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2015年07月21日
広瀬すずは「性格」が悪い、のではなく、広瀬すずは「俗物」である、という件
どうも。
最近、僕の「ある小説」が原因で、パーフェクト・ミュージックという音楽会社と「訴訟沙汰」になりそうな(本当のこと)、小説家のともなりたかひろです。
もし裁判で「執行猶予」がついたらウケるよね(笑)。
だって、僕の人生自体が「執行猶予中」だからね、普通に(笑)。
まァ、そんなときはさておきさ、僕はね、広瀬すずさんに一言言いたくてここにはせ参じたわけなんですよ。
彼女、『食わず嫌い王』で、スタッフの方へ「職業差別」とも取れる発言したじゃないですか?
そんな、人の声を録音することだけの人生でいいの? 的なさ。
僕は彼女はまだ若いのだからそのくらいの失言は仕方がない、とかいう理由で許す気はなく、徹底的に批判したく思っている。
――あのね、広瀬すずさんは、ご自身を「選ばれた人」だと思っているんだよね。
つまり、「必然」として、今の自分の「人生」や「状況」がある、と思っていらっしゃる。
でもさ、と思うんだよね。
「一回性」の「人生」において、支配しているのは「自分の力」ではなく(いや、俺は自分の力で人生を勝ち登ってきたぞ、という意見の方もいらっしゃるだろうが、それはこの後ちゃんと注釈しますから)、多くの「見えない力」のせいだったり、「なぜか物事が巧く運んだ」という「偶然の堆積」だったりする、・・・つまりは、多かれ少なかれ、「自分ではどうすることもできない大きな流れ」によって「一回性」の「人生」は形成されていくんだよ。
つまり、たった一度きりの「人生」において獲得した「人生訓」が、100%正しい、とは思えないわけ、僕には。
少なくとも、世にいる瀬戸内寂聴みたいな「人生訓」を垂れる人は、「真理」の半分しか分かっていない、ということにすら気付いていないことは確かだ。
それが、「人生の真理」の「全て」を知っているかのような顔で民衆に説いているのだから、いやになるのだ。
だってさ、考えてもみてくださいよ、「もう一回人生やり直しね〜」ってなったらさ、「今回の人生」のような「立場」や「状況」を得られるか、って言ったら、ちょっと難しいと思わないかい?
ここだよね、ポイントは。
例えば、「今回の人生」で「社会的に成功」した人は、きっと「信念を貫けば、人生は自分の力でどうにでも出来る」という「人生の真理」を得るだろう。
しかし、反対に、「今回の人生」で「社会的に失敗」した人は、きっと「信念があろうがなかろうが、関係ない。世の中には、自分ではどうすることもできない力が働いているのだ」という「人生の真理」を得るだろう。
簡潔に言えば、広瀬すずさんには、今はこういう「恵まれた人生」を生きているけれども、「私だって『もう一回人生やり直せ』ってなったら、もしかしたら音声さんとして一生地味に暮らしていたかもしれない」という、「可能世界」的視点が欠けているのである。
そして、この「可能世界」的視点が欠けていることの何が悪いのか、というと、――答えは単純、世の「弱き人々」に対して「本当の優しさ」を持てない、ということなのだ。
「今俺は音楽で成功して暮らせていけてるけど、もう一回人生やり直しってなったら・・・夢破れて日の目も見ずに人生終ってたかもな」
