2018年03月18日
豊臣秀吉の家紋の意味と現在も日本政府が使用している理由!
豊臣秀吉の家紋の意味は?
政府が使っている理由について。
豊臣秀吉の家紋は「桐紋」と呼ばれるものです。
他にもひょうたんの馬標や妻の実家の木下家の家紋を使っていた時期もありましたが、秀吉の家紋と言えばやはり桐紋の事を思い浮かべることが多いと思います。
この桐紋ですが、一体どのような意味があるのでしょうか?
また、桐紋は日本政府や首相官邸にも使われている紋章としても有名ですが、何故こうしたところで秀吉の家紋が利用されているのかについても調べてみました。
豊臣秀吉の家紋「桐紋」の意味について豊臣秀吉が用いていた家紋は「桐紋」と呼ばれるものですが、この紋章は元々菊紋とともに天皇家のみが使っていたものでした。
何だか凄く格式がありそうな家紋ですね。
一体どのような意味があるのでしょうか?
桐紋の桐とは古代中国の神話に出てくる鳥・鳳凰がとまる木とされていて、昔から神聖なものとして扱われていたそうです。
こうした風習が日本にも伝わり、日本でも800年頃から天皇の衣類などに使われるなど、皇室のみが利用できる格式のある紋章として使われてきたそうです。
やがて、桐紋は天皇家のみならず有力な武家も使い始めるようになります。
例えば室町幕府の初代将軍である足利尊氏は、当時の後醍醐天皇からこの桐紋を恩賞としていただいたと言われています。
また、13代将軍である足利義輝は信長にこの桐紋を与えており、天皇家から有力な武家へ、有力な武家からその家臣へ・・・といった風に桐紋を使う家は少しずつ増えていったそうです。
秀吉が桐紋を使い始めた切っ掛けも信長からこの紋章を頂戴したためだと言われています。
その一方で徳川家康は自分の家紋に権威を持たせるために、葵紋の使用を徳川将軍家及び徳川御三家に限るといった施策を行っています。
家紋をどのように利用するかはその時々の権力者によって様々だったのでしょうね。
豊臣秀吉の家紋の話に戻ります。
秀吉が使用していた家紋には数多くのバリエーションがあるのですが、その中で夢いなのは「五三桐」及び「五七桐」というものです。
秀吉は、信長の家臣時代は「五三桐」を活用していたのですが、姓を豊臣と改めたときに「五七桐」を当時の後陽成天皇から与えられたのを機に用いる家紋を後者に切り替えます。
やがて、秀吉は家臣にこれらの五三桐や五七桐を分け与えるのですが、すると桐紋の希少価値がなくなるので、五七桐をアレンジした「太閤桐」といったものを使い始めるようになりました。
なお、桐紋にはこれら以外にも様々なバリエーションがあります。
それぞれの桐紋の微妙な違いを見て見ていくのも面白いですね。
秀吉の家紋「桐紋」を政府が政府が使っている理由とは?
豊臣秀吉と桐紋の関係を語る際、現在の日本政府が秀吉が使っているものと同じ桐紋を使っていることが話題になることがあります。
500円硬貨にもこの桐紋が利用されていますね。
一体、何故政府が秀吉と同じ家紋を?と思われる方もいるかもしれませんね。
その答えですが、明治時代以降桐紋が日本政府の紋章として使われるようになったためです。
元々桐紋は天皇家が使っていた紋章。
その朝廷の政府という繋がりで当時の明治時代が桐紋を使い出し、その慣習が今に至るまで続いているだけなのです。
以下は余談ですが、明治政府が桐紋を活用していることについて豊臣秀吉の怨念が込められていると都市伝説で言われることがあります。
関ケ原の戦いで西軍が敗れた際、豊臣家の家臣の多くが薩摩と長州へ左遷された。
そして260年の時を経て薩長桐紋を掲げて倒幕運動を行い今の明治政府が誕生したというものです。
個人的には論理飛躍しすぎだと思うのですが、都市伝説の範囲内で楽しむのも悪くはないかなと思います。
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