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2019年04月02日
筑後国一の宮 高良大社 【謎の祭神 高良玉垂命】
高良大社は、旧国幣大社 延喜式内明神大社
筑後国一の宮・九州総社・鎮西11ヶ国の宗廟とたたえられています。
厄年の厄ばらい・厄除け開運・延命長寿
現代では交通安全のご利益でも名高い。
また芸能の神としての信仰もある。
御祭神
高良玉垂命 (こうらたまたれのみこと)
八幡大神 (はちまんおおかみ)
住吉大神 (すみよしおおかみ)
御鎮座
仁徳天皇55年(367)または78年(390)といわれ、
履中天皇元年(400)にご社殿を建ててお祀りしたとされます。
高良山の出土遺物は太古の時代にまで遡り、
その信仰の古さをみせます。
太古の自然信仰の痕跡、馬蹄石などの磐座群、
神籠石の名称由来ともなった謎の神域の列石。
景行天皇の熊襲征伐においては高良行宮が置かれ、
神功皇后の山門征討では山麓に陣が敷かれました。
また、磐井の乱では最後の戦いの舞台となり、
南北朝時代には南朝の懐良親王が征西府を置き、
秀吉の九州征伐では本陣とされました。
この山は常に九州の軍事の要衝でした。
この地の高良玉垂神は記紀に載られない
隠された神とされ、
朝廷から正一位を授かった神であるにも関わらず、
未だにその正体は不明とされています。
祭神、高良玉垂命に関しては、
武内宿禰説、藤大臣説、彦火火出見尊説、水沼祖神説、景行天皇説、
物部祖神説、饒速日命説、香春同神説、新羅神説、高麗神説、女神説
など非常に多くの説があり、筑後における古代史の最大の謎と
されています。
高良山は古く、高牟礼山(鷹群、たかむれ)と呼ばれ、
高良山の本来の祭神は「高木神(高御産巣日神、高皇産霊神)」
であったとされます。
この社の縁起では、高木神はもとは高良山上に在ったが、
玉垂神に山を貸したところ、
玉垂神が結界(神籠石)を張って鎮座したため、
山上に戻れず、麓に鎮座しているとされます。
熊本のパワースポット 国造神社【熊本県阿蘇市】
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現代では交通安全のご利益でも名高い。
また芸能の神としての信仰もある。
御祭神
高良玉垂命 (こうらたまたれのみこと)
八幡大神 (はちまんおおかみ)
住吉大神 (すみよしおおかみ)
御鎮座
仁徳天皇55年(367)または78年(390)といわれ、
履中天皇元年(400)にご社殿を建ててお祀りしたとされます。
高良山の出土遺物は太古の時代にまで遡り、
その信仰の古さをみせます。
太古の自然信仰の痕跡、馬蹄石などの磐座群、
神籠石の名称由来ともなった謎の神域の列石。
景行天皇の熊襲征伐においては高良行宮が置かれ、
神功皇后の山門征討では山麓に陣が敷かれました。
また、磐井の乱では最後の戦いの舞台となり、
南北朝時代には南朝の懐良親王が征西府を置き、
秀吉の九州征伐では本陣とされました。
この山は常に九州の軍事の要衝でした。
この地の高良玉垂神は記紀に載られない
隠された神とされ、
朝廷から正一位を授かった神であるにも関わらず、
未だにその正体は不明とされています。
祭神、高良玉垂命に関しては、
武内宿禰説、藤大臣説、彦火火出見尊説、水沼祖神説、景行天皇説、
物部祖神説、饒速日命説、香春同神説、新羅神説、高麗神説、女神説
など非常に多くの説があり、筑後における古代史の最大の謎と
されています。
高良山は古く、高牟礼山(鷹群、たかむれ)と呼ばれ、
高良山の本来の祭神は「高木神(高御産巣日神、高皇産霊神)」
であったとされます。
この社の縁起では、高木神はもとは高良山上に在ったが、
玉垂神に山を貸したところ、
玉垂神が結界(神籠石)を張って鎮座したため、
山上に戻れず、麓に鎮座しているとされます。
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