2017年11月27日
15作目 「ファニーゲーム」 (1997 オーストリア)
1997年のカンヌ国際映画祭で、そのあまりに衝撃的な展開に途中で席を立つ観客が続出。斬新なスタイルとショッキングなテーマ性でその年のカンヌの台風の目となったが、賞レースでは無視された。2001年、「ピアニスト」でカンヌのグランプリを獲ったミヒャエル・ハネケの、早すぎた金字塔的作品。
映画.comより
予告編はこちら↓↓↓
<長々と前置き>
今日ご紹介いたしますのは言わずと知れた「ファニーゲーム」。
まじで意味わからんほど胸糞悪う映画でございます。
覚悟してご覧ください。
映画がクソなわけではないんですよ。
ただストーリーがね…
平和に暮らす家族がイカレた2人組にただただいたぶられるっていうね(;^ω^)
まともな人間なら胸糞悪くなりますよ。
もしこの映画を嬉々として観ている人がそばにいたら気を付けてください。
絶対サイコパスですよ、そいつは。
だいたいこんな映画撮ろうと思いますか?
ひたすらに暴力を振り続けるってストーリーを思いついて、しかもしっかり映画化、さらには映画としての完成度はかなり高いって…
監督のミヒャエル・ハネケは奇人ですよ。
もうね、冒頭から異次元。
家族3人が仲良く車に乗っているところから始まるんですけど(若干「シャイニング」感がありました笑)初めは音楽がクラシックなんすよね。
でも急にそれが止まって、画面一面にバーンてタイトルが真っ赤な字で出てきてそっからメタルですよ。
ガンガンヘドバンしてそうなただ叫び続けるメタルが流れるんですよ。
でもその曲の間も家族を乗せた車は走り続けるんです。
この映像と音楽の何とも言い難い合ってない感(;´Д`)
冒頭から監督の世界に引き込まれていきます。
この曲です。
この作品のテーマって何なんだろうか?って考えてみたんですけど、考えても考えてもわかんないんですよね。
もし監督がこめた重要なテーマが内包されてるのだとしたら、おそらく今の私では理解できません。
この先生きていく中で、こういうテーマにちがいない(´▽`*)って思える日が来る日を心待ちにしてます。
それではサッとストーリーを追ってきますよ。
以下ネタバレ注意
<サクッとストーリー>
平和な休暇を別荘で暮らす父のゲオルグ、母のアナ、息子のショルシ、ペットの犬の一家。
そこに卵をもらいたいという男、ペーターがやってきます。
気の良いアナは彼を招き入れ卵をあげますが、彼はその卵を落とすわ、アナの電話を水に落とすわと迷惑なことばっかりする。
卵を2回も落としたくせに、まだくれとがめついペーター。
だんだんイライラしてきたところにもう一人の訪問者パウエルが現れます。
パウエルが現れた途端、ペーターの態度は一変し礼儀正しさがなくなります。
アナが2人と口喧嘩になりかけるところでゲオルグ登場。
仲裁しようとしたゲオルグの膝をパウエルがゴルフクラブで砕きます(;´Д`)
家族はみな捕まり(ちなみに愛犬は先に殴られて死んじゃってます('Д'))、12時間後に家族が生きているか、2人組が生きているかという賭けのゲームが始まります。
ここからはホントにひどい展開。
ゲオルグは砕かれた膝をさらに痛めつけられ、アナは子供の前で服を脱がされ、子供のショルシまで殴られます。
チャンスをうかがってショルシが逃げるんですけどあっさり捕まっちゃいます。
