
読書の興味(漫画&小説:信長を殺した男:その一)
色々諸事情等ありましたが、ブログを久しぶりに書いてみたいと思います。
その間に多くの物語とも出会いました。
自身の小説は遅々と進まないですが、頭には様々な物語を浮かべています。
今回紹介するのは、原案明智憲三郎氏、漫画藤堂裕先生の「信長を殺した男〜本能寺の変431年目の真実〜」です。
歴史書は様々とありますし、特に織田信長は顕著に多く、「信長のシェフ」、「信長の忍び」など漫画作品に至るまで様々多くあります。
今回は、その中でも織田信長と明智光秀の関係と本能寺の変の検証を基にした話で、明智家の子孫でもある明智憲三郎氏の検証を基に書かれています。
何故明智光秀は織田信長を裏切ったのか、それは天下の為なのか、自らの権力を握りたいがためか、陰謀か?
様々な説が取り上げられていますが、その中でも今回の話は陰謀説からとられている話となっています。
さてさて、明智光秀という人物はどういう人物だったのかも歴史記的な謎に包まれていますが、フロイス初期では狡猾な人物として書かれています。ですが、「信長の忍び」で知ったことですが、このフロイス自体はキリスト教を信じないものに対しては酷評であることとされています。
元より資料によれば明智光秀自体は尊皇派であるともされておりますし、さらに最近の検証では信長公記も疑いがもたれる記録があります。
さておき、この物語は明智光秀が主人公であり、更に知られざる明けて胃光秀の実態もわかってきます。
明智光秀は、以前から私も歴史資料において疑問があり、もとより信長の信頼性をも高い人物で、慈悲深い人物でもある。戦場では厳しくも、平時は優しい人物であったことは間違いなく、ッそれがなぜこの事態に陥ったのがこの物語によりそれがよく描かれています。
個人的な考えですが、何故本能寺の変が起きたのか、それを私なりの答えも持っていますが、ある意味この歴史的事件には踏み込んではいけない信長、光秀、家康、秀吉の思いがあったと思われます。
歴史を紐解くことは難しいですが、興味を持ってはいかがでしょうか。
今日はこの辺りで
その間に多くの物語とも出会いました。
自身の小説は遅々と進まないですが、頭には様々な物語を浮かべています。
今回紹介するのは、原案明智憲三郎氏、漫画藤堂裕先生の「信長を殺した男〜本能寺の変431年目の真実〜」です。
歴史書は様々とありますし、特に織田信長は顕著に多く、「信長のシェフ」、「信長の忍び」など漫画作品に至るまで様々多くあります。
今回は、その中でも織田信長と明智光秀の関係と本能寺の変の検証を基にした話で、明智家の子孫でもある明智憲三郎氏の検証を基に書かれています。
何故明智光秀は織田信長を裏切ったのか、それは天下の為なのか、自らの権力を握りたいがためか、陰謀か?
様々な説が取り上げられていますが、その中でも今回の話は陰謀説からとられている話となっています。
さてさて、明智光秀という人物はどういう人物だったのかも歴史記的な謎に包まれていますが、フロイス初期では狡猾な人物として書かれています。ですが、「信長の忍び」で知ったことですが、このフロイス自体はキリスト教を信じないものに対しては酷評であることとされています。
元より資料によれば明智光秀自体は尊皇派であるともされておりますし、さらに最近の検証では信長公記も疑いがもたれる記録があります。
さておき、この物語は明智光秀が主人公であり、更に知られざる明けて胃光秀の実態もわかってきます。
明智光秀は、以前から私も歴史資料において疑問があり、もとより信長の信頼性をも高い人物で、慈悲深い人物でもある。戦場では厳しくも、平時は優しい人物であったことは間違いなく、ッそれがなぜこの事態に陥ったのがこの物語によりそれがよく描かれています。
個人的な考えですが、何故本能寺の変が起きたのか、それを私なりの答えも持っていますが、ある意味この歴史的事件には踏み込んではいけない信長、光秀、家康、秀吉の思いがあったと思われます。
歴史を紐解くことは難しいですが、興味を持ってはいかがでしょうか。
今日はこの辺りで