我が子がサッカースクールに通っている。小1である。私はたまに練習試合を見に行く。
そこで気になったのは、とある対戦相手チームのコーチが彼自身のチームの子どもたちに対してよく威圧的な発言をしていたことだ。それらはほとんど罵声と言っていい。
2回に渡りそのようなことがあった。その2回はおそらく同じチームだと思う。そのチームの子どもたちの学年もせいぜい小1,2くらいである。
発言は、だいたい以下のようなものだった。
「おい!もっと○○せよ〜!」
「おいだから○○えよ!」
「どうせまた泣くだけだろ!」(言われた子はその後実際に泣いていた)
「おいおいおい止まってるぞ!!」
「行けよ!!!行けよ!!!行ぃぃけよ!!!」
(ルールを憶えきれていない子に対して)「ちげえよそっちから蹴るんだよ!そこ!お”〜い!ちげえよ!!!」
etc.
これらを、かなり威圧的な発声と表情を持って、そこそこの頻度で言っているのである。そんなに年老いているようには見えない。むしろ比較的若そうなコーチである。
これが我が子のチームのコーチではなかったことに若干安堵するものの、相手チームとはいえ、やはり見ていて聞いていて気分の良いものではない。
それに、上記のような発言をしているからといって、別にそのチームが特別強いわけではないのだ。むしろそのせいで硬直している子が出たりして、本来の力を発揮できていないように見える。
そのチームにもそこそこの数の保護者が応援に来ていたようだが、彼等は何も苦情を言わないのだろうか? いやむしろ、そのように「厳しく指導してほしい」とか言っている親がいたりするのだろうか。
もちろん、必要な適切な「厳しさ」であれば何ら問題はないだろうが、あれは明らかにそうではないと、私は思う。
私はそういう場面を見ると、どうしても自分の小学生時代を思い出してしまう。どうしても忘れられない嫌なコーチや教師の、フラッシュバックのような記憶だ。
1つはスイミングスクールにて。小4から選手育成クラス的なものに所属した私は、通常のクラスよりも高負荷な練習を行っていた。そのこと自体はもちろん、何ら問題はない。
問題は、そこにいた男のコーチだ。かなり高圧的だったのをいまだに憶えている。ドスのきいた「オラオラァァ!」だの「コルァ〜!」だのを随時連発。表情も常時、無表情に眉間しわ寄せを加えたものである。そいつに何かを質問するときも、一定以上の大きな声で言わないと、その表情のまま目線を合わせずに完全無視してくる。
極めつけはケツバットだ。所定のタイムを切れなかった生徒に対して、壁に両手をつかせた上にへっぴり腰のような体勢にさせた上で、プールサイドにてケツバットを食らわせる。2Fにしかない客席からはちょうど見えない位置でだ。
プラスチック製のバットとはいえ、ある程度は痛いし、何よりも精神的な苦痛がこの上ない。
そんなことだからか、そのスクールの成績は大したことはなかった。大会でたいして勝てない。もともと強い選手が途中で他の良いスクールに移籍してしまったこともあった。
100歩譲って、その上の人間の方針でやむを得ずそのような指導になっていたとしよう。だとしても、今度はその上の人間が糞ということになり、それをまともに実行できてしまうそのコーチ自身もやはりほぼ同様に糞ということになるだけだ。
私自身は、その選手育成クラスにスカウトされる直前くらいまでが成長のピークで、そのクラスに入ってからいくつか銅メダルや入賞こそとったものの、たいした成長はできなかった。もちろん、個人の才能や能力のせいもあろう。でも、そんな環境ではそもそもやる気は出るはずがない。
むしろ私は委縮しており、練習には本当に行きたくなかった。いつもスイミングスクールの時間が近づいてくると、胸のあたりがざわざわとしたり、空洞になったような、くすぐったいような、どす黒い何かが中にあるような、とにかくとても変で嫌な感覚が胸元でして、本当に気分が悪くなったものだ。毎回、気が気ではなかった。
辞めたくても親に辞めさせてもらえなかったが、なんとか途中で回数は減らしてもらえた。それでも行きたくない日は、弁慶の泣き所をわざと階段の角に何度もぶつけて血を出すことで、やっと休ませてもらえたこともあった。
嫌々ながらも、なんとか小学校在籍中は続けた。続けさせられた。だから、辞めた時の解放感といったらなかった。でもその反動か、中学生の頃の私は、ストレッサーやチャレンジを徹底的に避けるような情けない性格になっていた。
もう一つ、思い出す教師がいる。
小2〜3のときの担任の女だ。こいつもたいてい無表情であり、たいてい生徒を見下すような態度を示していた。忘れ物をした生徒のランドセルを無理やり机から床にすり落とすとか、生徒を馬鹿呼ばわりするなどは朝飯前。他にも、生徒をお前/お前ら呼ばわりしたり、とにかく馬鹿にする発言が多かった。
