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2019年09月26日
玉名大神宮【熊本県玉名市】
玉名大神宮【熊本県玉名市】
玉名大神宮周辺は「元玉名」と呼ばれ、
玉名の地名の由来である「玉杵名」の地
とされています。
玉名大神宮の「家系録」に
景行天皇が熊襲(南九州の民)征伐の途中
『玉杵名邑(たまなきむら)』に来た時、
土蜘蛛津頬(豪族の長)が抵抗しました。
景行天皇は天照大神を祀って拝み、お祈りをすると、
玉のような小石が落下して土蜘蛛津頬を退治しました。
この小石を神の霊として尊び、祀りました。
このことから大神宮を遥拝宮(ようはいぐう)
ともいいます。
手水舎
拝殿
社伝によると、
その時 地元勢力の中尾玉守が天皇軍に味方し、
その功績により玉名大神宮の宮司になったと
伝えられています。
【御祭神】
天照大神、景行天皇、健磐龍神などの阿蘇の四座、
玉依姫、菊池則隆夫妻
祭神は天照大神と景行天皇ですが、
菊池則隆の進出により菊池氏と結びついた
阿蘇信仰が玉名に影響して、
健磐龍の神などの阿蘇の四座と玉依姫と
その両親菊池則隆夫妻が祭神として祀ってあります。
玉依姫は、菊池氏初代の則隆の娘で、
玉名の地を化粧田として与えられ、
大神宮の社地に住んだという説があります。
また、桓武天皇の右大臣の娘で、
天皇に見出されて玉名を賜り、
玉名地方を治めたという説もあります。
神武天皇遥拝所
栗島神社
祭神:神功皇后
婦人病の神
東 末 社
祭神:玉依姫、菊池則隆、菊池隆定、菊池経隆、菊池能隆
西 末 社
祭神:菊池経頼、菊池経宗、菊池経直、菊池隆直、
菊池隆泰、菊池武房、菊池時隆、菊池武時
打越神社
祭神:大物主命
牛馬動物守護の神
玉依姫供養塔
鹿嶋神社
祭神:武甕樋命
武道・スポーツの神
猿田彦神社
祭神:猿田彦大神
五穀豊穣の神
生目神社
祭神:垂仁天皇
眼病の神
瘡締神社
祭神:仲哀天皇
吹出物の神
祖霊社
祭神:大字玉名の御先祖 及び第二次大戦の戦没者
鎮座地
熊本県玉名市玉名
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玉名大神宮周辺は「元玉名」と呼ばれ、
玉名の地名の由来である「玉杵名」の地
とされています。
玉名大神宮の「家系録」に
景行天皇が熊襲(南九州の民)征伐の途中
『玉杵名邑(たまなきむら)』に来た時、
土蜘蛛津頬(豪族の長)が抵抗しました。
景行天皇は天照大神を祀って拝み、お祈りをすると、
玉のような小石が落下して土蜘蛛津頬を退治しました。
この小石を神の霊として尊び、祀りました。
このことから大神宮を遥拝宮(ようはいぐう)
ともいいます。
手水舎
拝殿
社伝によると、
その時 地元勢力の中尾玉守が天皇軍に味方し、
その功績により玉名大神宮の宮司になったと
伝えられています。
【御祭神】
天照大神、景行天皇、健磐龍神などの阿蘇の四座、
玉依姫、菊池則隆夫妻
祭神は天照大神と景行天皇ですが、
菊池則隆の進出により菊池氏と結びついた
阿蘇信仰が玉名に影響して、
健磐龍の神などの阿蘇の四座と玉依姫と
その両親菊池則隆夫妻が祭神として祀ってあります。
玉依姫は、菊池氏初代の則隆の娘で、
玉名の地を化粧田として与えられ、
大神宮の社地に住んだという説があります。
また、桓武天皇の右大臣の娘で、
天皇に見出されて玉名を賜り、
玉名地方を治めたという説もあります。
神武天皇遥拝所
栗島神社
祭神:神功皇后
婦人病の神
東 末 社
祭神:玉依姫、菊池則隆、菊池隆定、菊池経隆、菊池能隆
西 末 社
祭神:菊池経頼、菊池経宗、菊池経直、菊池隆直、
菊池隆泰、菊池武房、菊池時隆、菊池武時
打越神社
祭神:大物主命
牛馬動物守護の神
玉依姫供養塔
鹿嶋神社
祭神:武甕樋命
武道・スポーツの神
猿田彦神社
祭神:猿田彦大神
五穀豊穣の神
生目神社
祭神:垂仁天皇
眼病の神
瘡締神社
祭神:仲哀天皇
吹出物の神
祖霊社
祭神:大字玉名の御先祖 及び第二次大戦の戦没者
鎮座地
熊本県玉名市玉名
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2019年09月24日
疋野神社【熊本県玉名市】
疋野神社【熊本県玉名市】
疋野神社(ひきのじんじゃ)は、延喜式内社で、旧社格は県社。
熊本県の式内社は
阿蘇神社、国造神社、疋野神社の三社のみです。
猿田彦大神
創立は景行天皇筑紫御巡幸の時より
古いと伝えられています。
神牛
厄除鳥居
手水舎
遥拝所
拝殿
御祭神は、波比岐神(はひきのかみ)
相殿には波比岐神の父「大年神」が祀られています。
波比岐神は『古事記』記載の神で、
『延喜式』には天皇即位時の大嘗祭の八神殿に祀る神として、
又祈年祭・月次祭の祝詞や、
神明帳の宮中三十六座の中にもその神号が見え、
特に朝廷の崇敬が深い神として記されています。
波比岐神は這入君(はしき)、
あるいは端引(はひ)きの意味で屋敷神と、
本居宣長は『古事記伝』で解釈している。
また、旅人の守護神・製鉄の神とする説もあります。
本殿
相殿の波比岐神の父、大年神は素盞鳴尊の御子神で、
大年神と饒速日命を、同一神と考える説があります。
古代、この地方の豪族であった郡司日置氏(へきし)の
氏神を祀った神社だっが、日置氏の没落とともに衰退。
近世になり再興され、
熊本藩主 細川氏は厚い崇敬をよせた。
この地は1300年前に玉名温泉を発見した
「疋野長者伝説」の長者の屋敷があったところと
伝えられている
疋野長者御神陵
「疋野長者伝説」
昔、京に住む美しい姫が夢を見た。
