2022年08月13日
AdamさんでNFTイラスト販売はじめました。
AdamさんでNFTイラストを販売しています。
【 Adam byGMOマイページ Puolukka3712 】
https://adam.jp/stores/Puolukka3712
とりあえず、今は下記の2作品だけですが、
過去にメディバンさんに投稿した作品もOKだそうなので、
今度少しずつ販売していく予定です。
そもそも上記の作品の売り上げをウクライナ支援の寄付金に出来たらと
登録させて頂いたのですが、キャンペーンなどを通してでなく個人で
ウクライナ支援と書くと政治的、寄付と書くと必ず作者が寄付に使うとの
保証が出来ないのでNGという事で、ページに表記はできなかったのですが、
もし購入頂いた場合には最低でも半額はネット募金等を通して寄付に使わせて頂いて、
スクリーンショットなどでご報告出来たらと思っております。
こちらはカバー画像のために描いた作品です。
アリス・リデル(不思議の国のアリスのモデルになった少女)を
テーマに描いてみました。
だいたいいつもこんな感じで描いていますよという事で。
ちなみにこの2作品は指だけで描いています。
(描いたタブレットがペンに反応しにくいので。)
◆YouTubeアドレス
【トラ猫と花冠 YouTube 】
https://www.youtube.com/watch?v=nc1CjoHZk10
【We hope for world peace! YouTube】
https://www.youtube.com/watch?v=I2A9kJWa9EA
実は一番最初にイラスト動画投稿したのは比較的ラフなイラスト、
【ジョーカー】なんですけどね。
端末のせいか1時間くらいと、アップするのに
ものすごい時間がかかったのでもう動画投稿はやめとこうと思っていたのですが、
今回別のタブレットで試しに試みたところ20分くらいでできたので、
今後も気まぐれにアップすることもあるかもです。
特別な描き方をしているわけではないので参考にも何も
ならないとは思いますが、けっこう下絵とか線画とか
後で修正している箇所もあるので、そんな感じで
コツコツ描いてる様を良かったら見てみてください。
あとついでに新しいTwitterも作りました。
【Twitter】
PuolukkaMani913
こちらは定期の自動投稿はしませんが、自動でフォローバックもしませんので、
基本的にはNFTのお知らせと、反応を求めない独り言的になるかもと。
最後に追記で、父の死についてなど。
旧ホームページのお知らせでは以前少し書いたのですが、
実は5月に父が亡くなりまして。
また別のところでも同じ内容を記載するかもしれませんが、
今ではこんな事を考えていますよという事で。
【父の死の概要】
◆死因:急性心不全(発病から死亡までの期間 約一日)
◆死亡日:2022年(令和4年)5月6日 03:14
◆入院日:2022年3月10日
◆入院理由:肺炎(発病から死亡までの期間 約二ヶ月)
【生前服用していた薬】
◆パロキセチン錠20r「ケミファ」:不安や緊張を和らげる薬 セイヨウオトギリソウを一緒に服
用してはならない。ジェネリック
◆オランザピン錠5r「トーワ」:吐き気や嘔吐を抑える薬 やる気や興味が持てない状態の改
善 ジェネリック
◆フルニトラゼパム錠1r「アメル」:不安や緊張を取り除き、眠りを長くとる薬 アメリカへの持ち
込みは不可 ジェネリック
◆イーシー・ドパール配合錠:手足の震えなどを抑える薬 ジェネリックは無し
◆テルミサルタン錠20r「DSEP」:血圧を下げる薬 ジェネリック
『パーキンソン病』と、『パーキンソン症候群』は違う。
というのを私が知ったのは、今から一年ほど前のことだろうか。
2022年、5月6日に亡くなった父に、手足の震えなど、『パーキンソン症候群』の症状があったの
