平和学の父ヨハン・ガルトゥングさんが
構造的暴力
という言葉を生み出した背景、
ここに残しておきます!
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構造的暴力 ―――戦争がなければ平和なのか?
南ローデシアで気づいたこと
私が初めて「構造的暴力」(structural violence)という言葉を使ったのは1965年である。当初、何がもっとも大きな構造的暴力であるかを見通していたわけではないが、この概念に至ったときのことは記憶している。
それは南ローデシア(現在のジンバブエ)でのことだ。当時、ローデシアはイギリスの植民地だった。イギリスの植民地のなかには、イギリス人が入植する植民地と入植しない植民地があった。私なりの入植という言葉の定義は、家族といっしょに移り住み、農場や店をつくり、数世代にわたって定住することだ。イギリス人はケニアに入植し、ローデシアに入植した。土地が肥え、気候も過ごしやすかったからだ。彼らは先住民たちの土地を奪い、快適に暮らしていた。
ローデシアのイギリス人は1923年、イギリス政府に植民地経営が順調であることを伝え、本国からの干渉は不要であるとして、南ローデシア自治政府を樹立した。圧倒的に黒人が多数を占めるローデシアを、わずかな数の白人が支配する体制が固まった。
1965年、白人たちは、いまではよく知られている一方的独立宣言(UDI)を行った。彼らはイギリス政府との関係を断ち、すべて自分たちでやっていくことを望んだ。これに対してイギリス政府が経済制裁を行い、私は制裁の影響を調査するために何度かローデシアに飛んだ。
初めて現地入りした私に白人が言ったことは、1923年以来、白人による黒人の殺害は1件もないということだった。彼らは、ここは平和な国だと言った。私が、「お言葉ですが、人口の4%しかいない白人が96%の黒人を支配している。良い土地は全部白人のもので、黒人はすべて奪われている。平均寿命も黒人は白人の半分しかない」と反論すると、彼らは「それはそうだが、この国は平和だ」と言った。
私はそのとき、これを平和と呼ぶのなら私は平和に反対しなくてはならない、と思った。たしかに言葉の通常の意味では暴力は存在していなかった。だとすれば、これを何と呼べばよいのか。96%の人々の苦境は社会構造に組み込まれていた。そこで私は、それを「構造的暴力」と呼ぶことにした。その構造をひと言で言うなら搾取であり、断片化であり、周縁化である。それがアフリカの人々の意識に染み込み、仕事や役割を分断していた。
黒人たちは状況をこんな風に語った。「黒人の村が2つあっても、白人が作る道路は村から遠く離れたところを通る。おまけに、白人は2つの村のあいだにたくさんの木を植えて深い森を作る。黒人同士を分断し、道路を使わせようとしない。そもそも私たちが移動に使える自動車を持っていないことを、だれも気にとめていない。黒人は貧しく孤立した村に住み、白人は結託して黒人社会の上に君臨している。」※抜粋元
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