「肥後国疋野の里に住む、炭焼き小五郎という
若者と夫婦になるように」
姫は、夢のお告げの通り、疋野へやって来ました。
貧しい小五郎に、姫は金貨を与え、
お米を買って来るように頼みました。
出かけた小五郎は、
途中飛んできた白鷺に金貨を投げつけました。
傷を負った白さぎは、湯煙立ち上る谷間へ落ちて行き、
しばらくして、元気に回復し、飛び去って行きました。
米を買わずに引き返した小五郎に、姫は
「あれは、大切なお金というもので、何でも買えましたのに」
すると小五郎は
「あんなものなら、山に沢山ある」
見ると山のあちこちに多くの金塊が埋まっていた。
こうして、夫婦は疋野長者となり、
白鷺が元気になった湯が、今の玉名温泉となりました。
鎮座地
熊本県玉名市立願寺
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疋野神社(ひきのじんじゃ)は、延喜式内社で、旧社格は県社。
熊本県の式内社は
阿蘇神社、国造神社、疋野神社の三社のみです。
猿田彦大神
創立は景行天皇筑紫御巡幸の時より
古いと伝えられています。
神牛
厄除鳥居
手水舎
遥拝所
拝殿
御祭神は、波比岐神(はひきのかみ)
相殿には波比岐神の父「大年神」が祀られています。
波比岐神は『古事記』記載の神で、
『延喜式』には天皇即位時の大嘗祭の八神殿に祀る神として、
又祈年祭・月次祭の祝詞や、
神明帳の宮中三十六座の中にもその神号が見え、
特に朝廷の崇敬が深い神として記されています。
波比岐神は這入君(はしき)、
あるいは端引(はひ)きの意味で屋敷神と、
本居宣長は『古事記伝』で解釈している。
また、旅人の守護神・製鉄の神とする説もあります。
本殿
相殿の波比岐神の父、大年神は素盞鳴尊の御子神で、
大年神と饒速日命を、同一神と考える説があります。
古代、この地方の豪族であった郡司日置氏(へきし)の
氏神を祀った神社だっが、日置氏の没落とともに衰退。
近世になり再興され、
熊本藩主 細川氏は厚い崇敬をよせた。
この地は1300年前に玉名温泉を発見した
「疋野長者伝説」の長者の屋敷があったところと
伝えられている
疋野長者御神陵
「疋野長者伝説」
昔、京に住む美しい姫が夢を見た。
「肥後国疋野の里に住む、炭焼き小五郎という
若者と夫婦になるように」
姫は、夢のお告げの通り、疋野へやって来ました。
貧しい小五郎に、姫は金貨を与え、
お米を買って来るように頼みました。
出かけた小五郎は、
途中飛んできた白鷺に金貨を投げつけました。
傷を負った白さぎは、湯煙立ち上る谷間へ落ちて行き、
しばらくして、元気に回復し、飛び去って行きました。
米を買わずに引き返した小五郎に、姫は
「あれは、大切なお金というもので、何でも買えましたのに」
すると小五郎は
「あんなものなら、山に沢山ある」
見ると山のあちこちに多くの金塊が埋まっていた。
こうして、夫婦は疋野長者となり、
白鷺が元気になった湯が、今の玉名温泉となりました。
鎮座地
熊本県玉名市立願寺
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2019年09月03日
開化天皇を祀る 猫大明神【熊本県荒尾市】
猫大明神【熊本県荒尾市】
由来は不明ですが「猫社(ねこじゃ)さん」と呼ばれるまつりが
毎年一月十日に今も行われています。
このまつりに因んだ話のなかに「せなが長者」があります。
「せなが長者」
昔、この付近の入江に出入りしていた唐船との貿易によって
栄えていた「せなが長者さん」は、
このあたりには勝てる犬や猫はいないという、
とても喧嘩が強い猫を飼っていました。
あるとき、とある唐船の船主さんが、
長者さんと酒を酌み交わしているうちに、この猫の話を聞いて、
「お互いの宝物を賭けて、私の犬と勝負しましょう」
と申し出ました。
船主さんの犬も、
これまで喧嘩に負けたことがない犬だったからです。
長者さんは即座に承知しました。
猫と犬はすさまじい闘いをして、その果てに猫が勝利し、
犬は死んでしまいました。
そこで、長者さんは「金の茶釜」を手に入れ、
これは間もなく荒尾郷を治めていた小代家に献上されました。
しかし、自慢の猫は、闘いによる深手が原因で、
二、三日後に死んでしまいました。
長者さんはこれを哀れんで、祠を建てて霊を慰め、
これが「猫宮」となったそうです。
まつりの日には、「猫大明神札」という御札が配られます。
「猫大明神札」の御利益は、
ねずみ除け・家事災厄除け・金運上昇・無病息災(人・猫)
安産・交通安全(猫)だそうです。
ちなみに小代家に献上された「金の茶釜」は、
小代氏の手によって小岱山山頂の筒ヶ嶽城の井戸に投げ込まれ、
大岩によってふさがれたという伝説も残っています。
猫宮の謎
「猫宮」の由来は、「せなが長者の話」とされていますが、
いくつかの謎があります。
小代氏が「金の茶釜」を投げ込んだ井戸のある筒ヶ嶽城は
15世紀〜16世紀とされますから、室町時代と考えられます。
野原八幡宮
しかし、肥後国 野原八幡宮祭礼史料に、
元享二年(1322年)猫宮三郎太夫が、小行事を担当した記録があり、
鎌倉時代には「猫宮」が存在したことになります。
さらに、荒尾市史・通史編によると、
御神体は古墳時代(5〜6世紀)の舟形石棺から切り落とされた
縄掛け突起部分で、菊池川流域から持ち込まれたものです。
荒尾近隣にて出土したものではありませんから辻褄があいません。
御祭神は、稚日本根子彦大日日天皇
(ワカヤマトネコヒコオオヒヒノスメラミコト)
第九代 開化天皇です。
古事記・日本書紀では記載が非常に少ない