だ。
リハビリの方が来てくれた時に運動する以外はほとんど寝たきりのようになるなど、重症化した
のは2021年の冬頃からだったと思う。
有名な『パーキンソン病』と似た症状が表れるが、パーキンソン病とは別の原因だと思われる疾
患の総称が、『パーキンソン症候群』なのだ。
『パーキンソン病』は疾患の原因が判明しているため有効な治療法があるが、『パーキンソン症
候群』にはない。
原因は人それぞれに違い、そのために「これさえ飲めば治る」「ここを手術すれば治る」というよ
うな治療法も確立されていない。
父は何十年も前、それこそ私が子供の頃から、精神科やメンタルクリニックで複数の向精神薬
のお世話になっていた。もっとも子供の頃から大人になった後もだいぶ最近まで、父がどんな薬
をどれほど服用しているのか、私は知らなかった。
母に聞いてもはぐらかされたし、無言の圧力で「そういう事は口にしてはいけない」という空気を
子供の頃から醸し出されていたからだ。去年父にこの症状が出て、本格的にパーキンソン病の
専門医の先生に診てもらうようになって、ようやくこういった事も教えてくれるようになったのだ。
私が「災害時に必要になるかもしれないから」と処方箋のコピーを求める等、もっともらしい理由
で説得しなければ、父の死後まで知ることは無かったかもしれない。
こういった向精神薬を使用している場合、パーキンソン症候群のような症状が出ることもあるら
しい。
介護関係の担当者の方も言っておられたが、向精神薬を使用していた患者さんで、高齢になっ
てから突然こういった症状が出るというのも、珍しいことではないそうだ。
念の為言っておくと、あくまでもそういう人もいるというだけで、向精神薬を服用している人全て
に症状が出るとは限らない。
そういう理由もあってか、その飲んでいた向精神薬についても医師によって違う意見が出てい
た。
メンタルクリニックの先生は「お薬を減らしても良いですよ」と言っていたそうだが、パーキンソン
病の専門医の先生は、「飲み続けて構いませんよ」と、なんだか逆転したような話になっていたそ
うだ。
何が言いたいかというと、これらの向精神薬を長年飲み続けるという選択は、父にとって正解
だったのだろうかと言うことだ。
それだけの薬を飲んでいても、毎日毎日、凝りもせず祖母に怒鳴り散らしていたし、無神経な上
に機嫌一つで性格が変わり、ゴミの放置など余計な事で母の手を煩わせ家族に負担をかける、
私にとっては最悪の父親だった。
そのくせ簡単に嘘はつくし外面は良いので、他人からは優しい人にすら見えたかもしれない。
今も訪ねてきてくれた人が父を良く言うたびに、「昼夜かまわず祖母に怒鳴り散らしていた姿を
見せてあげたい」と思うのだが、相手を困らせるだけだとわかっているので、ぐっと耐えている。
さて、果たしてあれらの向精神薬はそんな父にとって、本当に良い効果があったのだろうか。
そもそも父は、虫に刺されただけでも皮膚科に行くようなお薬大好き、病気の自分が大好きとい
ういわゆる『病気自慢』型の人間だったので、どれだけ忠告しても、本人の意志だけでは投薬を
やめなかっただろうとは思う。
何十年も前、最初に行った精神科の先生に「一生治りませんよ」と言われたと父が言っていた
と、最近になって母から伝え聞いたが、そんな事を本当に医師が患者に言うものだろうか。
私が想像するに、例えば「そんな心構えでは、治るものも治りませんよ」とでも言われたのを、被
害者意識で拡大解釈して、「自分の病気は一生治らない」と捉えたのではないかと思っている。
何しろ、私から見た父という人間は、自分以外の家族の心や健康には無神経で無関心なのに、
自分だけは可愛く、自称弱って病気で心配されて当然な自分が、常に最も大事な人間だったから
だ。
去年の今頃も、咳が出れば医師から「必要ない」と言われてもレントゲンを撮影してもらい、この