こういう風に考えるだけで、――病床にいる子供にも、いじめで自殺してしまった小学生にも、就職で失敗してニートになってしまった青年にも、いい年こいて派遣やっている中年のおじちゃんにも、駅の立ち食い蕎麦屋で働いているおばちゃんにも、・・・少しは「優しい」視点を持てるんじゃないの?・・・ってことさ。
そして、この「立脚点」(悟り)を得た人は、――他人に「人生訓」なんて絶対垂れないよ。
つまり、本当に「賢い人」ほど、ただ黙って、かすかに笑っている「無力な人」なのですよ。
それはもう、皆さんご承知の通り、――「この世はどうにもならない“偶然”が支配する“不条理”な世界で、救われる人もいれば、救われない人もいる」という「本当の真理」を知っているからですよ。
自分の「今回の人生」だって「たまたまそうなった」んだから、――無責任に、他人に向かって「こう生きれば幸せになれますよ」とか、言えないよ、そりゃ。
とまァ、これ以上話すと、それこそパーフェクト・ミュージックに「削除」された「ある小説」の内で扱ったキリストの話になっていきそうなので、もうやめますけど、とにかく僕は広瀬すずさんは「本当の優しさ」を知らない人だ、ということは確かだと思いますね。
・・・ていうか、関係ないけど、このブログ、全然、「アフィリエイト」になってないですよね・・・。
最近は商品すら紹介していないし。
「結果にコミットする!」
「全然出来てないやんけ!」
という漫才が成立するぐらいに、「アフィリエイト」になってない。
うん。
まァ、いいや。
一応、この記事の最後に、アフィリエイトの広告を貼っておきますね。
じゃ。
自由テキスト
最近、僕の「ある小説」が原因で、パーフェクト・ミュージックという音楽会社と「訴訟沙汰」になりそうな(本当のこと)、小説家のともなりたかひろです。
もし裁判で「執行猶予」がついたらウケるよね(笑)。
だって、僕の人生自体が「執行猶予中」だからね、普通に(笑)。
まァ、そんなときはさておきさ、僕はね、広瀬すずさんに一言言いたくてここにはせ参じたわけなんですよ。
彼女、『食わず嫌い王』で、スタッフの方へ「職業差別」とも取れる発言したじゃないですか?
そんな、人の声を録音することだけの人生でいいの? 的なさ。
僕は彼女はまだ若いのだからそのくらいの失言は仕方がない、とかいう理由で許す気はなく、徹底的に批判したく思っている。
――あのね、広瀬すずさんは、ご自身を「選ばれた人」だと思っているんだよね。
つまり、「必然」として、今の自分の「人生」や「状況」がある、と思っていらっしゃる。
でもさ、と思うんだよね。
「一回性」の「人生」において、支配しているのは「自分の力」ではなく(いや、俺は自分の力で人生を勝ち登ってきたぞ、という意見の方もいらっしゃるだろうが、それはこの後ちゃんと注釈しますから)、多くの「見えない力」のせいだったり、「なぜか物事が巧く運んだ」という「偶然の堆積」だったりする、・・・つまりは、多かれ少なかれ、「自分ではどうすることもできない大きな流れ」によって「一回性」の「人生」は形成されていくんだよ。
つまり、たった一度きりの「人生」において獲得した「人生訓」が、100%正しい、とは思えないわけ、僕には。
少なくとも、世にいる瀬戸内寂聴みたいな「人生訓」を垂れる人は、「真理」の半分しか分かっていない、ということにすら気付いていないことは確かだ。
それが、「人生の真理」の「全て」を知っているかのような顔で民衆に説いているのだから、いやになるのだ。
だってさ、考えてもみてくださいよ、「もう一回人生やり直しね〜」ってなったらさ、「今回の人生」のような「立場」や「状況」を得られるか、って言ったら、ちょっと難しいと思わないかい?