欠史八代(第二代〜九代の天皇)の一人です。
神社考古学ではその名のとおり
「ヤマトの国の根っ子」となった天皇とされ、
別名「ネコさま」と呼ばれ、
福岡県の猫坂、猫峠、猫尾城、若宮、阿蘇の根子岳に
関連があるとされます。
高良大社
また、高良大社に祀られる高良玉垂命の俗称(愛称)猫様で、
高良玉垂命=開化天皇説もあり、
その離宮がこの地にあったのではないかともいわれています。
宮地嶽神社
住吉神社、宮地嶽神社、松尾神社、日枝神社=日吉神社、
比叡山延暦寺の山王権現、山王大社にも深く関係しています。
古事記・日本書紀の記述とは異説をなしますが、
中国の史記に、紀元前1000年頃の周に、
後の呉を起こした太伯の弟・虞仲の子孫である夫差が
紀元前473年に越に亡ぼされた際に、
一族が海を渡り倭国をなしたという記載があります。
呉の太伯王の末裔であると称した
「松野連系図」(国立図書館所蔵)という、日本側の記録にも
「孝昭三年来朝。火の国 山門に住む。菊池郡。」ともあり、
系図は、神武天皇や倭の五王などと共に開化天皇も連ねています。
開化天皇に関する一族が菊池川流域で「猫宮」のもととなりました。
せなが長者のはなしは、663年の白村江の戦いで
日本軍(ネコ)が唐・新羅連合軍(イヌ)
に敗れ、多くの兵が帰国後亡くなったことを
隠喩したのではないでしょうか。
藤原氏が編纂した日本書紀で欠史扱いされるようになり
公には語られなくなったためです。
菊池川
何らかの理由で、荒尾の地に一族が移動する際に、
開化天皇に関係のあった、菊池川流域の首長級の先祖の古墳から
石棺の一部を切り取りシンボルとして持ち込んだのです。
その後、貿易で大成功した一族が「せなが長者」として、
猫と犬の喧嘩のエピソードに代え「猫宮」の由来にあてたのでしょう。
とても古い由来を持っていることが伺えます。
鎮座地
熊本県荒尾市一部猫宮
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由来は不明ですが「猫社(ねこじゃ)さん」と呼ばれるまつりが
毎年一月十日に今も行われています。
このまつりに因んだ話のなかに「せなが長者」があります。
「せなが長者」
昔、この付近の入江に出入りしていた唐船との貿易によって
栄えていた「せなが長者さん」は、
このあたりには勝てる犬や猫はいないという、
とても喧嘩が強い猫を飼っていました。
あるとき、とある唐船の船主さんが、
長者さんと酒を酌み交わしているうちに、この猫の話を聞いて、
「お互いの宝物を賭けて、私の犬と勝負しましょう」
と申し出ました。
船主さんの犬も、
これまで喧嘩に負けたことがない犬だったからです。
長者さんは即座に承知しました。
猫と犬はすさまじい闘いをして、その果てに猫が勝利し、
犬は死んでしまいました。
そこで、長者さんは「金の茶釜」を手に入れ、
これは間もなく荒尾郷を治めていた小代家に献上されました。
しかし、自慢の猫は、闘いによる深手が原因で、
二、三日後に死んでしまいました。
長者さんはこれを哀れんで、祠を建てて霊を慰め、
これが「猫宮」となったそうです。
まつりの日には、「猫大明神札」という御札が配られます。
「猫大明神札」の御利益は、
ねずみ除け・家事災厄除け・金運上昇・無病息災(人・猫)
安産・交通安全(猫)だそうです。
ちなみに小代家に献上された「金の茶釜」は、
小代氏の手によって小岱山山頂の筒ヶ嶽城の井戸に投げ込まれ、
大岩によってふさがれたという伝説も残っています。
猫宮の謎
「猫宮」の由来は、「せなが長者の話」とされていますが、
いくつかの謎があります。
小代氏が「金の茶釜」を投げ込んだ井戸のある筒ヶ嶽城は
15世紀〜16世紀とされますから、室町時代と考えられます。
野原八幡宮
しかし、肥後国 野原八幡宮祭礼史料に、
元享二年(1322年)猫宮三郎太夫が、小行事を担当した記録があり、
鎌倉時代には「猫宮」が存在したことになります。
さらに、荒尾市史・通史編によると、
御神体は古墳時代(5〜6世紀)の舟形石棺から切り落とされた
縄掛け突起部分で、菊池川流域から持ち込まれたものです。
荒尾近隣にて出土したものではありませんから辻褄があいません。
御祭神は、稚日本根子彦大日日天皇
(ワカヤマトネコヒコオオヒヒノスメラミコト)
第九代 開化天皇です。
古事記・日本書紀では記載が非常に少ない
欠史八代(第二代〜九代の天皇)の一人です。
神社考古学ではその名のとおり
「ヤマトの国の根っ子」となった天皇とされ、
別名「ネコさま」と呼ばれ、
福岡県の猫坂、猫峠、猫尾城、若宮、阿蘇の根子岳に
関連があるとされます。
高良大社
また、高良大社に祀られる高良玉垂命の俗称(愛称)猫様で、
高良玉垂命=開化天皇説もあり、
その離宮がこの地にあったのではないかともいわれています。
宮地嶽神社
住吉神社、宮地嶽神社、松尾神社、日枝神社=日吉神社、
比叡山延暦寺の山王権現、山王大社にも深く関係しています。
古事記・日本書紀の記述とは異説をなしますが、
中国の史記に、紀元前1000年頃の周に、
後の呉を起こした太伯の弟・虞仲の子孫である夫差が
紀元前473年に越に亡ぼされた際に、
一族が海を渡り倭国をなしたという記載があります。
呉の太伯王の末裔であると称した
「松野連系図」(国立図書館所蔵)という、日本側の記録にも
「孝昭三年来朝。火の国 山門に住む。菊池郡。」ともあり、
系図は、神武天皇や倭の五王などと共に開化天皇も連ねています。
開化天皇に関する一族が菊池川流域で「猫宮」のもととなりました。
せなが長者のはなしは、663年の白村江の戦いで
