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2024年01月12日

海と山と家@

今回は話が長くなりますが、海や山に職がある場合について考えてみました。
能登地震が起きてから、とにかく避難を、と移動が始まり、
二次避難先に行く人もいるという状況です。

「ここに残りたい」
という気持ち、すごくわかります。
なぜこんなにもその土地から離れがたいのだろう。
そんなことより避難が先、という意見も多いと思います。
街中に引越ししようよ、と。
すぐにそれが出来ない理由、それは仕事と深い関係があると思います。

仕事を辞めるときは産業が終わる時です。

ニュースでは能登のノドグロが、もう揚げられなくなっているそうです。
金沢で商売をしている人たちは能登のほうの魚も扱っているのでしょう。
さすがにすぐに再開とは行きません、一体どれほどかかるでしょうか?
ここで扱われなくなれば、あるいは漁場が移動すればこの先卸す先はどこでしょうか?

いつもなら徐々に漁獲量も減り、採れる魚が変わり、
色々工夫や調整をしながらの仕事だと思います。
ここからは漁業とは無縁で来た自分の想像でしかないですが、

地縁血縁だけじゃない、想いの強さが支えてきたのだろう、と。
情熱、素直さ、という熱い想い。
それは時として呪いとも言わることも。
「先祖代々の土地、家をまもってくれ」と。能登の漁業をしていた人が父母から言われた言葉だと言います。
「ここにはまたみんなが帰って来る場所だから」

果たして、それは一体誰のための言葉だったのでしょうか。
なぜ長男である者はそれを守らなければならないのか?

これを聞いた(見た)時に感じたのは『漁業権のルール』です。
あくまでイメージとか知っている範囲での話ですが、
太平洋側のとある漁村では家族単位で漁場が決まっています。
祖父祖母の代、
父母の代、
現在の引き継ぎ手でずっとその漁場だった。
〇〇さんとこの漁場。
それは『家族を養うことのできる単位』なのです。

今では漁業権を組合に申請すればもらえるところもあるみたいですね。
産業自体が先細りということになるといよいよ諦めの境地になりますが、
元よりそこで漁業をしている人が優先です。

それこそがこの「家から離れない理由」なのですが、
なにも縛り付けているわけではない…というのが自分の見解です。

田舎の海には先祖代々の墓があり、家があり、船がある。
魚を捕って暮らせていたころは「平均収入」ほどはあったわけです。
なので家族の誰かが漁師をしていれば生きていくことができた。
一家で誰かが稼いでいれば、貧しくとも助け合えば暮らせたのです。

収入は合算で考える。漁業は今でこそ稼ぎ頭ではないかもしれません、
それでも家族に何かあった時のリカバリ装置としての機能の面もあったのではないか。
そんな風に思うのです。

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