コロナ禍で忙しい医療機関の方々の手を煩わせても、痰の組織を何ヶ月もかけてわざわざ検査
にかけてもらっていた。
もちろん結果は異常なし。一年強前のこの時の検査では、肺など、そちらには特に問題もな
かった。
私が生まれる前からずっと、父はそういう自称『病気の自分』が大好きな存在だったので、『オオ
カミ少年』的な意味合いとして、本気で心配したことはない。それが日常で、いつもの事だったか
らだ。
(ちなみに言っておくと、母は逆に周囲が救急車を呼ぶまで耐え続けて、危うく命の危険にさらさ
れたこともあるほどの薬嫌い、医者嫌いである。本当にもっと間をとって適切に必要な時に医療
機関のお世話になってほしい。)
私自身は、精神科やメンタルクリニックに通った事もなければ、向精神薬を処方されたこともな
い。
ただそれは、自身の心が健康だったからではなく、幼い頃から「父の精神的な病については触
れるな」という母の無言の圧力もあったせいで、自分自身の心の辛さなどとても表現できなかった
せいでもある。
母は私が産まれたときのことも「覚えていない」そうだし、私が小学校中学年くらいの時に腹痛
で入院した時(白血球の数値が高いと言われたのは子供心に覚えている)の病名も、「覚えてい
ない」そうだ。
母にとって、父や兄と比べてその程度の存在が私なのだ。
母は兄や父の病歴や思い出、エピソードなどはしっかりと覚えているのだが、どうも私の事は記
憶から抜け落ちてしまうようだ。
父が亡くなってからのこの数ヶ月こそ、自分が生きている事自体が幸せなのかもしれないと思
えるようになったが、それまでの私は、子供の頃からほぼ毎日、死にたいと思っていた。きちんと
受診して、診断されれば鬱病なりなんなり、病名がついていたのかもしれない。
これ以上語ると非常に長くなるので、もしどうしてもその辺りの事を詳しく知りたい方は、『そうだ
私一回死んだことにしよう』で検索して読んでみてくれれば良い。
ここ数ヶ月の私は、「普通の人は普通に生きているだけでこんなに幸せなんだ」という気持ちで
生きている。
家族の中に、毎日不機嫌に怒鳴り散らす人間がいることは、本当に人の心を弱らせる。
自分自身がそういった人間に負けないように強くあろうとすれば、家族からは“強い人間”と思わ
れる。
私が毎日死にたいと願うほど辛い思いに耐え続けていたなんて、未だに想像すらしていないだ
ろう。
母には「みんながあんたみたいに強いわけじゃない」と言われたし、亡くなった父方の祖母には
「お兄ちゃんとあんたの性格が逆だったら良かったのに」と言われたこともある。
幼稚園や小学校低学年の頃、男の子たちにいじめられても母や兄をはじめ誰も守ってくれな
かったし、相談すらできなかったから自ら戦うしかなかったから、どうしようもなかったから自ら戦
う気の強い性格になったのに、だ。
泣けば泣いたで「女はすぐ泣く」「女は泣けばいいと思ってる」と、小学校の頃からいじめて泣か
せた女子に対して男子は騒いでいたが、じゃあどうすれば良いのだ。泣きも怒りもせず、うまくあ
しらえとでも言うのか。
母から「女は我慢」と小さい頃に言われたことがあるが、この先未来永劫、女性に生まれたと言
うだけで理不尽な出来事や犯罪にもただ笑って、「私、そんなの気にしませんわ」という態度でや
り過ごせというのだろうか。
守ってもらえもせず、仕方なく自分で自分を守るために気丈に戦えば、気の強い女だと思われ、
それまでやっとの事で保ってきた自分自身の心やアイデンティティを、“女らしくない”と家族にさえ
踏みにじられる。
そんなふうに精神面で何の助けも得られない状況が何年も続けば、さすがに心も壊れると言う
ものだ。
本来なら支えたり励ましてくれるはずの、家族にこそ虚勢を張って生きなければならないのだか
ら。
そんなある日、たしか20代の前半くらいの頃、DHCの『セントジョーンズワート(セイヨウオトギリ