日本軍(ネコ)が唐・新羅連合軍(イヌ)
に敗れ、多くの兵が帰国後亡くなったことを
隠喩したのではないでしょうか。
藤原氏が編纂した日本書紀で欠史扱いされるようになり
公には語られなくなったためです。
菊池川
何らかの理由で、荒尾の地に一族が移動する際に、
開化天皇に関係のあった、菊池川流域の首長級の先祖の古墳から
石棺の一部を切り取りシンボルとして持ち込んだのです。
その後、貿易で大成功した一族が「せなが長者」として、
猫と犬の喧嘩のエピソードに代え「猫宮」の由来にあてたのでしょう。
とても古い由来を持っていることが伺えます。
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熊本県荒尾市一部猫宮
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2019年09月02日
子どもの神様「にしばるさん」西原大神宮【熊本県荒尾市】
西原大神宮【熊本県荒尾市】
1533年(天文2)、弘家の先祖が徒歩で伊勢大神宮に参詣され、
直接御分霊を頂いたのを鎮座されたもの。
その後、永く氏神として、五穀豊穣の神様
子供のすじ、ひきつけの神様として有名です。
御祭神
天照皇大神・豊受大神・素戔嗚尊
天岩戸の昔、東天紅をうたってより
神様の一族として御寵愛される処から
鶏の絵馬を奉納して神様のご加護を願います。
西原大神宮大祭【にしばるさん】
春季大祭 2月11日
秋季大祭 9月11日
鎮座地
熊本県荒尾市西原町
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1533年(天文2)、弘家の先祖が徒歩で伊勢大神宮に参詣され、
直接御分霊を頂いたのを鎮座されたもの。
その後、永く氏神として、五穀豊穣の神様
子供のすじ、ひきつけの神様として有名です。
御祭神
天照皇大神・豊受大神・素戔嗚尊
天岩戸の昔、東天紅をうたってより
神様の一族として御寵愛される処から
鶏の絵馬を奉納して神様のご加護を願います。
西原大神宮大祭【にしばるさん】
春季大祭 2月11日
秋季大祭 9月11日
鎮座地
熊本県荒尾市西原町
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2019年07月07日
彦嶽宮 上宮【彦岳と不動岩の首引き伝説】【熊本県山鹿市】
彦嶽宮 上宮【彦岳と不動岩の首引き伝説】【熊本県山鹿市】
彦嶽宮 上宮へ行きます。
彦嶽宮は、山の麓にある下宮、山の中腹にある中宮、
山の頂上にある上宮の3つがあります。
宮司さんに、
「中宮へは車で登れますか?」と聞いたら、
詳しく説明していただいたのですが、
中宮を見つけられませんでした。
中宮祭神
月夜見神・彦火火出見神
中宮へは登山道を登って
参拝するコースがいいみたいです。
離合出来ない荒れた細い山道をのぼります。
ここの山は彦岳といいます。
俗に権現山と呼ばれています。
昔、この頂上に姫龍神を祀る彦岳権現宮があり、
この山の2里四方は神領だったといわれています。
伝説 〜彦岳と不動岩の首引き〜
この権現と三玉地区にある不動岩とは異母兄弟で、
母は実子の不動岩を可愛がっていました。
日常の食べ物も不動岩に小豆を、
権見には大豆を与えていました。
ある日、母は双方に首引きをするように命じ、
勝った方に大昔から伝わる、水、火、土の
三つの玉を授けるといました。
そこでお互いは首に縄をかけ、引き合いましたが、
大豆を食べていた権現の力が強く、
不動岩の首は飛んで久原山の麓に落ちました。
首根からは血が流れでて、
三玉地区の土は赤土になってしまいました。
首引きで両方から力一杯に踏ん張ったので、
足下の土はむくむくとうず高く盛り上がり、
首引きの縄の間にそびえ立ち、縄にこすられて、揺るぎだしました。
この土の山は「揺ぎ岳」と名付けられ、
頂上には縄でこすれた、二筋の凹みが残っています。
古くから竜神のすがたは一つの玉を咥え、二つの玉を
各々つかんでいますが、それは、権現の勝利を
あらわしたものと、言い伝えられています。
上宮祭神
伊弉諾神・伊弉冉神・事解男神・速玉男神
合殿
天児屋根神・経津主神・武槌神
底筒男神・中筒男神・表筒男神
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彦嶽宮 上宮へ行きます。
彦嶽宮は、山の麓にある下宮、山の中腹にある中宮、
山の頂上にある上宮の3つがあります。
宮司さんに、
「中宮へは車で登れますか?」と聞いたら、
詳しく説明していただいたのですが、
中宮を見つけられませんでした。
中宮祭神
月夜見神・彦火火出見神
中宮へは登山道を登って
参拝するコースがいいみたいです。
離合出来ない荒れた細い山道をのぼります。
ここの山は彦岳といいます。
俗に権現山と呼ばれています。
昔、この頂上に姫龍神を祀る彦岳権現宮があり、
この山の2里四方は神領だったといわれています。
伝説 〜彦岳と不動岩の首引き〜
この権現と三玉地区にある不動岩とは異母兄弟で、
母は実子の不動岩を可愛がっていました。
日常の食べ物も不動岩に小豆を、
権見には大豆を与えていました。
ある日、母は双方に首引きをするように命じ、
勝った方に大昔から伝わる、水、火、土の
三つの玉を授けるといました。
そこでお互いは首に縄をかけ、引き合いましたが、
大豆を食べていた権現の力が強く、
不動岩の首は飛んで久原山の麓に落ちました。
首根からは血が流れでて、
三玉地区の土は赤土になってしまいました。
首引きで両方から力一杯に踏ん張ったので、
