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2019年08月05日
葛城神社(一言主神社)【佐賀県みやき町】
葛城神社(一言主神社)【佐賀県みやき町】
奈良県御所市にある一言主神社と同じ
一言主神を御祭神とする神社です。
古事記や日本書紀に、二十一代雄略天皇の一行が、
葛城山で天皇の一行と全く同じ姿・人数で現れた
一言主神に出会う話があります。
一言主神は
「吾は悪事も一言、善事も一言に言離つ神、葛城の一言主之大神なり」
と雄略天皇に答えています。
それ故、俗に「一言さん」と呼ばれ、
一言の願いであれば何事もお聞きとどける神として
古くから親しまれ信仰されています。
この一言主神は、事代主神と同様に託宣を司る神
つまり神の言葉を伝える神と考えられます。
『古事記』では「一言主」、『日本書紀』では「一事主」
『日本霊異記』では「一語主」とも表記されています。
『先代旧事本紀』では一言主神を
素戔烏尊の子と書かれているようです。
また、この神が味鋤高彦根神(加茂大神)
と同じ神ではないかと言われてます。
この社は、昔この地方に住んでいた葛城部が祀ったそうです。
その葛城部というのは日本書紀によると、
仁徳天皇七年に皇后の御名代部としておかれたようです。
古代には、この一帯を葛木郷と言っていました。
蜘蛛?
奈良の一言主神社には、蜘蛛塚があり、
土蜘蛛の住んでいた場所であり、お墓でもあります。
土蜘蛛とは、昔、天皇に抵抗した勢力のことを称するようです。
本殿
古書「三代実録」の貞観十五年(873)九月十六日の項に
肥前国正六位上葛城一言主神に従五位下の神位を授けるとあり、
また、別の古書には、正応五年(1292)には
社領十一町三反を有していたことが書かれています。
かつてはかなりの社領を持つ有力神社であったが、
豊臣秀吉の太閤検地によって、すべての社領を没収され、
それ以後は矢俣八幡神社の外宮として、
矢俣八幡神社とともに、この矢俣郷の鎮守の神様として
ひっそりと鎮座しています。
鎮座地
佐賀県三養基郡みやき町天建寺
にほんブログ村
奈良県御所市にある一言主神社と同じ
一言主神を御祭神とする神社です。
古事記や日本書紀に、二十一代雄略天皇の一行が、
葛城山で天皇の一行と全く同じ姿・人数で現れた
一言主神に出会う話があります。
一言主神は
「吾は悪事も一言、善事も一言に言離つ神、葛城の一言主之大神なり」
と雄略天皇に答えています。
それ故、俗に「一言さん」と呼ばれ、
一言の願いであれば何事もお聞きとどける神として
古くから親しまれ信仰されています。
この一言主神は、事代主神と同様に託宣を司る神
つまり神の言葉を伝える神と考えられます。
『古事記』では「一言主」、『日本書紀』では「一事主」
『日本霊異記』では「一語主」とも表記されています。
『先代旧事本紀』では一言主神を
素戔烏尊の子と書かれているようです。
また、この神が味鋤高彦根神(加茂大神)
と同じ神ではないかと言われてます。
この社は、昔この地方に住んでいた葛城部が祀ったそうです。
その葛城部というのは日本書紀によると、
仁徳天皇七年に皇后の御名代部としておかれたようです。
古代には、この一帯を葛木郷と言っていました。
蜘蛛?
奈良の一言主神社には、蜘蛛塚があり、
土蜘蛛の住んでいた場所であり、お墓でもあります。
土蜘蛛とは、昔、天皇に抵抗した勢力のことを称するようです。
本殿
古書「三代実録」の貞観十五年(873)九月十六日の項に
肥前国正六位上葛城一言主神に従五位下の神位を授けるとあり、
また、別の古書には、正応五年(1292)には
社領十一町三反を有していたことが書かれています。
かつてはかなりの社領を持つ有力神社であったが、
豊臣秀吉の太閤検地によって、すべての社領を没収され、
それ以後は矢俣八幡神社の外宮として、
矢俣八幡神社とともに、この矢俣郷の鎮守の神様として
ひっそりと鎮座しています。
鎮座地
佐賀県三養基郡みやき町天建寺
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