しかもそのときたまたま見つけて持ち帰ったショットガンでショルシはあっさり射殺。(こんなに子供をあっさり殺してしまう映画ってあんまりないはず)
ショルシを殺したところで2人組はいったんずらかるんですよ。
そのチャンスに次はアナが逃げるんですけどこれまた帰ってきた2人組が捕獲。
アナを連れて戻ってきた2人組はショットガンでゲオルグを殺そうとします。
しかし隙を突いたアナがショットガンを奪いペーターを射殺。
観てる側からすると、よっしゃあああああああ(∩´∀`)∩って感じです。
でもね、まさかのパウエルは第四の壁をこえるもの。(第四の壁をこえるってのは、観客に話しかけたり、話の展開を捻じ曲げられることです。デッドプールとかがそうです)
テレビのリモコン使ってシーンを巻き戻してペーター射殺を阻止。
あっけなくゲオルグが殺されます。
その後、朝になると2人は最後の生き残りアナを連れてヨットに乗ります。
約束の12時間まであと1時間というところで2人は手足を縛ったアナを湖に突き落として殺害。
ゲームは2人の勝利です。
岸についた2人は次の標的の家に押しかけ、「卵をもらいたいのですが」で終了。
ちなみにエンディングはまたまたヘヴィメタです笑
いやー、この胸糞悪さと絶望感を言葉で伝えるのは超難しい、てか無理です。
だから気になる人は覚悟を決めて観ちゃってください。
映画としての質は保証しますから。(私の保証は何の裏付けもありませぬが)
こうやって記事を書いてるうちに、監督が考えていることが少しわかった気がします。
この映画って徹底的に悪役の2人に有利な展開なんですよね。
家族にも時折希望は訪れるけどすぐに絶望に落とされる。
ラストも最悪のバッドエンド。
ふつうの映画なら残忍な悪役ほど惨い死に方をするんです。
最後に惨い死に方をするから観客は観ていられる。
というよりむしろ観客はその無様な死に方を楽しみにして映画を観ているくらいではないでしょうか?
今作だってネタバレを知らない状態で観たらそうでしょ?
監督はそんな観客に対する皮肉をこめた嫌がらせのつもりで今作を撮ったんだとふと思いました。
今作のキャッチコピーは「人間が一番怖い」だったと思うんですが、監督の真意としてはこの言葉はエグイ映画を嬉々として観ている大衆の観客にむけたものなのではないでしょうか?
「お前らいっつも惨い映画を楽しんで観てるけど現実はこうだぜ( ̄ー ̄)これでも楽しんで観てられるのか?」と言われている気がしました。
映画評論家っぽく語ってみましたが、あくまで私がふと思ったことですので参考程度に。
映画は人それぞれ色々な観方ができるから面白いんです。
みなさんもぜひ自分の考えを深めてみてください(・∀・)
究極の絶望を描く「ファニーゲーム」はこちらから!
それでは今日はこれにて('ω')ノ
映画.comより
予告編はこちら↓↓↓
<長々と前置き>
今日ご紹介いたしますのは言わずと知れた「ファニーゲーム」。
まじで意味わからんほど胸糞悪う映画でございます。
覚悟してご覧ください。
映画がクソなわけではないんですよ。
ただストーリーがね…
平和に暮らす家族がイカレた2人組にただただいたぶられるっていうね(;^ω^)
まともな人間なら胸糞悪くなりますよ。
もしこの映画を嬉々として観ている人がそばにいたら気を付けてください。
絶対サイコパスですよ、そいつは。
だいたいこんな映画撮ろうと思いますか?