足下の土はむくむくとうず高く盛り上がり、
首引きの縄の間にそびえ立ち、縄にこすられて、揺るぎだしました。
この土の山は「揺ぎ岳」と名付けられ、
頂上には縄でこすれた、二筋の凹みが残っています。
古くから竜神のすがたは一つの玉を咥え、二つの玉を
各々つかんでいますが、それは、権現の勝利を
あらわしたものと、言い伝えられています。
上宮祭神
伊弉諾神・伊弉冉神・事解男神・速玉男神
合殿
天児屋根神・経津主神・武槌神
底筒男神・中筒男神・表筒男神
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2019年07月06日
彦嶽宮 下宮【熊本県山鹿市】
彦嶽宮 下宮【熊本県山鹿市】
彦岳
楼門
手水舎
創建は、第十二代景行天皇の御代。
景行天皇の時代に、日向の国(現・宮崎県)
の熊津彦(くまつひこ)がそむいたので、
天皇は景行十八年四月に軍を率いて九州に上陸、
高天山(震嶽)に行宮を営まれました。
熊津彦は土蜘蛛の津頬(つちぐものつつら)と共に
兵を進めて夜中に天皇を襲いました。
天皇が行宮において諸神にお祈ると、
彦嶽の頂上より高天山に霊感があり、高天山は大きく振動し、
賊徒はたちまち敗走し、天皇の大勝となりました。
天皇は日向の国に攻めて、熊津彦及び津頬を成敗し、
帰りの途中に神恩に感謝し、彦嶽三所に神宮を造立された。
下宮祭神:天照皇大神・倉稲魂神
合殿:素戔鳴神・健磐龍神・彦御子神
本殿
木々に囲まれ,静かで、
清々しさを感じるとてもいい神社でした。
彦嶽宮 上宮へ行きます。
鎮座地
熊本県山鹿市津留
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彦岳
楼門
手水舎
創建は、第十二代景行天皇の御代。
景行天皇の時代に、日向の国(現・宮崎県)
の熊津彦(くまつひこ)がそむいたので、
天皇は景行十八年四月に軍を率いて九州に上陸、
高天山(震嶽)に行宮を営まれました。
熊津彦は土蜘蛛の津頬(つちぐものつつら)と共に
兵を進めて夜中に天皇を襲いました。
天皇が行宮において諸神にお祈ると、
彦嶽の頂上より高天山に霊感があり、高天山は大きく振動し、
賊徒はたちまち敗走し、天皇の大勝となりました。
天皇は日向の国に攻めて、熊津彦及び津頬を成敗し、
帰りの途中に神恩に感謝し、彦嶽三所に神宮を造立された。
下宮祭神:天照皇大神・倉稲魂神
合殿:素戔鳴神・健磐龍神・彦御子神
本殿
木々に囲まれ,静かで、
清々しさを感じるとてもいい神社でした。
彦嶽宮 上宮へ行きます。
鎮座地
熊本県山鹿市津留
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2019年07月04日
神社名に惹かれて行ってみた! 七夕神社【熊本県山鹿市】
七夕神社【熊本県山鹿市】
神社の名前に惹かれて行ってみました。
第六十一代朱雀天皇の頃、世の中が大変乱れたため、
この世の平安を祈って天慶三年(940)七月に創建されたのが、
岩原八幡宮(七夕神社)です。
肥後国司の尾藤隆房が直々に建てたほどの
由緒ある神社なのです。
ここは、三ツ棟の幣殿で、回廊があり、東に唐門、
北に不老門、南に弥勒寺を従えた当時としては
壮大な構えの神社でした。
また、下宮として八幡宮、若宮神社、春日神社や
桜井大明神、住吉、葉山、妙見などは全てこの関連の社でした。
その後の後醍醐天皇の頃、
菊池肥後守 藤原武重、菊池肥後守 武光は神社を修復し、
七月七日には社頭の東で神輿を納め、種々のお祭りも催しました。
しかし、この由緒ある神社も天正九年(1581)
島津軍の肥後侵略の時に兵火に遭い、
灰塵となってしまいました。
そこで文禄四年(1595)、祀官の緒方大神惟仲が
小さいお堂を建てて八幡宮を再興して、七月七日と
十月七日を両祭日と定めました。
拝殿
御祭神:誉田別命(応神天皇)
七夕神社の名前から、もしかすると御祭神はニギハヤヒかも?
と思ってきたのですが、八幡宮でした。
拝殿の後ろに本殿に上がる階段があります。
本 殿
この神社も猿田彦大神石碑が並んでます。
岩原八幡宮がいつの間にか
「七夕神社」と呼ばれるようになったのは、
七月に社が建てられ、七月七日に神輿のお祭りがあり、
祭礼が七月七日と定められたことによるものと考えられています。
現在、本来下宮だった社が岩原八幡宮となっています。
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神社の名前に惹かれて行ってみました。
第六十一代朱雀天皇の頃、世の中が大変乱れたため、
この世の平安を祈って天慶三年(940)七月に創建されたのが、
岩原八幡宮(七夕神社)です。
肥後国司の尾藤隆房が直々に建てたほどの
由緒ある神社なのです。
ここは、三ツ棟の幣殿で、回廊があり、東に唐門、
北に不老門、南に弥勒寺を従えた当時としては
壮大な構えの神社でした。
また、下宮として八幡宮、若宮神社、春日神社や
桜井大明神、住吉、葉山、妙見などは全てこの関連の社でした。
その後の後醍醐天皇の頃、
菊池肥後守 藤原武重、菊池肥後守 武光は神社を修復し、
七月七日には社頭の東で神輿を納め、種々のお祭りも催しました。
しかし、この由緒ある神社も天正九年(1581)
島津軍の肥後侵略の時に兵火に遭い、
灰塵となってしまいました。
そこで文禄四年(1595)、祀官の緒方大神惟仲が
小さいお堂を建てて八幡宮を再興して、七月七日と
十月七日を両祭日と定めました。
拝殿
御祭神:誉田別命(応神天皇)
七夕神社の名前から、もしかすると御祭神はニギハヤヒかも?