ここだよね、ポイントは。
例えば、「今回の人生」で「社会的に成功」した人は、きっと「信念を貫けば、人生は自分の力でどうにでも出来る」という「人生の真理」を得るだろう。
しかし、反対に、「今回の人生」で「社会的に失敗」した人は、きっと「信念があろうがなかろうが、関係ない。世の中には、自分ではどうすることもできない力が働いているのだ」という「人生の真理」を得るだろう。
簡潔に言えば、広瀬すずさんには、今はこういう「恵まれた人生」を生きているけれども、「私だって『もう一回人生やり直せ』ってなったら、もしかしたら音声さんとして一生地味に暮らしていたかもしれない」という、「可能世界」的視点が欠けているのである。
そして、この「可能世界」的視点が欠けていることの何が悪いのか、というと、――答えは単純、世の「弱き人々」に対して「本当の優しさ」を持てない、ということなのだ。
「今俺は音楽で成功して暮らせていけてるけど、もう一回人生やり直しってなったら・・・夢破れて日の目も見ずに人生終ってたかもな」
こういう風に考えるだけで、――病床にいる子供にも、いじめで自殺してしまった小学生にも、就職で失敗してニートになってしまった青年にも、いい年こいて派遣やっている中年のおじちゃんにも、駅の立ち食い蕎麦屋で働いているおばちゃんにも、・・・少しは「優しい」視点を持てるんじゃないの?・・・ってことさ。
そして、この「立脚点」(悟り)を得た人は、――他人に「人生訓」なんて絶対垂れないよ。
つまり、本当に「賢い人」ほど、ただ黙って、かすかに笑っている「無力な人」なのですよ。
それはもう、皆さんご承知の通り、――「この世はどうにもならない“偶然”が支配する“不条理”な世界で、救われる人もいれば、救われない人もいる」という「本当の真理」を知っているからですよ。
自分の「今回の人生」だって「たまたまそうなった」んだから、――無責任に、他人に向かって「こう生きれば幸せになれますよ」とか、言えないよ、そりゃ。
とまァ、これ以上話すと、それこそパーフェクト・ミュージックに「削除」された「ある小説」の内で扱ったキリストの話になっていきそうなので、もうやめますけど、とにかく僕は広瀬すずさんは「本当の優しさ」を知らない人だ、ということは確かだと思いますね。
・・・ていうか、関係ないけど、このブログ、全然、「アフィリエイト」になってないですよね・・・。
最近は商品すら紹介していないし。
「結果にコミットする!」
「全然出来てないやんけ!」
という漫才が成立するぐらいに、「アフィリエイト」になってない。
うん。
まァ、いいや。
一応、この記事の最後に、アフィリエイトの広告を貼っておきますね。
じゃ。
自由テキスト
2015年07月11日
赤ちゃんってどうやってできるの? feat.岩手いじめ自殺問題について
どうも、お久しぶりです、これを読んでいる「貴方」。
最近、AmazonKindleから出版した『小説・神聖かまってちゃん』が、契約違反(たぶん著作権違反&プライバシーの侵害)で、完全に消去され、永久にアカウントBANになり、「ちくしょう、せめて過払い金だけでも払え」と思っている、小説家(詐欺師)のともなりたかひろです。
『小説・神聖かまってちゃん』(移植・無料で読める版)→http://tb.antiscroll.com/novels/jiga619/18229
・・・すいません、どうしても「過払い金」というワードを使いたかったんです。
あともう一つ、謝らせてください。
タイトルと内容、あんま関係ないかもしれません。
でも、フリースタイルで書いていくうちに、関係していくかもしれません。
実は最近、Twitterを通じ、ある中学生から「相談」を受けまして、今日はそれに対する答えを提示しよう、と思うとるわけでございます。
というわけで、本日は「子供相談をプロデュース!」(内P好きやな〜)
面倒くさいので、手っ取り早く言いますよ?
その「相談」は、「いじめられてるんですけど、どうしたらいいですか」的なものでした。
あの、最近また、中学生のいじめによる自殺のニュースが報道されたじゃないですか?
あれについてね、コメンテーターとか、マス・メディアとかは、大抵、「学校が悪い」とか、「教育委員が悪い」みたいな方向の批判に走るじゃないですか。
僕、違うと思うんですよね。
問題はさ、つまりこういうことだと思いますよ。
『学校が社会のすべてだと思ってしまったところに、当時の僕の不幸があった』(ブラスト「公論」より引用)
じゃないすか?
うん、これですよ。
学校なんて、別に「社会」の全てじゃないじゃないですか。
でも、自殺しちゃった子にとっては、「自分の世界」の全てだったんだよね。。
そこが、やっぱり、口惜しいよね。
大人になればさ、複数の「自分の居場所=社会」を、作れるわけじゃん?