ソウ)』のサプリを、ワゴンセールで見つけた。
知っている人は知っていると思うが、『セントジョーンズワート(セイヨウオトギリソウ)』は、鬱病
に効果があるとされている植物だ。サプリメントとしてなら、家族にバレずに自分の心を明るく保
てるようになるかもしれない、そう思って購入してみた。
正直に言って、規定量通りに飲んでいる時は、気休め程度で、何の違いも感じられなかった。
だから気分が落ち込んでいる時、母と出かける前に、ほんの少し多め、規定より二錠ほど多く
飲んでも大丈夫だろうと思った。
買い物先で、いつもなら気づかないようにして耐える母の態度に、我慢ができなくなった。
具体的な例は書けないが、例えるなら、店員さんの前では異常に愛想よく良い人ぶるくせに、
私の行動や言動は最初から疑いや悪意を持って受け取り、冷たい態度で答えるというような態度
だ。
家でも、兄と私とでは、まず顔の表情も、受け答えの返事のトーンもまるで違う。本人がそれに
気がついているかどうかはまるで判らないが。
今まで耐えてきたそれらの記憶が蘇ってきて、店内ではさすがに何も言わなかったが、帰りの
車の中で“キレて”しまった。
いつもなら言っても無駄と、見てみぬふりをして黙って耐えるのが通常の私の態度だったので、
あの時の長年の鬱積が爆発したような感情は、サプリのせいであったと思われる。
そんな事があってから、私はいっさいセントジョーンズワートのサプリは飲んでいない。
私にとっては規定量を飲んでも心が明るくなったり救われたという感覚はあまりなく、気持ちが
落ち込んだ時の過剰摂取による危険な要素のほうが多いと感じたからだ。もちろんこれは人によ
るだろうし、合う人には合うものだとは思うが。
自分にもこんな事もあったなあと、父が亡くなってからふと思い出したのだ。
つまり、だ。
結論から言うと、父のあの突然キレて大声で怒鳴り散らす性格が、もともとの性格に加え、向精
神薬を飲んでいたからこそのものだったという可能性があるとは言えないだろうか。
父が飲んでいた向精神薬の一つにも、おそらくはセントジョーンズワートと同じような効果があ
ると思われるものも含まれていた。(一緒に服用してはいけないとの表記がある)
長年の診察で、父が主治医とどんなやり取りを交わしていたのかは知るよしもないが、パーキ
ンソン症候群の症状が出てからは、母がメンタルクリニックにも送り迎えをし、診察室にもついて
行っていた。
その母の話によると、とくに最近の心の状態や症状の様子の話をするでもなく、いつもどおりの
規定量の薬を出してすぐに終わる、その程度の診察だったらしい。
メンタルクリニックその他、ありとあらゆる医者にかかるのが大好きだった父の受診について
いった母の証言によると、やはり大した症状でもないのに大げさに盛って話していることが多かっ
たようだ。
では、同じように心の辛さも大げさに医師に説明したり、そのために必要のない薬まで余計に
処方されていた可能性もあるのではないだろうか。
つまり本来ならばもう、人生のどこかの時点で、向精神薬のお世話にならずとも生きていけた可
能性もあったのではないか、と私は想像するのだ。
ある意味『向精神薬の過剰摂取』によって、父の起伏の激しい性格が形成されていたのだとし
たら、それこそが原因で、私を含め家族が辛い思いをし続けてきたのかもしれない。
真実を知ることはできないが、もしそうだったら、と思うのだ。
父の性格から言って、服薬や通院を辞めるようにアドバイスしても聞かなかったとは思うが、も
しかしたら、薬を飲まないほうが日常的にずっと穏やかな性格でいられたかもしれない。もしそう
なら、父への評価や想い、私自身の人生観や人生そのものも、まったく違っていたかもしれない
と思うのだ。
〈了〉
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