と思ってきたのですが、八幡宮でした。
拝殿の後ろに本殿に上がる階段があります。
本 殿
この神社も猿田彦大神石碑が並んでます。
岩原八幡宮がいつの間にか
「七夕神社」と呼ばれるようになったのは、
七月に社が建てられ、七月七日に神輿のお祭りがあり、
祭礼が七月七日と定められたことによるものと考えられています。
現在、本来下宮だった社が岩原八幡宮となっています。
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2019年06月18日
神龍八大竜王神社 菊池市竜門【熊本県のパワースポット】
神龍八大竜王神社(しんりゅうはちだいりゅうおうじんじゃ)
下り宮
社殿の下を流れる迫間川には
「男龍」と「女龍」が棲んでいたという伝説があり、
その龍神を祭ったのがこの神社の始まりといわれています。
神社境内から「男龍」と呼ばれる淵を望むことができます。
神龍八大竜王神の由来
神竜八大龍王様はこの宇宙最高の神であり、
今より約三百八十年前即ち天正三年(暦1575)旧五月六日世界の
平和を祈念され此の地に天下られる。
其の以前約千五百年の長きに亘り身を修められ、
王位四百五十年に及び通 して約弐千五百年の久しきに亘り神の道を経給う。
我が国に於て唯一ヶ所にて、
その神力の尊きこと只感嘆の外なし御参詣の皆様には
「おんめいきやしやにえいそわか」を唱え真心をだせよ、
真ありてこそ神に通ずると申されてあります。
世の一切の苦難・病難・願望・悩みごと・
すべての人の幸を誘いていただけます。
ここに世の光明を求むる人々のために記するものなり。
境内には縁結びの神「愛染明王神」と
現世の苦悩・願望を叶えてくれる菩薩といわれる
「十一面観世音菩薩」も祀られています。
御神木 夫婦杉
金運アップのパワースポットとして注目されていますが、
学業成就、縁結び、開運招福、病気平癒など様々の
ご利益が授かるといわれています。
福蛇の袴
神龍八大龍王神社に参拝する時、
「福蛇の袴(ふくへびのはかま)」と呼ばれる
お守りを持参すると幸運や金運が舞い込むといわれています。
これは本物の蛇の抜け殻を龍のウロコに見立てたものだそうです。
きくち観光物産館と竜門ダムの龍龍館で購入できます。
難陀龍王
八大竜王
難陀竜王(ナーガ/なんだ)
跋難陀竜王(ウパナンダ/ばつなんだ)
沙伽羅竜王(沙羯羅)(サーガラ)
和修吉竜王(ヴァースキ/わしゅきつ)
徳叉迦竜王(タクシャカ/とくしゃか)
摩那斯竜王(マナスヴィン/まなし)
阿那婆達多竜王(アナヴァタプタ/あなばだった)
優鉢羅竜王(ウッパラカ/うはつら)
鎮座地
熊本県菊池市龍門
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下り宮
社殿の下を流れる迫間川には
「男龍」と「女龍」が棲んでいたという伝説があり、
その龍神を祭ったのがこの神社の始まりといわれています。
神社境内から「男龍」と呼ばれる淵を望むことができます。
神龍八大竜王神の由来
神竜八大龍王様はこの宇宙最高の神であり、
今より約三百八十年前即ち天正三年(暦1575)旧五月六日世界の
平和を祈念され此の地に天下られる。
其の以前約千五百年の長きに亘り身を修められ、
王位四百五十年に及び通 して約弐千五百年の久しきに亘り神の道を経給う。
我が国に於て唯一ヶ所にて、
その神力の尊きこと只感嘆の外なし御参詣の皆様には
「おんめいきやしやにえいそわか」を唱え真心をだせよ、
真ありてこそ神に通ずると申されてあります。
世の一切の苦難・病難・願望・悩みごと・
すべての人の幸を誘いていただけます。
ここに世の光明を求むる人々のために記するものなり。
境内には縁結びの神「愛染明王神」と
現世の苦悩・願望を叶えてくれる菩薩といわれる
「十一面観世音菩薩」も祀られています。
御神木 夫婦杉
金運アップのパワースポットとして注目されていますが、
学業成就、縁結び、開運招福、病気平癒など様々の
ご利益が授かるといわれています。
福蛇の袴
神龍八大龍王神社に参拝する時、
「福蛇の袴(ふくへびのはかま)」と呼ばれる
お守りを持参すると幸運や金運が舞い込むといわれています。
これは本物の蛇の抜け殻を龍のウロコに見立てたものだそうです。
きくち観光物産館と竜門ダムの龍龍館で購入できます。
難陀龍王
八大竜王
難陀竜王(ナーガ/なんだ)
跋難陀竜王(ウパナンダ/ばつなんだ)
沙伽羅竜王(沙羯羅)(サーガラ)
和修吉竜王(ヴァースキ/わしゅきつ)
徳叉迦竜王(タクシャカ/とくしゃか)
摩那斯竜王(マナスヴィン/まなし)
阿那婆達多竜王(アナヴァタプタ/あなばだった)
優鉢羅竜王(ウッパラカ/うはつら)
鎮座地
熊本県菊池市龍門
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2019年06月17日
城野松尾神社【熊本県山鹿市】お酒の神様
城野松尾神社【熊本県山鹿市】
前から気になっていたので行ってみました。
平安初期、第五十二代 平城天皇 大同2年(807年)に
山城国(現京都府)葛野郡の松尾大社から分霊を勧請した神社です。
仁王像
拝殿
絵馬も多く奉納されてます。
一番古い絵馬は嘉永2年(西暦1849年)だそうです。
御祭神 大山咋神(おおやまくいのかみ)
大山咋神の別称
山末之大主神(ヤマスエノオオヌシノカミ)
山王権現(サンノウゴンゲン)
日吉山王権現(ヒエサンノウゴンゲン)