挙句の果てに、どんなつながりだか知らないが自らが出演した産後母が集まって出演するテレビ番組の録画を教室で見させられたり、とにかくいらぬことばかりする奴だった。
こいつら、今同じことをすれば大問題になるだろう。もうちょっと時代が遅ければと思うと悔しい。
こうした小学生時代の経験が、指導者や目上の人に対してデフォルトとしては不信感を持つ、という心理が私の中に育まれてしまったのだと思う。それ以外にも、与えられた悪影響は大きいと思っている。
しかし一方、素晴らしい指導者の方にも出会えたこともある。
わんぱく相撲教室のときの先生は、元教師かつ当時相撲部屋の親方であり、毎年夏休み中だけ特別にその小学校まで指導しに来てくださった。練習の時は自らまわしの姿になり稽古もつけてくれた。
常に落ち着き温和な感じで、決して無駄に怒るようなことはなく、親身にかつ丁寧で分かりやすく指導してくださった。1度くらいは誰かを𠮟りつけているのを見た気がするが、その叱り方というのも納得できるものであり、それが済んだ後は元の温和な雰囲気で通常通り稽古が続行されたというような記憶がある。きっと心のこもった叱り方というものがあるのだろう。
基本を大事にしつつも練習の負荷は決して楽ではなかったと思うが、みな自然と楽しみながら個々にやる気を出して取り組めていたように思う。実際、その後の区の大会では、同じ教室の同級生が1人ずつ優勝と準優勝になり、当時ガリガリでまったく相撲っぽくなかった私でさえ、予選を勝ち抜きベスト8の決勝トーナメントに進むことができた。その一つ前の先輩も同じように指導され、優勝していたそうだ。
また中学のときには、鬼のように見えるが実は良い人という体育の先生もいた。
そういう先生というのは、たいてい風紀的に下層に位置する生徒に対する指導態度をデフォルト状態としているためか、誤解されやすいのだろう。真面目というかごく普通の生徒に対しては、実は優しかったり対等に接してくれたりするものだ。
他にも素晴らしいコーチや先生はいた。そんな人たちのおかげで、前述した嫌な指導者たちの記憶が中和され、私は超ギリギリなんとか病まずに済んだのかもしれない。
まあこのような感じで、問題のある指導者と優れた指導者の方々を双方思い出すことで、その歴然とした差はよりくっきりと浮き出てくる。
2020年代というこの時代、以前よりもはるかに多くの情報を得ることができ、教育や社会も以前よりは発達しているはずで、またハラスメントとかコンプライアンスとかSDGsとかいう言葉を多く耳にするこのご時世、悪い意味での前時代的な指導者というのはもうほとんど絶滅したものだと思い込んでいた。しかし実際は、今でもいるようだ。ネット情報や口コミ情報からも、やはりそこらにいるようだ。
やはり、「適切な厳しさ」と「威圧的な態度」とは、似て非なるものだ。いや、むしろ似ているとすら思ってはいけないのかもしれない。誰もがちゃんと違いを分からなくてはいけないのかもしれない。
無益な威圧的な態度を続ける指導者は、いったいどのような考えに基づき、そのようにするのだろうか。
おそらく、自分がそのようにされてきたから、という単純な理由も多いのだろう。
また、罵声を浴びせられるくらいの刺激がやる気を出すにはちょうどよい、という人もいるだろう。でもそれは全員ではない。むしろ昨今では、マイノリティではないのか。
というか、高圧的にされないとやる気でないって、お前どんだけ我のエネルギー低いんだよ、もともとどんだけやる気ねえ体質なんだよダメだろ、もしくはどんだけひねくれてんだよ、と逆に突っ込みたくなる。
また、自分が威圧的に指導されてきてそれを乗り越えられたからといって、そのおかげで上達したと本当に言えるのだろうか? もしも、「威圧的な態度」によってではなく適切な厳しささや適切な指導によって育てられていたなら、もっと上に行けたのではないか? と自分で思わないのだろうか。
もっと言うと、悪気のない小学生に対して高圧的になるとかいって、指導云々以前にそもそも大人の人間として恥ずかしくないのかよ・・・と言いたくなる。
スポーツにおけるコーチング技術そのものは発達しているのかもしれないが、それが現場に浸透しているかどうかは、スポーツの種類や地域などによってけっこう大きく異なるのではないだろうか。もちろん究極的には、指導者個々人の違いが一番大きいだろうが。
より良くなりたいと思う人からその辺をちゃんとしていって周囲にも良い影響を与えていこうっていうのが、今後も必要なんだろうね。マイルドな言い方で言えば。