例えば、会社で苛められてても、趣味のフットサルチームにいるときは幸福だったり、夜は気のいい仲間とクラブで酒飲んで踊りまくったり、まぁ、とにかく別の「社会」に「逃避」できるわけですよ。
あるいは、松山ケンイチじゃないけど、「別に皆に嫌われててもいい。だって、僕には僕を愛してくれる家族がいるから」みたいな考え方も持てるし。
でも、子供にはそういう「逃げ場」がないから、かわいそうだよね。
もう、中学生にとってはさ、「中学校」しかないんだよ、「自分の世界=社会」が。
だから、自分の心の傷を隠してでも、息を殺してでも、毎日、学校へ通うしかないわけ。
で、そこで、イジメられて、「おまえはバカだ」とか、「おまえはクズだ」、みたいな人格否定を受けて、しかも、そこが「自分の世界」の全てだと思っているから、その人格否定の烙印を真に受けちゃうわけよ。
でもさ、考えてみると、中学時代にイケイケドンドンだった奴が必ずしも大人になって出世するとも限らないし、いや、むしろ、地味な子の方が出世してたり、「シャイ」だったヤツも社会にもまれれば必然的にその性格が解消されるだろうし、――とにかくまぁ、中学生のときの「性格」なんて、全然その後のアテにならないじゃん。
人間、いくらでも変れるんだからさ。
だから、中学生のときに受けた「自分の評価」なんて、気にすることないと思うよ。
・・・つっても、その時は、気にしちゃうに決まっているんだけどね、絶対。
まぁとにかくですよ、中学生たちに言いたいことは、――逃げちゃっていいと思うよ、嫌だったら、ってこと。
「学校」以外に、いくらでも「自分の居場所」なんてあるんだから。
常識・非常識/善人・悪人なんて関係ないよ、世の中。
色んな人がいて、色んなコミュニティーがあって、色んな稼ぎ方があって、色んな生活があって、・・・そういう「メチャクチャ」なもんなんだよ、「世界」って。
なんか、作家の中島らもさんも言ってたけど、中学→高校→大学→就職みたいな「主流」から外れたら、すぐ絶望して「死のう・・・」みたいな固定観念はさ、ほんとは一部の人しか持ってないものなんだよ、って気付かせてあげなよ、周りの大人がさ。
企業する、ヤクザになる、ヒモになる、ニートになる、Youtuberになる、不正な生活保護で暮らす、性風俗にハマる、暴力にハマる、殺人者になる、アル中になって堕落する、ヤク中になって堕落する、出世するもよし、堕落するもよし、まぁ、なんでもいいけど、「なんでもアリ」な世界なんだよ、本来、「世の中」は。
この「なんでもアリ感」が、本来の「常識」なんじゃん?
だから、あんまり「正しいか・正しくないか」とか、「常識的か・非常識的か」とか、考えない方がいいよ。
実際、世の中、そういう風にまわってないわけだから。
というわけでね、「相談」に答えてきたわけですけど、実はその中学生から、もう一つ、「相談」を受けてたんだよね。
それは、
『赤ちゃんはどうやってできるの?』
というものでした。
ずばり、お答えしましょう。
以下の動画が、その答えです。
いかがだったでしょうか?
ここで、また一つ、謝らせて下さい。
「とある中学生から相談を受けた」なんて、実は真っ赤な嘘なんです。
そんな事実、ありません。
全部、僕の創作です。
でも、いいんじゃないですか?
「なんでもアリ」な世の中なんだから。
・・・などと、おあとがよろしいようで。。
最近、AmazonKindleから出版した『小説・神聖かまってちゃん』が、契約違反(たぶん著作権違反&プライバシーの侵害)で、完全に消去され、永久にアカウントBANになり、「ちくしょう、せめて過払い金だけでも払え」と思っている、小説家(詐欺師)のともなりたかひろです。
『小説・神聖かまってちゃん』(移植・無料で読める版)→http://tb.antiscroll.com/novels/jiga619/18229
・・・すいません、どうしても「過払い金」というワードを使いたかったんです。
あともう一つ、謝らせてください。
タイトルと内容、あんま関係ないかもしれません。
でも、フリースタイルで書いていくうちに、関係していくかもしれません。
実は最近、Twitterを通じ、ある中学生から「相談」を受けまして、今日はそれに対する答えを提示しよう、と思うとるわけでございます。
というわけで、本日は「子供相談をプロデュース!」(内P好きやな〜)
面倒くさいので、手っ取り早く言いますよ?
その「相談」は、「いじめられてるんですけど、どうしたらいいですか」的なものでした。
あの、最近また、中学生のいじめによる自殺のニュースが報道されたじゃないですか?