鳴鏑神(ナリカブラノカミ)
「松尾さま」と呼ばれる酒神としても知られています。
大年神とアメノチカルミヅヒメの間の子で、
須佐之男命の孫です。
戦国時代、天正16年(1588年)の国衆一揆の際、
神社は壊されましたが、 細川氏により
寛政14年(1637)年に社殿が造営されました。
松尾大社からの遷宮を祝って、
25年に一度だけ行われる伝統ある「遷宮祭」が続けられています。
御神木
猿田彦大神
ここは、知る人ぞ知るパワースポットといわれています。
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平安初期、第五十二代 平城天皇 大同2年(807年)に
山城国(現京都府)葛野郡の松尾大社から分霊を勧請した神社です。
仁王像
拝殿
絵馬も多く奉納されてます。
一番古い絵馬は嘉永2年(西暦1849年)だそうです。
御祭神 大山咋神(おおやまくいのかみ)
大山咋神の別称
山末之大主神(ヤマスエノオオヌシノカミ)
山王権現(サンノウゴンゲン)
日吉山王権現(ヒエサンノウゴンゲン)
鳴鏑神(ナリカブラノカミ)
「松尾さま」と呼ばれる酒神としても知られています。
大年神とアメノチカルミヅヒメの間の子で、
須佐之男命の孫です。
戦国時代、天正16年(1588年)の国衆一揆の際、
神社は壊されましたが、 細川氏により
寛政14年(1637)年に社殿が造営されました。
松尾大社からの遷宮を祝って、
25年に一度だけ行われる伝統ある「遷宮祭」が続けられています。
御神木
猿田彦大神
ここは、知る人ぞ知るパワースポットといわれています。
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2019年04月16日
幣立神宮【熊本のパワースポット】高千穂 @
高千穂へ行く途中、幣立神宮に寄りました。
本殿だけ参拝します。
木の鳥居に建て替わってました。
階段を上り始めると、空気が変わります。
表現しずらいのですが、温度が下がる感覚というか、
何とも気持ちのいい空気に変わります。不思議です。
ここは、毎年来てますが、熊本地震以降、
空気の変化があまり感じられなかったのですが、
今年はだいぶ地震前に戻ったような気がします。
主祭神
神漏岐命(かむろぎのみこと)
神漏美命(かむろぎのみこと)
大宇宙大和神(おおとのちおおかみ)
天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)
天照大神
御神木
鎮座地
熊本県上益城郡山都町大野
熊本のパワースポット 幣立神宮【熊本県山都町】
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本殿だけ参拝します。
木の鳥居に建て替わってました。
階段を上り始めると、空気が変わります。
表現しずらいのですが、温度が下がる感覚というか、
何とも気持ちのいい空気に変わります。不思議です。
ここは、毎年来てますが、熊本地震以降、
空気の変化があまり感じられなかったのですが、
今年はだいぶ地震前に戻ったような気がします。
主祭神
神漏岐命(かむろぎのみこと)
神漏美命(かむろぎのみこと)
大宇宙大和神(おおとのちおおかみ)
天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)
天照大神
御神木
鎮座地
熊本県上益城郡山都町大野
熊本のパワースポット 幣立神宮【熊本県山都町】
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2019年04月08日
国造神社【熊本県のパワースポット】
国造神社(こくぞう じんじゃ)は、
熊本県阿蘇市一の宮町手野に鎮座する神社です。
阿蘇神社の北にあるため、通称は「北宮」。
延喜式内社で、旧社格は県社
手水舎と水神社
御祭神
速瓶玉命(はやみかたまのみこと)
阿蘇神社主祭神健磐龍命の子。阿蘇国造大神。
阿蘇神社では十一宮に奉斎。
雨宮媛命(あまみやひめのみこと)
速瓶玉命の妃。蒲智比当ス(かまちひめのみこと)、海神の女神。
郡浦神社主祭神。
高橋神(たかはしのかみ) - 速瓶玉命の第二子。
火宮神(ひみみやのかみ) - 速瓶玉命の第三子。
拝殿
本殿
速瓶玉命は父親である阿蘇神社の主祭神健磐龍命と共に
阿蘇の地を開拓し、農耕・植林などを指導したとされます。
平安時代に書かれた延喜式神名帳に名前が出ている
熊本県内において、最も古い神社の一社です。
肥後国誌によれば、崇神天皇の代に速瓶玉命が肥後国造に任命され、
景行天皇18年に、国造神社を修造し祭典を整えたとある
熊本のパワースポット 幣立神宮【熊本県山都町】
白蛇の桧
白蛇が出現し見た人は開運すると言われています。
この種の桧(ヒノキ)は育ちにくく、
この様に大きくなったものは日本全土に四本しかないそうです。
鯰宮
全国的にも珍しい鯰を祀った宮
門守社
国造速瓶玉命お手植えの杉
高さ48m、胴回り15m 樹齢2000年という大きな杉があります。
江戸時代には男杉と女杉とがありましたが1818年頃、
男杉は落雷のため伐採されました。
また、その後、平成3年に台風で折れ、今は女杉のみ
御朱印はスタンプでした。
手書きの御朱印は阿蘇神社ででいただけるそうです。
熊本のパワースポット 阿蘇神社【熊本県阿蘇市】