ひたすらに暴力を振り続けるってストーリーを思いついて、しかもしっかり映画化、さらには映画としての完成度はかなり高いって…
監督のミヒャエル・ハネケは奇人ですよ。
もうね、冒頭から異次元。
家族3人が仲良く車に乗っているところから始まるんですけど(若干「シャイニング」感がありました笑)初めは音楽がクラシックなんすよね。
でも急にそれが止まって、画面一面にバーンてタイトルが真っ赤な字で出てきてそっからメタルですよ。
ガンガンヘドバンしてそうなただ叫び続けるメタルが流れるんですよ。
でもその曲の間も家族を乗せた車は走り続けるんです。
この映像と音楽の何とも言い難い合ってない感(;´Д`)
冒頭から監督の世界に引き込まれていきます。
この曲です。
この作品のテーマって何なんだろうか?って考えてみたんですけど、考えても考えてもわかんないんですよね。
もし監督がこめた重要なテーマが内包されてるのだとしたら、おそらく今の私では理解できません。
この先生きていく中で、こういうテーマにちがいない(´▽`*)って思える日が来る日を心待ちにしてます。
それではサッとストーリーを追ってきますよ。
以下ネタバレ注意
<サクッとストーリー>
平和な休暇を別荘で暮らす父のゲオルグ、母のアナ、息子のショルシ、ペットの犬の一家。
そこに卵をもらいたいという男、ペーターがやってきます。
気の良いアナは彼を招き入れ卵をあげますが、彼はその卵を落とすわ、アナの電話を水に落とすわと迷惑なことばっかりする。
卵を2回も落としたくせに、まだくれとがめついペーター。
だんだんイライラしてきたところにもう一人の訪問者パウエルが現れます。
パウエルが現れた途端、ペーターの態度は一変し礼儀正しさがなくなります。
アナが2人と口喧嘩になりかけるところでゲオルグ登場。
仲裁しようとしたゲオルグの膝をパウエルがゴルフクラブで砕きます(;´Д`)
家族はみな捕まり(ちなみに愛犬は先に殴られて死んじゃってます('Д'))、12時間後に家族が生きているか、2人組が生きているかという賭けのゲームが始まります。
ここからはホントにひどい展開。
ゲオルグは砕かれた膝をさらに痛めつけられ、アナは子供の前で服を脱がされ、子供のショルシまで殴られます。
チャンスをうかがってショルシが逃げるんですけどあっさり捕まっちゃいます。
しかもそのときたまたま見つけて持ち帰ったショットガンでショルシはあっさり射殺。(こんなに子供をあっさり殺してしまう映画ってあんまりないはず)
ショルシを殺したところで2人組はいったんずらかるんですよ。
そのチャンスに次はアナが逃げるんですけどこれまた帰ってきた2人組が捕獲。
アナを連れて戻ってきた2人組はショットガンでゲオルグを殺そうとします。
しかし隙を突いたアナがショットガンを奪いペーターを射殺。
観てる側からすると、よっしゃあああああああ(∩´∀`)∩って感じです。
でもね、まさかのパウエルは第四の壁をこえるもの。(第四の壁をこえるってのは、観客に話しかけたり、話の展開を捻じ曲げられることです。デッドプールとかがそうです)
テレビのリモコン使ってシーンを巻き戻してペーター射殺を阻止。
あっけなくゲオルグが殺されます。
その後、朝になると2人は最後の生き残りアナを連れてヨットに乗ります。
約束の12時間まであと1時間というところで2人は手足を縛ったアナを湖に突き落として殺害。
ゲームは2人の勝利です。
岸についた2人は次の標的の家に押しかけ、「卵をもらいたいのですが」で終了。
ちなみにエンディングはまたまたヘヴィメタです笑
いやー、この胸糞悪さと絶望感を言葉で伝えるのは超難しい、てか無理です。
だから気になる人は覚悟を決めて観ちゃってください。
映画としての質は保証しますから。(私の保証は何の裏付けもありませぬが)
こうやって記事を書いてるうちに、監督が考えていることが少しわかった気がします。
この映画って徹底的に悪役の2人に有利な展開なんですよね。
家族にも時折希望は訪れるけどすぐに絶望に落とされる。
ラストも最悪のバッドエンド。
ふつうの映画なら残忍な悪役ほど惨い死に方をするんです。
最後に惨い死に方をするから観客は観ていられる。
というよりむしろ観客はその無様な死に方を楽しみにして映画を観ているくらいではないでしょうか?
今作だってネタバレを知らない状態で観たらそうでしょ?
監督はそんな観客に対する皮肉をこめた嫌がらせのつもりで今作を撮ったんだとふと思いました。
今作のキャッチコピーは「人間が一番怖い」だったと思うんですが、監督の真意としてはこの言葉はエグイ映画を嬉々として観ている大衆の観客にむけたものなのではないでしょうか?
「お前らいっつも惨い映画を楽しんで観てるけど現実はこうだぜ( ̄ー ̄)これでも楽しんで観てられるのか?」と言われている気がしました。
映画評論家っぽく語ってみましたが、あくまで私がふと思ったことですので参考程度に。
映画は人それぞれ色々な観方ができるから面白いんです。
みなさんもぜひ自分の考えを深めてみてください(・∀・)
究極の絶望を描く「ファニーゲーム」はこちらから!
それでは今日はこれにて('ω')ノ
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