私はうつ病等の精神病、精神障害の人の相談も受けているので、その中であった話です
ご相談を聞いていた男性から、好意を寄せられました。
そして私に返事を求めてきたので、何とも思っていないとキッパリお返ししたら、逆ギレされて
何かしらの文句を言った後に、「僕は神に選ばれた命だ」とか言い出されたことがありました(;'∀')
本当に大事に想っている相手であれば、憤慨して「自分は偉いんだ」というようなこと、言いませんよね
この方の場合は、精神的な病気だから、薬でおかしくなってるから、仕方ない、と思われるかもしれませんが
ところで皆さんは「神」って何か知ってますか?
私は、暫く気持ちが沈んでモチベーションが上がらないことがあり、その頃に、
瞑想しまくって、自分の気持ちを探ったり向き合ったりしながら、
人間のルーツや宗教、斎藤一人さんの考えとかを学びました
そうして徐々に悟ったんですけど
宗教って、どの宗派も、自分に対して厳しく、良き人間になるために学び、道徳を極める物で
神という「誰か」に「どうにかしてもらう」ためのものじゃないんですよね
仏教も神道も、キリスト教も、ユダヤ教もなんでも…
神って言うのは結局、宇宙であり地球であり、地・火・水・風などの自然であり、
そして自分自身のことなのかな、と
あるもの全てが与えられた恵みで、それをどう受け取るかは、自分の中の神次第
私に言ってきた彼の言葉「神に選ばれた」これって、
「自分は神(という他人)から高評価を得ている」という意味ですよね
「神と言う名の他人」が自分を助けてくれる、と思っている人は、新興宗教のようなものだと思います
宗教の中には、自分の考えを他人に教えて、自分が素晴らしい人間だと認識させ
教祖っていう中心人物(=他人)を神のように思っている団体もいますが
瞑想も、参拝、お祈りも、自分との対話だと思います
自分の中の神と向き合うこと
願掛けとか神頼みとかも、自分に対する決意表明やカツ入れで
神っていう名前の他者に、頼って甘えてどうにかしてもらいたくてするものではない、と思います
斎藤一人さんのお話の中で「悟り=差を取る」→他人と自分との差をなくす
という言葉がありました。差をつけるから不幸が生まれる、と。
これは本当にその通りで、五体不満足の某氏のように、
生涯があっても頭が良くて女性にモテまくる人もいますし
顔がブスでも頭がいいかもしれない
目が見えなくても触覚が冴え渡っていて、全身で物を見ているかもしれない
何かがなくても、代わりに何かがある
人間って差はなくて、特徴が違うだけ
だから私は。障害や精神的に病気と言われている人に対しても
そういう意味では、自分と対等だと考えています
よく障害のある人は、手帳があることを特別扱いのように考えて
理解が、理解が、と相手に求めたり
差別されたくないと言いながら、逆に自分を他者から差別していたりします
健常者同士でも、他人の事なんて、理解なんてできません
自分だけが理解されていない、というのは、自分に対する偏見です
特別扱いを求める人にとっては、冷たいと思われるかもしれませんが
私はむしろ、差を付けないことの方が、大事かな?と思います
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