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2015年10月20日
山鹿灯籠の起源 大宮神社 熊本県山鹿市 めぐり4
大宮神社
山鹿灯籠の起源 大宮神社
御祭神 第十二代景行天皇
和風諡号 大足彦忍代別天皇(オオタラシヒコオシロワケノミコト)
合 殿 阿蘇十二神
第十二代景行天皇が筑紫御巡行の折、山鹿に着き、
杉山(現社地)に行宮(仮の御所)を営ませられ、
付近の賊を御平定になられたといいます。
その後、行宮の跡地に天皇をお祀りしたのが大宮神社であり、
大宮と称するのもこれに由来しています。
天皇巡行の際には、一面の濃霧が進路を阻んだため、
里人が松明(たいまつ)を灯してお迎えしたその火が
山鹿灯籠の起源と伝えられています。
御神木「実のなるモクセイ」
この実は子宝(子孫繁栄)、努力が実る合格祈願のお守りです。
境内社
八坂神社と祇園さん鳥居くぐり
八坂神社の前にある小さな鳥居です腹ばいになって通り、無病息災を祈ります。
宮地嶽神社、出雲宮
高住神社、管原神社
境内には、足手荒神(手足の守神)生目神社(目の神さま)地主神社(ぜんそく平癒)など
様々な祈願が出来る境内社がおまつりされていました。
九州一、49基の猿田彦大神の石碑が並び立っています。
山鹿燈籠祭
8月15,16日に行われる例祭は山鹿燈籠祭(やまがとうろうさい)は、
室町時代より六百年続く伝統神事「上がり燈籠(あがりとうろう)」
たいまつ行列、燈籠踊り、花火大会など様々な神事
行事が行われます。
所在地:山鹿市山鹿
山鹿灯籠の起源 大宮神社
御祭神 第十二代景行天皇
和風諡号 大足彦忍代別天皇(オオタラシヒコオシロワケノミコト)
合 殿 阿蘇十二神
第十二代景行天皇が筑紫御巡行の折、山鹿に着き、
杉山(現社地)に行宮(仮の御所)を営ませられ、
付近の賊を御平定になられたといいます。
その後、行宮の跡地に天皇をお祀りしたのが大宮神社であり、
大宮と称するのもこれに由来しています。
天皇巡行の際には、一面の濃霧が進路を阻んだため、
里人が松明(たいまつ)を灯してお迎えしたその火が
山鹿灯籠の起源と伝えられています。
御神木「実のなるモクセイ」
この実は子宝(子孫繁栄)、努力が実る合格祈願のお守りです。
境内社
八坂神社と祇園さん鳥居くぐり
八坂神社の前にある小さな鳥居です腹ばいになって通り、無病息災を祈ります。
宮地嶽神社、出雲宮
高住神社、管原神社
境内には、足手荒神(手足の守神)生目神社(目の神さま)地主神社(ぜんそく平癒)など
様々な祈願が出来る境内社がおまつりされていました。
九州一、49基の猿田彦大神の石碑が並び立っています。
山鹿燈籠祭
8月15,16日に行われる例祭は山鹿燈籠祭(やまがとうろうさい)は、
室町時代より六百年続く伝統神事「上がり燈籠(あがりとうろう)」
たいまつ行列、燈籠踊り、花火大会など様々な神事
行事が行われます。
所在地:山鹿市山鹿
2015年10月11日
パワースポット 高天原 日の宮 幣立神宮
熊本県上益城郡山都町(旧蘇陽町)にある、
高天原(たかまがはら)神話の発祥の神宮
幣立(へいたて)神宮へ行ってきました。
旧蘇陽町は九州の「へそ」と言われるところで、
九州のほぼ真中に位置します。
階段を上りはじめたら、空気が変わりました。
御祭神は
・神漏岐命(かむろぎのみこと)・神漏美命(かむろみのみこと)
(宇宙から御降臨の神・宇宙神)
・大宇宙大和神(おおとのちおおかみ)神代七代の初代
・天御中主大神(あまのみなかぬしのおおかみ)天神七代の初代
・天照大神(地神五代の初代の神様)
をお奉りしてあります。
天神木の高千穂
天神木の頂は高千穂と呼ばれ千本の穂が球体をあらわすような姿であったが、
91年の台風19号でその部分がご神殿の屋根に落下し、
屋根が吹き飛ばないようご神殿を守ったという。
その落下した部分は天神木の高千穂として祀られている。
伊勢の外宮
伊勢の内宮、天神木(巨檜)
天神木の首ツ玉
東の宮
御祭神
風之宮大神、雨之宮大神、火之宮大神
天兒屋命 (あまのこやねのみこと)
天兒屋命とは天照大神を天岩戸にお迎えに行かれ、
お迎えのための祝詞を奏上された神様です。
大野神社
御祭神:應神天皇(おうじんてんのう)、建磐龍命(たけいはたつのみこと)
西の宮(水神宮)
御祭神:彌都波能賣神(みつはのめのかみ)、日子八井命(ひこやゐのみこと)
東御手洗(ひがしみたらい)
東水神宮
御祭神:天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、他五柱
水玉の池
八大竜王が棲むと言われる池。
空気が澄んで、癒される不思議な神社でした。
2015年06月10日
パワースポット 阿蘇神社 熊本県阿蘇市
阿蘇神社は、熊本県阿蘇市にあります。
全国に約450社ある「阿蘇神社」の総本社です。
孝霊天皇9年の創建、肥後国一の宮、旧官幣大社。
阿蘇の開拓祖、健磐龍命(たけいわたつのみこと)をはじめ十二神をまつる
由緒ある神社です。
全国的にもめずらしい横参道であり、この参道に向かって
二層の楼門が建っています。
境内には願いごとを叶えてくれる「願かけの石」や
縁結びにご利益がある「高砂の松」、西本清樹の歌碑があります。
祭神
阿蘇十二明神
一宮:健磐龍命、二宮:阿蘇都比当ス、三宮:國龍神、四宮:比東芬q神、
五宮:彦御子神、六宮:若比盗_、七宮:新彦神、八宮:新比盗_、
九宮:若彦神、十宮:彌比盗_、十一宮:國造速瓶玉神、十二宮:金凝神