あれについてね、コメンテーターとか、マス・メディアとかは、大抵、「学校が悪い」とか、「教育委員が悪い」みたいな方向の批判に走るじゃないですか。
僕、違うと思うんですよね。
問題はさ、つまりこういうことだと思いますよ。
『学校が社会のすべてだと思ってしまったところに、当時の僕の不幸があった』(ブラスト「公論」より引用)
じゃないすか?
うん、これですよ。
学校なんて、別に「社会」の全てじゃないじゃないですか。
でも、自殺しちゃった子にとっては、「自分の世界」の全てだったんだよね。。
そこが、やっぱり、口惜しいよね。
大人になればさ、複数の「自分の居場所=社会」を、作れるわけじゃん?
例えば、会社で苛められてても、趣味のフットサルチームにいるときは幸福だったり、夜は気のいい仲間とクラブで酒飲んで踊りまくったり、まぁ、とにかく別の「社会」に「逃避」できるわけですよ。
あるいは、松山ケンイチじゃないけど、「別に皆に嫌われててもいい。だって、僕には僕を愛してくれる家族がいるから」みたいな考え方も持てるし。
でも、子供にはそういう「逃げ場」がないから、かわいそうだよね。
もう、中学生にとってはさ、「中学校」しかないんだよ、「自分の世界=社会」が。
だから、自分の心の傷を隠してでも、息を殺してでも、毎日、学校へ通うしかないわけ。
で、そこで、イジメられて、「おまえはバカだ」とか、「おまえはクズだ」、みたいな人格否定を受けて、しかも、そこが「自分の世界」の全てだと思っているから、その人格否定の烙印を真に受けちゃうわけよ。
でもさ、考えてみると、中学時代にイケイケドンドンだった奴が必ずしも大人になって出世するとも限らないし、いや、むしろ、地味な子の方が出世してたり、「シャイ」だったヤツも社会にもまれれば必然的にその性格が解消されるだろうし、――とにかくまぁ、中学生のときの「性格」なんて、全然その後のアテにならないじゃん。
人間、いくらでも変れるんだからさ。
だから、中学生のときに受けた「自分の評価」なんて、気にすることないと思うよ。
・・・つっても、その時は、気にしちゃうに決まっているんだけどね、絶対。
まぁとにかくですよ、中学生たちに言いたいことは、――逃げちゃっていいと思うよ、嫌だったら、ってこと。
「学校」以外に、いくらでも「自分の居場所」なんてあるんだから。
常識・非常識/善人・悪人なんて関係ないよ、世の中。
色んな人がいて、色んなコミュニティーがあって、色んな稼ぎ方があって、色んな生活があって、・・・そういう「メチャクチャ」なもんなんだよ、「世界」って。
なんか、作家の中島らもさんも言ってたけど、中学→高校→大学→就職みたいな「主流」から外れたら、すぐ絶望して「死のう・・・」みたいな固定観念はさ、ほんとは一部の人しか持ってないものなんだよ、って気付かせてあげなよ、周りの大人がさ。
企業する、ヤクザになる、ヒモになる、ニートになる、Youtuberになる、不正な生活保護で暮らす、性風俗にハマる、暴力にハマる、殺人者になる、アル中になって堕落する、ヤク中になって堕落する、出世するもよし、堕落するもよし、まぁ、なんでもいいけど、「なんでもアリ」な世界なんだよ、本来、「世の中」は。
この「なんでもアリ感」が、本来の「常識」なんじゃん?
だから、あんまり「正しいか・正しくないか」とか、「常識的か・非常識的か」とか、考えない方がいいよ。
実際、世の中、そういう風にまわってないわけだから。
というわけでね、「相談」に答えてきたわけですけど、実はその中学生から、もう一つ、「相談」を受けてたんだよね。
それは、
『赤ちゃんはどうやってできるの?』
というものでした。
ずばり、お答えしましょう。
以下の動画が、その答えです。
いかがだったでしょうか?
ここで、また一つ、謝らせて下さい。
「とある中学生から相談を受けた」なんて、実は真っ赤な嘘なんです。
そんな事実、ありません。
全部、僕の創作です。
でも、いいんじゃないですか?
「なんでもアリ」な世の中なんだから。
・・・などと、おあとがよろしいようで。。