2016年09月20日
50年前の愛のかたち 1966年制作「男と女」一時代を築いたクロード・ルルーシュの出世作
新聞記事に、この1996年制作の映画「男と女」が50年を経ていまだにラブロマンスの金字塔であり、記念のデジタル・リマスター版が上映されるとあった。
実は、フランシス・レイのテーマ曲はよく耳にしたが、この映画は観ていなかった。というわけでDVDを借りた。なんと情緒があって、男女間に一定の距離感を保ちながらも、心の襞を微妙に表現するという心憎いラブ・ストーリーだ。映像と音楽の一体感も素晴らしい。
男女の出会いはいろいろな局面が考えられるが、この映画の場合は、子供を同じ寄宿学校に預けていて、毎日曜日に子供に会いに来ているという男女が巡り会う。
このDVDには、「37年後のクロード・ルルーシュと共に」としてインタビュー映像が収録してある。それによると映画製作のきっかけは、ドービルの海岸で女性が子供と犬を連れて朝の6時に散歩している。それを見てあれこれと想像した。寄宿学校も思い浮かべたという。それが「男と女」につながった。
これを聞いていて、私はイギリスの作家バージニア・ウルフの伝記の中の一節を思い出した。それは姪だったかな、を連れてロンドンへ行く列車に乗ったときのこと、乗客の男を見てその職業や家庭を思い描くというのがあった。作家にしろ映画製作者にしろ創造する人の共通点が見えた気がした。想像力がモノを創造させる。
さて物語の男は、ジャン・ルイ(ジャン=ルイ・トランティニャン)といい表の稼業はレーサーで裏稼業は売春婦の上がり金を回収するという卑しい仕事だった。
ここで文句を一つ、裏稼業は割愛してもよかったと思う。ジャン・ルイの独白以降裏稼業は出てこないからだ。
娘を寄宿舎に預けたあとアンヌ(アヌーク・エーメ)は、列車に乗り遅れた。ちょうどそこに息子を預けに来たジャンの車で送ってもらうよう教師に促されたのが出会いのきっかけだった。当然のことに次の日曜日も一緒に行きましょう。 ということになるのは必定だろう。しかも美人のアンヌとくれば、誰でも誘いたくなる。実際のところアヌーク・エーメは、色香もあり知的な雰囲気でジャンが心を奪われるのはよく分かる。
この映画で男の心情を特に描写しているのが面白い。手と手の指の使い方と車の中で彼女に接する方法を考える場面だ。
子供たちと一緒にレストランで食事をする場面で、隣に座るアンヌの椅子に手をかけているジャン。アンヌの背中に触れている。この場面のアヌーク・エーメの表情が実によかった。あとで船に乗るが手の表情は、アンヌの手に触れようかどうしようという迷いの手の動きがよかった。
それに帰路の車の中でジャンがギヤー操作のあとアンヌの手を握る。ちょっと冷ややかな表情で「奥様の話をして」とアンヌはいう。アンヌにしてみれば妻のある男と愛し合うのは避けたいという思いだろう。レース中ジャンは大事故を起こす。危篤状態になった。そのとき妻は心配のあまり精神に異常をきたし自殺したという。アンヌもスタントマンだった夫を事故で亡くしている。同情と共に別の感情も芽生える。
それはジャンがモンテカルロ・ラリーに参戦して、困難なレースを完遂したのをテレビで観ていたアンヌが打った電報が証明している。一度は“ブラボー テレビを観ました。アンヌ”だったのを”ブラボー 愛してます。アンヌ“に変更した。
こんな電報を貰って舞い上がらない男はいない。ジャンはすぐパリに向けスタートした。3000キロをぶっ飛ばす。頭の中はアンヌのことで一杯。会ったときにどう言おうとか、電報を打ったほうがいいのかとかいろんなことを考える。
しかし、現代の私だったらそんな余計なことは考えない。3000キロを不眠不休で走るのは無理だろうから、途中泊まるにしても会ったときには「僕も愛しているよ」と言って抱きしめればいい。これが激情の発露。
ところが映画は別のストーリーを用意していた。なんとも粋な幕切れを……。やっぱり50年前の愛のかたちだった。心に残るいい映画だったなあ。
監督
クロード・ルルーシュ1937年10月フランス、パリ生まれ。この作品でカンヌ国際映画祭のパルム・ドール賞を受賞。
音楽
フランシス・レイ1932年4月フランス、ニース生まれ。1970年「ある愛の詩」(アンディ・ウィリアムスの歌唱で有名)でアカデミー作曲賞受賞。
キャスト
アヌーク・エーメ1932年4月フランス、パリ生まれ。本作でアカデミー主演女優賞にノミネート。
ジャン=ルイ・トランティニャン1930年12月フランス、ヴォクリューズ生まれ。
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