2014年10月09日
狩野探信 守政探信 ぶどう
紙本 肉筆 水墨画
狩野探信(狩野守政)
Tanshin Kano
日本画
1653 ( 承応2 )〜 1718 ( 享保3 )
本名:仙千代のち守政
通称:図書
号:探信、忠淵
【出身地・師系】
江戸/狩野探幽
【所属・任】
鍛冶屋町狩野派2代目
【略歴・作風など】
鍛冶屋町狩野派創始の狩野探幽の長男として生まれ、幼少の頃より父に画を学び、5歳の頃には徳川4代将軍徳川家綱の御前にてその筆を披露。
その後、父の後を継いで鍛冶屋町狩野派2代目を襲名し幕府の奥絵師として出仕、晩年の1715年に法眼に叙された。
※後の同家7代目に狩野探信(守道)がおり、区別する為に一般には守政探信、或いは守道探信とそれぞれ称される。
〔主な作品所蔵館〕静岡県立美術館など
〔印 名〕
「守政」「忠淵」「藤原」「探信之印」など
〔市場評価〕★〔美年鑑評価〕150万
関連: 狩野探信(狩野守道) (重)狩野探幽
狩野探信(狩野守政)
Tanshin Kano
日本画
1653 ( 承応2 )〜 1718 ( 享保3 )
本名:仙千代のち守政
通称:図書
号:探信、忠淵
【出身地・師系】
江戸/狩野探幽
【所属・任】
鍛冶屋町狩野派2代目
【略歴・作風など】
鍛冶屋町狩野派創始の狩野探幽の長男として生まれ、幼少の頃より父に画を学び、5歳の頃には徳川4代将軍徳川家綱の御前にてその筆を披露。
その後、父の後を継いで鍛冶屋町狩野派2代目を襲名し幕府の奥絵師として出仕、晩年の1715年に法眼に叙された。
※後の同家7代目に狩野探信(守道)がおり、区別する為に一般には守政探信、或いは守道探信とそれぞれ称される。
〔主な作品所蔵館〕静岡県立美術館など
〔印 名〕
「守政」「忠淵」「藤原」「探信之印」など
〔市場評価〕★〔美年鑑評価〕150万
関連: 狩野探信(狩野守道) (重)狩野探幽
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